第5話 なつかし


 この町の役場の職員をしているという三久の父親の慎太郎しんたろうさんが帰ってきたところで、夕食の準備が着々と進められていった。


 慎太郎さんも、俺がこの時期に帰ってくることは祖母から聞かされていたようで、こちらへ帰ってくるときに、ものすごく立派な鯛を持って帰ってきた。


 次々とテーブルに置かれる肉、肉、野菜、肉、そして尾頭付きの鯛の刺身……ただのバーベキューにしては、さすがに豪華すぎないだろうか。後、肉が多い。


「遥くんも、遠慮せず食べてくれていいぞ。おばあちゃんからも、ちゃんとお金はもらってるんだから。はい、これ、地元産の和牛サーロイン」


「は、はあ、どうも」


 俺の皿の上へ、慎太郎さんが豪快に焼いたステーキ肉をのせる。


 滴る肉汁と油……一目見ていい牛肉だとわかる。箸で切れるぐらいだから、相当だろう。


 俺も、普段であれば遠慮なくかぶりついていただろう。


「……遥、どうかしたかい?」


「っ、いや、なんでも」


 祖母に顔を覗き込まれたのに気づいて、俺は肉を小さくかぶりついた。


 塩胡椒がしっかり振られているはずだが、噛んでも噛んでも、イマイチ味がしない。


 そして、これだけ柔らかいのに、喉を通っていかない。


 今日はゼリー飲料しか口にしていないから、空腹であることは間違いないのだが。


 しかし、せっかく慎太郎さんや三枝さんが準備してくれたものを残すわけにはいかない。


 気合で皿の上の肉や野菜をかきこんで、一気に水で流し込んだ。


「おお、遥くんいい食べっぷり。さすがに若い子は違うなあ」


 と言いつつも、俺より慎太郎さんのほうが相当食べている。三枝さんもすごいペースで肉を平らげているし……パワフルな家族だ。


 当然、三久はそれ以上だろうと思ったのだが。


「あら? 三久、どうしたの? 全然食べてないじゃない。この前友だちとやった時は、こっちが心配するぐらいお腹パンパンにして――むぐぐ」


「え? なに? 私はいつもこんなモンでしょ? もう、お母さんったら」


 控えめに笑いつつ、三久が三枝さんの口を手で塞ぎ、そして、何か言いたげな顔の慎太郎さんを、目で制している。


「三久ちゃん、遠慮なく食べな。三久ちゃんぐらい若い子なら、運動すりゃすぐに元通りになるんだから」


「お、おばあちゃんまで……!」


「なあ、遥もそう思うだろう?」


「なんでそこで俺に話を……」


 若い女の子に体重の話は禁句レベルなのは俺だってわかるのに。


「まあ、我慢して食べずにストレスを溜めるのも逆に体に悪いそうだし、三久が食べたいんならそれでいいんじゃない?」


 それに、一杯食べて幸せそうな顔をしているほうが、ずっと三久らしいとも思うし。


「ほら、遥くんもそう言ってることだし」


「……じゃ、じゃあ」


 そう言って、三久は三合ぐらいありそうな白ご飯の上に、バーベキュー前に仕込んでいたらしい鯛のづけを大量にのせて戻ってきた。


 我慢せずに食えと言った手前止めるつもりはないが、それはさすがに食べすぎでは。

 



 めいめい食事をある程度済ませた後、俺はいったんお手洗いへと向かった。


 目的は、もちろん――


「――げほっ、ごほごほっ……」


 食欲がない中、何の味もしないものを無理に胃に詰め込んだので、当然こうなってしまった。


「環境が変われば多少はマシになるかなと思ったけど」


 むしろ、ひどくなっている。


 

 ――やはりお前はダメだな。失敗だった

 ――おいおい、いつまでここにいるつもりなんだ? 



 誰かさんたちの声が、幻聴のように頭に浮かんでは消える。


「俺だって、頑張ってないわけじゃない」


 だが、結果は最悪なものに終わり。


 そして、祖母の家のお手洗いで胃の中のものを全部ぶちまけている。


 本当に俺は、何をやっているのか。


「……そろそろ戻らないと」


 いつまでもトイレにこもっていたら、さすがに心配されてしまう。


 祖母も、早谷家の人たちも、こんな俺を受け入れてくれるいい人たちだ。


 これはあくまで自分の問題。迷惑をかけるわけにはいかないのだ。


 しっかりしなければ――。


「――おにちゃん、」

「っ……と、三久」


 ハンカチで綺麗に顔をぬぐい、口を綺麗にゆすいでからトイレを出ると、ちょうど三久が玄関の前に立っていた。


「ごめんね。食欲無かったのに、無理させちゃって」


「やっぱり、バレてたのか」


「わかるよ。だって、ずうっと見てたもん」


 そう言って、三久は俺にあるものを差し出した。


「瓶のコーラ」


「近くにまだ置いているトコがあって。……飲み物なら大丈夫だよね?」


「それならまあ……」


 三久から瓶と栓抜きを受け取って、栓を開ける。


「お、今度は一発だね?」


「当たり前だろ。いくつになったと思ってんだよ」


 からかうように言った三久に少しむっとしつつ、俺はぐいっとコーラをあおる。


 冷たくて甘い、独特の風味が喉を通り抜けた。


「……おいしいな」


「でしょ?」


 それまで味を感じなかったのに、唯一、これだけはしっかりとそう思った。


 昔の記憶そのままの風味。


「そういえば、最初におにちゃんと飲んだやつはあんまり美味しくなかったね。ぬるくなっちゃっててさ」


「あれはお前が邪魔してきたせいだろ」


「え~? あれはおにちゃんの栓抜きが下手だったせいでしょ? 私はできたもん」


 薄暗くなった玄関の踊り場に腰を下ろして、俺と三久は昔の思い出について語り始めた。


 冗談でも言い合うようにしゃべりながら、当時のことを徐々に思い出していく。


 三久と話すうち、気づくと胃の気持ち悪さが徐々に収まっていった。


「ねえ、おにちゃん」


「ん?」


「今の私、どう? 変わった?」


 いったん背を向けて立ち上がり、こちらを振り向く三久。


「う~ん……」


 それなりの月日が経ったのだから当然変わっている。ライトブルー……じゃなくて、ちゃんと女の子になっていると思うし。


 だが、彼女が言いたいのは、そういうことじゃない。


 三久の問いに、俺は首を振った。


「――いや、変わってなくて、ちょっと安心した。おばあちゃんも、おじさんおばさんも、それから三久も」


 成長して視点は変わったが、玄関や、そこから見る外の景色はちっとも変っていない。



『おにちゃん、あそぼ!』



 毎朝、しつこいぐらいにいつもそう言って、勝手に玄関を開けて笑っていた三久の姿。



「……なあ、三久」


「なに?」


「食べるもの、まだ残ってるか? 今ならちょっとだけちゃんと食べれる気がするから」


「料理はほとんど食べちゃったから……あ、じゃあ、一緒にお菓子食べようよ。つい最近、コーラと一緒にいっぱい仕入れてね……ほら、いこっ!」


「あ、おい……!」


 俺の手首を掴んで嬉しそうにスキップする三久の後ろ姿。


 それが、昔の三久と重なった気がした。


「――ありがとう、またお世話になるよ」


「え? なにか言った?」


「ん? いや、別に」


 心の中で三久に感謝を呟いて、俺はバーベキューの輪の中へと戻っていった。

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