第37話『勇者クルスの辞世の言葉』

「お前は……お前という男は、断じて、この世に生きていてはいけない存在だ、クルス……!」



 俺の声は、自分でも驚くほど低く、そして冷たく響いた。それはもはや怒りという感情を超え、絶対的な拒絶、そしてこの男の存在そのものに対する生理的なまでの嫌悪感から発せられた言葉だった。




「ふへっ! ふへへへへっ! そうだよ、木こり! お前を八つ裂きにして殺したら、僕の愛しいアリスも、僕の他の素晴らしい仲間たちと同じように、この僕の体の中に優しく取り込んでやるよ。そうすれば、アリスと僕は、死が二人を分かつまで、いや、死んだ後もずーっと、永遠に一緒だ。お前のような、汚らわしい間男に浮気される心配も、もう二度とない……これぞまさしく、永遠の愛、究極の愛の形だ。やっと、やっとだよ、アリス。この僕が、君を本当の意味で幸せにしてあげられるんだ……!」




 クルスは、恍惚とした表情で、ニコッと純粋無垢な子供のような笑顔を浮かべ、その血走った瞳でアリスをじっと見つめていた。



 信じがたいことに、その言葉と表情は、アリスに恐怖を与えるためではなく、心の底からアリスが純粋に喜ぶと思っての行為であるかのようだった。その歪みきった自己愛と独占欲は、もはや常人の理解を完全に超えていた。


 アリスは、そのクルスの狂気に満ちた顔と、胸元で禍々しく脈打つ三色の宝石を見て、全身の血が凍りつくような恐怖で筋肉が強張り、声にならない悲鳴をあげそうになるのを必死で堪えていた。


 この狂人と、文字通り「一体」となって一生を過ごすという、想像を絶する拷問を、その瞬間に鮮明に想像してしまったのだ。



「クルス。お前は、これ以上何も喋るな。その汚れた口を、永遠に閉じろ」



 俺は、クルスの胸元で不気味に輝く三つの宝石を睨みつけながら、静かに、しかし有無を言わせぬ威圧感を込めて言い放った。



 言葉と同時に、俺は斧を大きく、そして力任せに振りかぶり、クルスの頭部目掛けて叩きつけた。


 ゴシャッという鈍い音と共に、クルスの頭部の上半分が、まるで熟れた果実のように吹き飛んだ。だが、それでもなお、その口元だけは、醜悪な三日月型の笑みを浮かべたままだ。


 そして、次の瞬間、破壊されたはずの頭部が、先程の腕の再生と同じように、ぶじゅぶじゅと音を立てながら、瞬く間に元通りに再生していく。



 かつて、遺跡での決闘の際に、切断されたクルスの片腕が一瞬で復元したのを目の当たりにしたことがある。


 この常軌を逸した驚異的な治癒能力は、間違いなく、あのリーファという心優しきエルフの少女から奪った能力なのだろう。



(頭部さえ完全に破壊すれば、それで終わりだと思ったが、やはり甘かったか……。あの宝石が、奴の力の源泉であると同時に、弱点でもあるはずだ)



 俺は、クルスが体勢を立て直すよりも早く、その巨体に蹴りを叩き込み、バランスを崩させて地面に押し倒した。


 そして、抵抗するクルスに馬乗りになり、左右の拳で、ただひたすらに、その憎悪すべき顔面を殴り付ける。一発、また一発と、骨が砕ける鈍い感触が拳に伝わるが、クルスの顔は殴られるそばから再生していく。




「はははっ! どうした、木こり! 子供の喧嘩みたいに、馬乗りになって殴り続ければ、この僕に勝てると思ったか? 甘いんだよ、何もかもが! 僕のこの素晴らしい治癒能力は、無限なんだ! それに、痛みだって、僕の愛すべき仲間たちが、僕の代わりに全て肩代わりしてくれているからね、これっぽっちも感じないのさ! それよりも、僕を殴り続けている、キミのその脆い拳の方が、先に壊れちまうんじゃないかと心配だなぁ。あははっ! あははははっ!」




 クルスは、顔面を血塗れにしながらも、狂ったように高笑いを続けた。



 俺は、ひとしきりクルスの顔面を殴り続けた後に、ふと動きを止め、クルスの胸元で禍々しく輝き続ける三つの宝石を、無言で指さした。



「一つだけ、質問だ。お前のその胸に、まるで寄生虫のように埋め込まれた、その忌まわしい宝石は、一体何なんだ?」



 俺の声は、怒りを通り越して、底なしの冷ややかさを帯びていた。



「っ……!! お、おい、おまえ……それは……それだけは、絶対にやめろぉお!!! 触るな! 近づくな!」



 俺が宝石に触れようとした瞬間、それまで余裕綽々だったクルスの顔から、初めて焦りの色が浮かんだ。その反応が、俺の胸に渦巻いていた最悪の予感を、確信へと変えた。



 クルスの胸元には、鮮血のような赤、深緑の森を思わせる緑、そして不吉な輝きを放つ黄色の、三つの宝石が、まるで生きているかのように、彼の肉体に深々と埋め込まれていた。想像などしたくもなかった。信じたくもなかった。



 だが、クルスのこれまでの狂的な言動、そして今の必死の形相から、俺は残酷なまでに明晰な頭脳で、そのおぞましい真実を正確に想像してしまう。


 俺のその推測が、どうか間違っていて欲しいと、心の底から、こんなにも切実に願ったのは、生まれて初めてのことだった。


 俺は、クルスの絶叫を無視し、その胸に鋭く手刀を突き立てた。



 そして、まずはあの忌まわしい再生能力の源と思しき、深緑色の宝石を、力ずくで抉り取るように剥ぎ取った。ブチブチッという、神経や血管が引き千切れる生々しい音が響き、クルスが獣のような絶叫を上げる。



 胸元に埋め込まれた宝石は、単に皮膚の下に存在しているだけではなかった。それは、クルスの神経系と複雑に、そして有機的に接続され、もはや彼自身の肉体の一部と化していたのだ。




「やめろおっ!!! やめてくれぇぇぇっ!!! お前は……僕の愛しいアリスを僕から略奪するだけでは飽き足らず……今度は、僕から、このかけがえのない仲間たちとの聖なる絆まで、無慈悲に盗み取るというのか!! 僕の純粋なアリスをけがし、僕と仲間たちとの神聖な絆を破壊する……おまえは……お前こそが、最低最悪の外道だ!! この世に存在するべきではない悪魔だ!! この、人でなしの木こりぃぃぃぃっ!!!」




 クルスは、もはや言葉にならない叫び声を上げながら、身を捩って抵抗しようとするが、俺は万力のような力でその動きを封じ込める。



 クルスが、一体どのような禁断の外法を使ったのかは知らないし、知りたいとも思わない。


 だが、もしこれが、かつてクルスと共に希望を胸に旅立ったはずの、あの健気な少女たちの哀れな末路だと言うのであれば、それはあまりにも悲しすぎ、そして惨すぎる結末だった。


 それぞれの正義の心を胸に秘め、それぞれの国や故郷の威信をその双肩に背負い、勇者と共に魔王討伐という大義のために旅立ったはずの彼女たちの、その輝かしいはずだった旅の終着点が、こんなおぞましい形で終わらせられるとは……。



 俺は、人間という存在に対する、これ以上の冒涜ぼうとくを、他に知らない。クルスと共に闘ってきたはずの仲間たちを、こんな無機質な石ころに変え、あろうことか自分自身の体に醜悪に埋め込み、死してなお物のように扱い、その能力を貪り続ける。


 それはもはや、人間の所業ではない。悪魔、……いや、さすがにそれは悪魔に対してすら失礼。それ以下の何か、……まさしく、クルスの行いだ。これ以上、この怪物を一瞬たりとも生かしておくわけにはいかない。


 俺は、先ほど抜き取った緑色の宝石の効果を確かめるために、クルスの右の手首を掴み、その親指を、躊躇なく逆方向にへし折った。ゴキリ、という乾いた音が響く。




「あああっ!!! ぐああああっ!!! 死ぬっ!! 本当に……本当に痛い!!! この、この耐え難い痛みは、とてもじゃないが耐えられるような痛みじゃない……! なぜだ!? なぜ、魔王を倒すという正義の勇者である、この僕が……どうして、こんな酷い仕打ちを受けなければならないんだ! この木こりぃ! 鬼畜め! お前は、指が折られると、一体どんなに痛いのか、知っているのかぁぁぁっ!!!」




 クルスは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、子供のように泣き喚いた。指が折れた時の痛みは、俺も幼少期に経験済みだ。


 確かに激痛ではあるが、子供の頃の俺ですら、歯を食いしばって耐えられた程度の痛みだったはずだ。



 クルスの無残に折れ曲がった指は、もはや再生する気配を見せない。



 やはり、あの緑色の宝石が、リーファという名の、あの心優しかったはずの少女の、奇跡の治癒能力の源だったのだ。



 俺は次に、再びクルスの胸に手刀を突き立て、胸元の神経に禍々しく接続されている、鮮血のような赤色の宝石を、容赦なく抜き取った。


 

 再び、クルスの絶叫が戦場に響き渡る。


 どうもおかしいとは思っていたのだ。今日のクルスは、その言動こそ下劣極まるものであったが、たった一人で、臆することなく勇敢に俺に挑みかかってきた。



 更に、何度斬りつけ、殴りつけても、まるで不死身であるかのように耐えきる、その異常なまでのタフネス。


 もっと早くに、この男には、本来そのような芸当が到底不可能であると気づくべきであったのだ。


 俺は、クルスの右手を鷲掴みにし、そのままグチャリと、まるで熟れた果実でも握り潰すかのように、力を込めて握り潰した。クルスの右手は、もはや手の形を留めていない、ただの歪な肉塊のような形に変形していた。




「あんぎゃああっ! ちょ、ちょっと待ってくれ! 本当に、本当に痛いんだ! 僕が悪かった! 僕が全て間違っていた! どうか許して、許してくれ! 頼むから! なあ、話せばきっと分かるはずだ、冷静に、建設的に話し合おうじゃないか! な、木こり……いや、ブルーノさん! ブルーノ様!」



 クルスは、先程までの傲慢な態度はどこへやら、必死の形相で命乞いを始めた。



「俺は、お前が思うほど不寛容ではないつもりだが、ことお前に関しては別だ。お前を許すことなど、天地がひっくり返ってもあり得ない」



 俺は、氷のように冷たい声で言い放った。


 そして俺は、クルスの胸元に三度みたび手刀を突き立て、残された最後の希望である、不吉な輝きを放つ黄色の宝石を、神経ごとクルスから乱暴に抜き取った。クルスは、もはや声にならない悲鳴を上げ、全身を痙攣させている。



 そして、俺はダメ押しとばかりに、クルスの左手を、先程と同じように握りつぶした。宝石から供給されていた超常的な力と、痛覚の遮断、そして精神的な支柱となっていた仲間たちの魂(とクルスが勝手に信じていたもの)が、全て途切れたからだろう。



 クルスは、もはやただの、少し頑丈なだけの人間以下の存在となっていた。




「おん、ぎゃああっ!!! なんじぇ?! なんじぇ、こんなことに! 僕は、ただ魔王を倒しにきただけなのに! 僕は、この世界のために、命を懸けて闘ってきたはずなのに、なんじぇ、こんな酷い目に遭わなきゃいけないんだ!!! 痛い! 痛いし、辛すぎる! もう嫌だ!」




 クルスは、地面に蹲り、赤子のように泣きじゃくっている。その姿は、哀れであると同時に、どうしようもなく滑稽だった。



「…………」



 俺は、そんなクルスの姿を、ただ黙って冷ややかに見下ろしていた。




「しょっ……しょうだ、僕、偉い勇者なんでしゅ。神に選ばれた特別な存在なんでしゅ。だから、特別に、ブルーノ様には、あの教会の枢機卿カーディナルの輝かしい職位を与えまっしゅから、どうか、どうかこれでお許しくだしゃいましぇんか……?」



 クルスは、潰れて肉塊のようになった左右の手を必死に擦り合わせながら、媚びへつらうような卑屈な顔で、涙ながらに懇願してきた。



 その、一片の矜持も感じられない、あまりにも卑屈で醜悪なクルスの顔に、俺の神経は逆撫でされ、心の奥底から新たな怒りが込み上げてくるのを感じた。



 俺は、力任せにクルスの右腕の関節を、あり得ない方向にへし折った。バキリ、という嫌な音と共に、腕から鋭く尖った骨が突き出ている。



「ふんぎゃあああああっ!!!! ごの、人でなしの木ごりぃぃぃっ!!! よくも、よくも僕の腕を! ぶっ殺じゅッ!! 絶対に、八つ裂きにしてくれるわ!!!」



 痛みと屈辱で、クルスは再び逆上し、獣のような唸り声を上げた。




「お前の犯した罪は、あまりにも重過ぎて、この世のどんな法で裁くことなど到底できない。そして、お前のような根性の腐りきった人間が、更生することなど万に一つも不可能だ。どんな偉大な聖人が、どんな慈悲深い言葉を尽くしても、お前のその腐った心には、決して届かないだろう。あとは、お前が死んだ後に行くであろう、地獄の亡者どもに、その罪を存分に裁いてもらうしかあるまいな」



 俺は、静かに、しかし最終宣告のように告げた。




「なんでら……なんで、僕はお前に勝てないんだ……。らんで、俺には、本当に欲しいものが、何一つ手に入らないんだ……。勇者になったのに、神に選ばれたはずなのに、なぜ、僕の願いは届かないんだ……」




 クルスは、力なく地面に突っ伏し、虚ろな声で呟いた。




「…………」





「はは……そうか、分かった……周りが、周りの人間が、みんな揃いも揃って無能だからだ。王都の連中も、教会の連中も、そして、あの役立たずの仲間たちも、僕の周りの人間が、みんなみんな無能だからだ。だから、いつも僕だけが損をして、僕だけが大切なものを奪われるんだ。そうに違いない……」




 クルスは、最後の最後まで、自分以外の誰かに責任を転嫁しようとしていた。その姿は、哀れを通り越して、もはや醜悪そのものだった。




 俺は、クルスに、この世に残す最後の言葉を許した。もし、その声が、かつての仲間たちへの心からの謝罪、あるいは、アリスへの真摯な謝罪の言葉であれば、あるいは地獄の亡者たちも、ほんの少しは減刑を考慮してくれるかもしれない。


 それが、俺が彼に与えることのできる、最後の、そして本当に最後のチャンスだった。



「クルス。この世に残す、お前の辞世の言葉はあるか。あるのならば、聞こう」



 俺は、血に濡れた斧を両手に持ち替え、大上段に構える。いつの間にか、空からは冷たい雨が、まるで全てを洗い流すかのように、静かに、しかし絶え間なく降り始めていた。






「この、人殺しがぁっ!! 僕の、僕だけのアリスを寝取って、あろうことかめとった、恥知らずの、人でなしの外道めが!! アリスは、本当は、心の底から僕のことが好きだったんだ! お前は、アリスを王都から無理やり誘拐して、言葉巧みに誘惑し、その清らかな体をけがした、卑劣極まる凶悪な犯罪者だ! 僕はお前を、絶対に許さない!! 例え、この場で僕がお前のその汚れた斧によって無残に殺されたとしても、死後の世界で、必ずやお前を罰してやる!! お前が死んだら、天国からわざわざ、必ず地獄にいるお前に会いに行って、この手で八つ裂きにして殺してやるからなっ!!! 覚えておけぇぇぇっ!!!」






 クルスは、最後の力を振り絞るかのように、憎悪と怨嗟に満ちた呪詛の言葉を吐き続けた。




「……そうか。貴様のくだらない辞世の言葉は、確かに聞き届けた。ならば、死後、地獄の底で俺に会えることを、心から祈りながら、安らかに死ね」




 俺は、最後の最後の瞬間まで、クルスが己の犯したおぞましい過ちに、ほんの少しでも気づくのではないかと、どこかで淡い期待を抱いていたのかもしれない。



 どんな極悪非道な人間にも、ほんの僅かばかりは、人間らしい良心や感情が残されているのではないかと。


 だが、その儚い希望は、クルスの最後の言葉によって、無残にも打ち砕かれた。



 この世の中には、どう足掻いても、全く理解し合うことのできない人間もいるのだ。幼き日に、三人で無邪気に遊んだ、あの時のクルスの心は、きっと……とうの昔に、どこかで死んでしまっていたのだろう。



 だから、俺は、目の前の惨めに蠢く、もはや生ける屍に等しいこのまるで狂犬のように歯茎を剥き出しにした男を、……本来あるべき場所、すなわち虚無へと還すため、静かに、そして力強く、斧を振り下ろし、クルスの首を正確にねた。



 クルスは、その忌まわしい命が尽きる最後の瞬間まで、……クルスであった。それ以上でも、それ以下でもなかった。

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