第4話
翌朝、待ち合わせ場所に向かうと、藍凛の方が先にきていた。なにか厳しい顔をしている。
「おはよう、藍凛。早いね」
「おはよう。……彰、体調は?」
いきなり聞かれた。
「え? ああ、頭痛と胸の痛み? いや、全然。え、俺顔色悪い?」
「ううん、そんなこともないけど……でも眠そうだね」
「ああ、ゆうべは寝るのが遅くて」
「なにしてたの?」
「藍凛のこと考えてた」
「えっ?」
藍凛が赤くなった。
「な、なにを?」
「俺はやっぱり藍凛のこと好きだなあとか、この土日はアルバイトでデートできなくてつらいなあとか」
「そ、そう……あ、でもあたしもこの土日アルバイトだった……」
「え、アルバイトしてたの?」
「うん。コンビニ」
「俺も。サークルK」
「あたしローソン」
「へえ。藍凛ってあんまりお金に困ってない感じだけど」
「お小遣いはそこそこもらってるけど、欲しい服が高かったりして足りない時があるから」
「そうなんだ」
やっぱり女の子だな。
「彰は?」
「俺は一人暮らしだからさ。ちょっと油断してると仕送りを使いこんじゃって、親に怒られるから」
俺は滑らかに嘘をつく。サークルKでアルバイトをしているのは本当だけど。
「……うん。ほんとに大丈夫そうだね」
「え? いや、だから平気だって」
俺が笑うと、藍凛もやっといつもの笑顔になってくれた。
「じゃ、行こうか」
そう言うと、藍凛が俺の手を握ってきた。振り返ると、藍凛が顔を赤くして言った。
「……手をつないでいってもいい?」
昨日は胸を押し付けてきたのに、と思ったけど、あれは正常な状態じゃなかった。俺は微笑んでみせた。
「いいよ。でも、学校の敷地外までだよ?」
「うん」
藍凛が嬉しそうに笑った。
二人で歩調を合わせて、学校まで歩いた。
野球部の朝練を見学した。やっていることはすごく地味に見えたけど、きっと大事な練習なんだろう。俺たちのクラスの野球部員もいて、手を振ってきたので俺たちも振り返した。
教室に行って、俺たちはそれぞれの席に座った。藍凛はいつものように窓の外を眺めている。幸せな家族が見えるだろうかと思った。
夏木がきた時、少し緊張した。俺には心配する資格もないだろうけど、彼女の目が気になった。普段通りに見えた。俺はすぐ、夏木から視線をそらした。
昼休み、藍凛の弁当をゆっくり食べていると、急に藍凛が言った。
「澄華ちゃん、元気になったみたいだよ」
「え……」
俺があわてて周りを見回すと、
「大丈夫。澄華ちゃんは出てったし、近くにも人はいないから」
その通りだった。
「あの……」
「彰の席からだと、朝はよく見えなかったでしょ。あたしからはちゃんと見えたから」
「……ごめん。俺には心配する資格もないってわかってるんだけど……」
「なに言ってるの? 友達だったら心配するのあたりまえじゃない」
友達……。
「彰は違うの?」
友達。残念だけど、俺と藍凛とではその言葉の意味するところがまったく違う。あの三年間を戦った四十人の仲間。同類。兄弟。俺にあるのはそれだけだった。
もしかしたら、俺たち顔なし五人組は、友達だったと言えるかもしれない。生き残った残りの二人とは、高校に入ってから一度も会ったことがないけど。
あるいは、寺島とは友達になれるかもしれない。俺は友達になれたらいいなと思っている。寺島がどう思っているかはわからないけど。
つまり、いま現在俺が友達だと思えそうなのは、あの地獄を生き延びた六人の仲間以外にはありえない。俺は、夏木を友達だとは思っていない。
「……彰。彰? どうしたの、大丈夫?」
「え……」
藍凛の切迫した声で、俺は現実に引き戻された。
「俺、また顔色悪い?」
「昨日とは違うけど……なんだか白っぽい」
「そう……そう言えば少し頭がくらくらするような」
「彰、病院」
「いや、ちょっと保健室行ってくるよ。たぶん寝不足のせいじゃないかな」
俺が立ち上がると、藍凛も立った。
「いや、一人で行けるよ」
「駄目」
そう言って藍凛は俺についてきた。俺はいったい、いつになったら藍凛の弁当をゆっくり最後まで食べられるんだろうな。
保健室に着いて先生に症状を伝えると、
「軽い貧血でしょうね。そこのベッドで寝ていきなさい」
と言われた。それで、学生服の上着を脱いで横になった。藍凛はわきの椅子に座った。
「藍凛は戻っていいよ」
「ここにいる」
藍凛は頑なだった。
うとうとしかけていると、保健室の先生が様子を見にきた。
「どう?」
「まだ少し、くらくらする感じです」
「そう。じゃあ、もう少し休んでいきなさい」
「あの、あたしもここにいていいですか」
藍凛が先生に頼んだ。
「駄目。あなたは授業に出ないと。先生に、彼氏は保健室で寝てるって言っておいてね」
「……はい。わかりました」
藍凛は立ち上がった。
「じゃあ、彰。ゆっくり休んでね」
「うん。弁当残しちゃってごめんね」
「いいの。それじゃ、またあとで」
藍凛は保健室を出ていった。
「可愛い彼女ね」
先生が何気なく言った。
「はい。俺にはもったいないです」
「そんなことないと思うけど。なかなかお似合いよ。それとも、自分の顔が整形されていることを気に病んでるの?」
「……」
「それと、今のあなたは貧血なんかじゃない。おそらくフラッシュバック。なにか、学園島でのことを思い出すようなきっかけでもあった?」
ああ。こんなところにも、学園の人間が送り込まれていたのか。
「……一年前に強姦されかけた女子生徒がフラッシュバックを起こしていました。たぶん、それに引っ張られたんでしょう」
「そう。でも今のあなたの問題は、それじゃない。もっと深刻なものが、急速に進行している。今までの症例からすると、もって三ヶ月。そこであなたは、生きるか死ぬかって状態になる。学校にいる間に体がおかしくなったら、ここにきなさい。他の病院に行ったって、なんにもならない」
三ヶ月か。寺島が言っていたのよりは長いな。
俺は、ベッドの上で体を起こした。もう頭はすっきりしていた。
「わかりました。じゃあ、俺は教室に戻ります」
「もう平気なの?」
「はい」
こんな場所には、もう一秒たりともいたくなかった。
俺は教室に入って、先生に遅くなりましたと言った。もういいのかと聞かれて、大丈夫ですと答えた。席に座ると、藍凛が俺のことを見ていた。俺は藍凛にうなうずいた。
休み時間に、藍凛がきた。
「大丈夫?」
「うん。寝てたら治ったよ。保健室の先生にお似合いのカップルだって言われたな」
藍凛が赤くなった。
「変な先生だね」
「うん」
色んな意味でそのとおりだ。
「彰は今日もアルバイトだよね?」
「うん。基本は平日毎日だからね」
「大丈夫なの?」
「もう慣れてるから。なにかあっても店長がいるし」
「そう。無理しないでね」
「うん」
俺たちは最後の授業を受けて、手をつないで帰った。
藍凛と別れて、アパートに戻った。ジーンズに履き替えて、コンビニまで走る。
コンビニまで片道十五キロ。俺はその距離をだいたい一時間ちょっとで走る。けっこうな負荷のはずだけど、大して苦にならない。学園島では何十キロもある装備を担がされて走った。それに比べたら散歩みたいなものだ。
だだっ広い田んぼの真ん中に、俺が勤めているコンビニがある。徒歩でくる客はいない。客はみんな車。駐車場はかなり広くて、大型トラック用の区画もかなり多い。コンビニの前を通っているのは一桁国道で、長距離トラックの運転手がよく立ち寄る。
「お疲れさまです」
俺はレジに立っている店長に挨拶した。
「おう、お疲れ」
俺は奥のスタッフルームに入り、制服に着替えた。畳の上に、二十歳位の女の人が寝ている。この人も店員だけど、今は休みだ。
「代わります」
「おう。ああ、その前に店の中一回りしてくれ」
「はい」
俺は店内を見て回る。雑誌が斜めになっていれば直し、商品の裏面が見えていれば表になるように直し、配置があまりよくないものは並べ直した。
一通り店内のチェックが終わり、俺はレジに戻った。
「終わりました」
「おう、じゃあ頼む。俺は奥で寝るから」
「はい」
俺はレジに立った。
店長とさっきの女性は、学園の人間だ。主に俺のフィジカル面のチェックを行う。スタッフルームの奥には各種の測定機器がある。普段は布をかけられていて、他のアルバイトの目には入らない。たぶん見たところで、それがなんなのかわからないだろう。
メンタル面は、保健室の人間が行うことを今日初めて知った。
俺は店長とさっきの女性をそれほど嫌っていない。フィジカルテストは滅多に行われなくて、ほとんどの時間をただのアルバイトと店長としてすごす。
俺はアルバイトが好きだ。部活に入れないのは残念だけど、その代償行為くらいにはなる。
それは、アルバイトが普通のことだからだ。学校も同じ。俺たちが望んでやまない、普通の生活。学校とアルバイトは、仮初でも、俺たちにそれを体験させてくれる。
まあ、できればアルバイト代と人殺しの報酬は別の口座に振り込んでもらいたかったけど。
午後七時前後に、何台も長距離トラックがやってくる。夕飯の買い出しだ。
アルバイトを始めてしばらくした頃、カップラーメンを買ってポットでお湯を入れ、トラックに乗るとすぐに走り出す人を何人か見かけた。どう言うことだろうと気になって、ついには我慢できなくなって、店長に見つからないように、長距離トラックの運転手さんにこっそり聞いてみた。運転手さんは笑って教えてくれた。運転しながら食べるんだよ、と。
俺たちは車の運転も訓練していたけど、どうやったらハンドルを握ってカップラーメンが食べられるのか、さっぱりわからなかった。
このコンビニはあまりに辺鄙なところにあるので、去年三回強盗に押し入られた。三回とも俺がレジにいて、三回とも強盗は刃物を持っていた。刃物を突きつけられれば正当防衛。
店長が俺の頭の中のスイッチを切り替えた。
通常モードから殺戮モードへ。俺は、俺に刻みつけられたあらゆる殺人技術を用いて、俺に敵対する人間を殺す。
握り方のなっていない刃物をあっさり取り上げ、床に投げ捨てる。カウンターを飛び越えながら、強盗を蹴る。倒れなかった。俺は強盗の服を掴むと、投げた。リノリウムの床に背中から叩きつけられて、呼吸ができないようだった。脳震盪も起こしていただろう。俺は強盗に馬乗りになった。
右腕を振り上げた。この状況から相手を殺す方法は幾通りもある。その方法を取捨選択しているうちに、店長がスイッチを切り替えた。通常モード。俺は相手を二度と身動きできなくなるほど痛めつけることができるけど、決して殺すことはできない。
俺は強盗の体をひっくり返して、両手首を捻り上げた。店長がガムテープを持ってやってきて、手首と足首に巻きつけた。女性店員が警察に電話していた。
パトカーがきて、店長が警官に事情を説明した。強盗はパトカーの中に押し込められた。警官は奥に行って、店長と防犯記録の映像を見て、証拠として持ち帰ったようだった。
俺は警官に、刃物を持った相手にこんなことをしてはいけないと言われた。おとなしく言うことに従って、それからカラーボールを投げつけるようにと。わかりましたと俺は答えた。事情聴取にきてほしいと言われたけど、仕事があるからと言って断った。
結局俺は、あとの二回もまったく同じことをした。
三回目のあと、地域情報誌の記事になったようだけど、俺は読んでいない。アルバイトをしている目の前にその雑誌はあったけど、興味がなかった。あとになって、俺のことが取り上げられていたら、それは少年Aと書かれていたのだろうかと思っただけだった。
この日のアルバイトは何事もなく終わった。
「ああそうだ、岡野」
帰る直前に店長に声をかけられた。
「はい」
「今度の土日は、おまえは休みだ」
「えっ?」
俺は驚いて聞き返した。平日に休めば、土日に働く。それがこの一年間、破られることのなかったルールだ。
「シフトがうまく回せてな」
「……」
今コンビニにいるスタッフは全員が学園関係者。客も遠い。なのにこんな偽装めいたことを言うのは、本当の理由は話さないと言うことだろう。
「……ありがとうございます。それじゃ、失礼します」
いつもどおり、走って帰る。
フィジカルチェックはなかった。保健室の人間も、なにも身のあることは言わなかった。一ヶ月か三ヶ月で死ぬかもしれない俺の体。突然の休み。恋愛の推奨と性能の向上と言う戯言。
考えてもしかたがない。俺は実験動物。今目の前にあるものを考えよう。土日のどちらかだけでも、藍凛がアルバイトを休めるといいんだけど。
翌朝の七時、いつもの場所に藍凛が小走りできた。
「おはよう彰。あのね、あたし土日のアルバイトが休みになったんだけど、彰はどっちか休めない?」
「ええっ!? ほんとに!?」
あんまり驚いて大声を出してしまった。
「う、うん……ほんとだけど……」
藍凛を怖がらせてしまった。
「ご、ごめん。あの、俺もシフトがうまく回って土日が休みになって……」
「えっ、そうなの!?」
藍凛も大声を出していた。
「あたしはね、なんか新人研修するんだって。それで先輩が出ることになったから、あたしはいいって」
俺は学園がローソンにも手を回したのかと思ったけど、いくらなんでも俺一人のためにそんなことはしないだろう。たった一回の土日のために。あ、副学園長は歯ぎしりしてるだろうなと思ってほくそ笑んだ。
「じゃあ、土日二日間デートできるね」
藍凛が嬉しそうに手をつないできた。
「どこ行く?」
「あー……俺そう言うの全然知らないんだよね……」
「そう言うのって?」
「デートスポット」
「あたしどこでもいいよ。彰の行きたいところで」
「……」
そう言われても困ってしまう。俺のいつもの土日は、平日より多めのトレーニング、銃器の入念な手入れ、たまに山奥に行って射撃の訓練、車の運転の練習。どれも藍凛を付き合わせるわけにはいかない。
あ、寺島に聞いてみようかと思ったけど、前に相談してあとは知らねえって言われてた。
「……彰、大丈夫? すっごく難しい顔してるけど」
「え……いや、考えてたんだけど、全然思いつかなくて困ってた」
「そっかー……まあいいよ。土日までに二人で考えて決まらなかったら、あたしお弁当作るから、それ持ってどこかに行って食べない? たまに外で食べるのもいいと思うの」
「あ、それすごくいいな。えっと……」
俺はスマートフォンを取り出して天気予報を見た。
「土日とも晴れだ。俺ネットでよさそうな公園とか調べるから、土日のどっちかそれにしない?」
「じゃあ、日曜日はそれで。土曜日はまた二人で考えよう?」
「うん」
考えに考えたあげく、映画にした。定番中の定番だけど、デートは初めてなんだしいいだろう。どの映画にするかを二人で相談したけど、俺が観たいのでいいと言われたので、ちょっと気になる映画があったのでそれにした。
映画館に着いて、藍凛が言った。
「映画館久しぶり」
「俺、映画館って初めてなんだ」
「え、そうなの?」
「テレビでやってる映画は観たことあるけどね」
俺はレンタルショップでDVDを借りたことさえない。
「吹き替えにする?」
「いや、字幕で観たいな」
「わかった」
藍凛が先頭に立って窓口へ行って、ここの席がいいとモニタを指差してチケットを買った。へえ、こうやって買うものなのか。
二人分の料金を俺が払おうとしたら、藍凛が別々にと言ってお互いがそれぞれの分を払った。
「いいの?」
デートだと男が払うものだと思っていた。
「いい。あたし別に彰に奢らせようなんて思ってないから」
「そう?」
「うん」
俺たちは飲みものを買って映画館に入った。
席についてコーラを飲むと、いつもより美味しく感じた。まあ、値段も高かったけど。
映画が始まる。アメリカ映画のヒーローもの。ただ、他のヒーローものとは主人公像がちょっと違う。
主人公は正義感が強く優秀な警察官。美しい恋人がいる。文句のつけようがない充実した日々。だけど、それは一瞬にして崩壊する。主人公は手を出してはいけないものに手を出した。強大な権力を持った悪の組織。主人公は捕まり、過酷な拷問を受ける。顔はくまなく切り刻まれ、二目と見られない顔になった。
俺はこの時点で泣いた。たぶん泣くシーンじゃないだろうけど、どうしようもなかった。
主人公は敵の隙をついて脱出するけど、その時には恋人を殺され、その罪は主人公になすりつけられていた。主人公は怒りに燃え、復讐鬼と化す。仮面で傷だらけの顔を隠し、組織の人間を探し出して、一人一人倒していった。
ついに敵の首魁に迫るけど、なぜか死んだはずの恋人を盾にしていた。だけど主人公にはわかっていた。今目の前にいるのは死んだ恋人のコピー、クローン。主人公は微塵の躊躇もなく彼女ごと首魁を撃ち殺した。
クローンはまだ生きていた。主人公が近づくと、なぜか彼女は微笑んでありがとうと言った。主人公が仮面を外す。微笑みは消えない。彼女が手を伸ばして傷だらけの顔に触る。とってもハンサム。そう言って、彼女は死んだ。
主人公の目から涙がこぼれ落ちる。だけど、すぐに仮面をかぶり直し、彼女の体を抱きかかえてどこかへ消えていく。エンドロール。
たぶんこれは相当後味の悪い映画じゃないかと思ったけど、俺の涙は止まらなかった。
映画館内が明るくなって、俺たちは外に出た。
「……ごめん。あんまりよくなかったね」
「どうして? よかったよ。最後の恋人の偽物が出てくるところ、泣いちゃった」
「そう」
「彰も泣いてたよね?」
「うん。ちょっとスカーフェイスに感情移入しすぎちゃって」
スカーフェイスと言うのが主人公の名前であり、映画のタイトルでもあった。
「じゃあ、いい映画だったってことじゃない? あのあとスカーフェイスがどうなるのか、ちょっと気になるけど」
「そうなんだよね」
この映画には救いがない。そこも、俺が共感してしまったところだった。
俺の人生にも救いはない。命じられるまま人を殺し続け、きっといつかは返り討ちにあって死ぬだろう。
……いや、違う。救いは今俺の隣にいてくれている。藍凛。この偽物の人生の中にある、たった一つの本物。暗闇だらけの俺の道を照らし出してくれる優しい灯り。
俺は愕然とした。考えても仕方がないと思っていた死。一ヶ月後か三ヶ月後か。とんでもない。無視できない。俺は死にたくない。藍凛とずっと一緒にいたい。そのためには死ぬわけにはいかない。
今まで感じたことがないほどの死の恐怖を感じた。怖い。死にたくない。藍凛と一緒にいたい。
「彰、どうしたの?」
藍凛が怪訝そうな顔で俺を見ていた。
「……ああ、ちょっとスカーフェイスの行く末を考えてた」
俺は笑ってみせた。
「長すぎ。感情移入しすぎてるね」
藍凛も笑った。
「お昼のお店、彰決めてる?」
「あっ……か、考えてなかった」
「じゃあ、あたしが調べてたお店でいい? チャーハンが美味しいんだって」
「チャーハン?」
藍凛にしては意外な気がした。
「うん、何種類もあるの。駄目?」
「もちろんいいよ。でも、俺が調べておくべきだったな」
「いいの。あたしが調べたのが無駄にならなかったし」
俺たちは手をつないで、店に向かった。
日曜日は約束どおり弁当を持って公園に行った。いつもより大きな弁当箱だった。
「作りすぎちゃったかも。彰食べ切れるかな」
「藍凛の料理ならいくらでも食べられる」
バカップルだった。
「あ、きれい」
藍凛は公園に隣接している湖を見て言った。と言うか、湖畔に公園を作ったと言うことだけど。
「晴れてよかった」
俺は空を見上げた。真っ青だった。そして湖も青く染まっていた。
俺たちは公園内を歩き回った。相変わらず、弁当箱を俺に持たせてくれなかった。
「このあたりがいいかな」
藍凛は弁当の包みを開くと、その中のレジャーシートを広げた。
「えっ、そんなの持ってきてたの」
「だって、ベンチがあってもテーブルがなかったらお弁当食べにくいでしょ」
「そうだけど、それ重いよね」
「全然平気」
帰りは絶対に俺が持とうと決めた。
藍凛が弁当箱を開ける。俺の分はおにぎりが四個、おかずが盛りだくさん。まあ少し多いかもしれないけど、食べ切れる。
「いただきます」
俺はおにぎりを頬張った。美味い。
「前から思ってたけど、藍凛の弁当のお米ってすごく美味しいよね」
「ちょっといい炊飯器を買ったの。あとは水加減かな」
「いつでもお嫁に行けるね」
「……貰ってくれるの?」
藪蛇だった。
俺と藍凛は公園で何回かキスした。
「藍凛、この場所狙ってた?」
ここは他の来園者から見えにくい。
「うん……」
そう言って、藍凛はまたキスを求めた。もちろん俺はその要望にこたえた。
帰る時に弁当箱をどっちが持つかで揉めた。そしてまた俺は持たせてもらえなかった。
ゴールデンウィークは基本的にアルバイト。一日だけ藍凛と休みが合ったので、二人で出かけた。遠出すると混みそうだったので、近場で買い物をした。女の子の服屋に行った。藍凛が欲しそうにしていた服があったけど、値段を見て驚いた。これは高い。アルバイトがいるわけだ。
すごく似合いそうだし、俺が買ってあげたかったけど、俺の金はアルバイト代と殺しの報酬がごちゃ混ぜで、そんな金で買ったものを藍凛に着せたいとは思わなかった。
本屋にも行った。別れて本を見て回った。俺が読むのはだいたい新書サイズの学術書。大きいのは値段が高い上に場所を取る。俺のアパートは狭くて本を置く場所が少ない。
一時期引っ越しを考えたけど、偽造した身分で住所変更となると、かなり面倒そうなのでまだ学園には申請していない。
結局俺は一冊も買わなかったけど、藍凛はけっこう大きな本を買っていた。
「なに買ったの?」
「料理の本」
「え、まだレパートリーを増やすの?」
「いくらあっても困らないでしょ?」
それはそうだけど、この一ヶ月近くで、弁当のおかずで同じものが出てきたことは一度もなかった。
ゴールデンウィークが終わった頃から、俺は悪夢にうなされるようになった。悪夢の内容はいつも同じ。俺が誰かに殺される。ただし、死に方は毎晩違う。
俺は三十三人の少年たちの死にざまを知っている。そして、俺が殺した十三人の死にざま。四十六通りの死のレパートリー。これが一巡するまでの間に、俺は正気を保てるだろうか。いや、洗脳プログラムが発狂を阻むだろう。ありがたい俺の頭の中のプログラム。
俺は真夜中に飛び起きる。死の恐怖にがたがた震える。これはまずい。いま仕事に呼び出されたら、俺は恐怖で判断力が鈍るだろう。そんなことになれば間違いなく死ぬ。死にたくない。藍凛に会えなくなる。でも、藍凛に会いたいと願うほどに、俺の恐怖は深まる。堂々巡り。悪循環。俺はベッドの上で泣いた。
「眠そうだね。それになんだか疲れてるみたいだけど」
登校中に、藍凛に言われた。
「うん。ここのところ、ずっと寝不足で」
「どうしたの?」
「嫌な夢を見てさ、夜中に目が覚めちゃうんだ。それからなかなか眠れなくて」
「嫌な夢って?」
「俺が死ぬ夢」
「えっ……」
藍凛が足を止めたので、俺も止まった。
「どうしたの?」
「……彰、病院に行った方が……」
「いや、ただ夢見が悪いってだけだから。医者に笑われるんじゃないかな」
「でも……」
「それに、四月にあった頭痛と胸痛も全然なくなってるし。大丈夫だよ」
「そう……でも、なにかあったら絶対言ってね?」
「うん、言うよ。藍凛が看病してくれるの?」
俺が笑って言うと、間髪入れずに藍凛が言った。
「あたりまえでしょ」
あまりにも真剣な顔で言うので、俺はたじろいだ。
「……あ、うん。ありがとう」
その日は授業中眠くて仕方なかった。だけどそんなもったいないことはできない。昼休みに弁当を食べ終わったあと、藍凛が寝たらと言うので、机の上で寝てみた。あっと言う間に熟睡した。悪夢は見なかった。藍凛がそばにいてくれたからかもしれない。
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