第3話
放課後、学校の敷地外に出るとすぐに藍凛が腕を組んできた。まだ周りに大勢の生徒がいたけど、約束なので仕方ない。
「ねえどう? ほら、ほら」
またぐいぐい胸を押し付けてきた。
「ノーコメント」
俺は貫き通した。
「彰って不感症なの?」
「さあ、知らない」
俺は平板な口調で言った。そうでもして平静を保とうとしなければ、身が持たない。
おかしいだろう。なんでこんなに大きいんだ。藍凛は全体的にかなり小柄なのに、どうして胸だけこんなに量感があるんだ。ああ、般若心経でも覚えておくべきだったか……。
分かれ道で腕が離れた時はほっとした。
「じゃあね、彰」
「藍凛、ちょっと待って」
俺は藍凛を呼び止めた。
「え、なに?」
「昼のこと。本当に、大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。澄華ちゃんに比べたら全然……」
「夏木のことは関係ない。藍凛がどうなのか、俺は知っておかないといけない」
「んー。もう一回キスしてくれたら、平気かな」
「藍凛」
俺は低い声で言った。
「本当のことを、言うんだ」
「……」
藍凛の目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
俺は鞄を投げ捨てて藍凛に駆け寄り、その体を抱きしめた。
「こわ、怖かったの……あんなやつにキスされそうになって、本当にキスされちゃってたら、彰がもうあたしのこと見てくれなくなるんじゃないかって、もう、すごく怖かった……」
俺は藍凛の頭をなでた。
「ごめん。俺が遅かったせいで、藍凛に怖い目を見させた。ごめん」
「違う、彰が悪いんじゃない、ちゃんと間に合ってくれた、だから、だから……」
俺はそっと藍凛の頬を包むと、顔を寄せてキスした。たぶん、このキスは間違いじゃないと思う。
「彰……」
「俺は藍凛が好きだ。どこにも行ったりしない。あの野郎にキスされてたって変わらない。そんなの消えるくらい何回でもキスする。藍凛。俺は藍凛を離さない」
「うん……うん彰、あたしもずっと彰といる、彰……」
そう言うことだったのかと、俺は理解した。昼以降、やたらと積極的だったのは、あの野郎におそわれかけて、それで俺に嫌われるんじゃないかと思ってやっていたんだ。
俺は藍凛の頭をなで続けた。学校の生徒が何人か通りかかって、何事かとじろじろ見ていったけど、俺が睨みつけると足早に去っていった。
藍凛が少し俺から体を離して、俺の顔を見上げた。
「大丈夫?」
「うん……たぶん……」
「俺、もう少し一緒にいた方がいい?」
「でも、アルバイト……」
「電話して休めないかどうか聞いてみる」
「……電話して」
俺は藍凛から少し離れて、支給品の携帯電話を取り出した。電話をかける。相手が出るまでに少し間があった。
『……なんだ、少年A』
副学園長は不機嫌だった。この男は、イレギュラーな事態をひどく嫌う。まあ知ったことじゃない。
「所用で、今日のアルバイトはシフトを変えてもらいたいんですが」
恋愛と性能の向上とか言う戯言を信じているなら、無視できないはずだ。今俺がどう言う状況なのか、どうせ監視から報告がいっているだろう。
『……そんなもの、店長に連絡すればいいだろう』
「あ、そうでしたか。ではかけ直します。失礼しました」
『……待て』
副学園長の歯ぎしりが電話越しに聞こえてきた。ちょろいやつ。俺は音を出さずにせせら笑った。こいつ、寺島あたりには相当からかわれてるんじゃないか?
『……許可する。店長にも連絡しておく。ただし、土日の休みはないと思え。以上だ』
電話が切れた。最後のは学園長の真似か? 俺は鼻で笑った。
「藍凛、大丈夫だった」
「そう、よかった」
藍凛が涙を拭いた顔で微笑んだ。
「どうしようか」
「あの、あたしのうちにきて」
「え、いいの?」
いや、俺の狭いアパートに連れ込む方がまずいな。
「大丈夫。お父さんもお母さんも仕事で遅いから」
「そう」
いいのか悪いのか……。
藍凛の家は分かれ道から十分ほどだった。本当に近いな。
藍凛の家は二階建て。このあたりは土地が高いので、標準的な大きさだった。
「ただいま」
「お邪魔します」
俺たちはそれぞれ言って、藍凛の家に入った。
「そこで待ってて」
藍凛に言われて、俺は居間の座布団に座った。
生活感のあまりない家だな、と思った。よほどきれい好きなんだろう。きっと藍凛も掃除を手伝っているんだろうな。
とんとんと、藍凛が階段を下りる足音が聞こえてきた。居間にはこなくて、台所らしいところに入っていった。お湯を沸かしている音が聞こえる。ほどなくして、私服姿の藍凛がお盆を持って居間にやってきた。
「……」
俺は呆然として藍凛を見た。
なにこの可愛い女の子。藍凛だよな。それはわかる。だけど体に張り付くような薄いニットと、短いスカートが、それを隠しているものと、隠していないものが、俺の目を釘付けにした。
「どうかした?」
少し顔を赤くした藍凛が、座布団を一枚引っ張ってきて、俺のすぐ隣に座った。
「え、あ、いや、別に……」
藍凛が急須でお茶をいれる。
「はい。緑茶だけど、いい?」
「うん」
藍凛は自分の分のお茶をいれていた。
しばらく黙って、二人でお茶を飲んでいた。なにか言ってあげないと、と思うんだけど、どうにもうまい言葉が見つからない。駄目だな、なんのために藍凛の家まできたのか……。
「あ、あの……あのね……」
藍凛の顔を見ると、どう言うわけか真っ赤だった。
「あ、あたしのこと……お、お昼の時みたいな、エッチな女の子だって思われたくないんだけど……」
「そんなことは思ってないよ」
「あ、うん……よかった……で、でもね……でも……あたし、ちびだけど……ス、スタイルだけはちょっと、じ、自信を持っていいかなって……」
「うん。藍凛のスタイルは最高だよ。自信を持っていい。他の誰よりも、俺は藍凛の方が好きだ」
俺は真顔で言った。
「よ、よかった……あの、彰にだけはそう思ってほしかったの……よかった……」
「うん。……でも、できればその服で外を出歩いてほしくないかな……」
「え?」
「そんなに可愛い藍凛は絶対ナンパされる。もしかしたら俺よりずっといい男が言い寄ってくるかもしれない。藍凛がそいつのところに行っちゃうかもしれない。それは絶対に嫌だ」
「そんなことしない! こ、この服も彰に見せるためだけのだし! ……え、絶対嫌なの?」
「あたりまえだろう。俺は藍凛が大好きだ。……藍凛が俺を捨てたら、追いかけて殺しちゃうかもな」
まあそんなことは不可能だけど。俺は武器でも素手でも人を殺せるけど、自分で頭の中のスイッチを切り替えることはできない。
「あ……彰に殺してもらえるの……それは悪くないかな……」
なぜか藍凛がうっとりとしていた。
「いや、冗談だからね?」
「わかってるけど」
ころんと、俺のあぐらをかいた足の中に藍凛が寝転んできた。
「なに?」
「ちょっと甘えたいの。駄目?」
「いいよ」
俺が頭をなでると、藍凛は気持ちよさそうに目を細めた。
「あ、そうだ」
俺は前から疑問に思っていたことを突然思い出した。
「なに?」
「あの……全然関係ない話なんだけど……」
「うん」
「藍凛は、いつも教室の窓の外のなにを見ているの?」
「ああ……気づいてた?」
「実を言うとそれに気づいて、藍凛のことが気になって、好きになってた」
「そうなんだ。なんだかあたしと一緒だね」
俺もそう思っていた。
「なにって言うことはないんだけど。二階からじゃ、すぐに家にぶつかってその先は見えなくなっちゃうから。でもあたしは、見える範囲の家に少しだけ感じられる、生活の匂いみたいなものに憧れてたの。洗濯ものを干してたり、炊事や掃除をしてたり、小さい子が遊んでたり。……ちょっとこの居間、きれいすぎると思わない?」
「そうだね」
「実際に人が使わないからなの。両親とも朝は早いし夜も遅くて。全然話もできない。土日だって休日出勤か、疲れて倒れるように寝てるだけ。家族なんて気がしない」
「……」
「だからね、彰。あたしは彰と家族になりたい。彰の子供が欲しい。あ、あの、今すぐエッチしようとか、そう言うのじゃないから。でも、あたしは専業主婦で、彰がいて、子供がいて。三人で作る家族。あたしが見ていたのはそれ」
「……ああ。それは、すごくいいね」
俺は思わず口元がほころんだ。本当に、それは俺の望む夢の一つの形だった。
「そう? よかった」
藍凛が微笑んだ。
突然、頭痛と胸の痛みが俺をおそった。朝に感じたものと同じだった。
「……」
腰を下ろしていた分、耐えやすかった。俺は藍凛の頭をなで続けた。今、藍凛に余計な心労をかけたくない。
「……彰。顔色が悪い」
でも、ばれてしまった。そんなにひどい顔なのか……。
「横になって、すぐ」
起き上がった藍凛が座布団を重ねて枕代わりにした。俺はそこに横になった。あれ……朝よりひどいな、これ。
「彰、病院に行こう」
藍凛が真剣な顔で言うが、俺は首を振った。
「大丈夫だよ。すぐ治る」
「駄目。タクシー呼ぶから」
タクシーがくると、俺は自分で歩いて乗った。藍凛が肩を貸してくれたけど、身長差がありすぎて、俺が藍凛の肩に手を置いただけだった。
近くの総合病院に着いて、受付を済ませた時、俺は俺の体になにが起こっているのか、なんとなくわかってきていた。
心電図をとり、胸部レントゲン撮影をして、頭はCTスキャンもした。
結果はすべて正常。そうだろうなと俺は思った。
心因性の可能性があると言うことで、精神科に回された。
うつ病診断テストをして、問診も受けた。
うつではなく、統合失調症でもない。その他悪性な精神疾患の兆候もない。うつくらいは引っかかるかもなと思っていたけど、それもなかった。予想どおり。
待合室でずっと待っていてくれた藍凛のところに戻った。
「どうだったの?」
「いや、なにもかも異常なし。診察受けてる間に治ったよ。待たせてごめん」
「えっ……だって……」
「まあ念のために薬を出しておくって言われたけど」
受付に呼ばれて、会計をして処方箋をもらった。薬の名前を見たら、軽い精神安定剤だった。こんなもの、なんの役にも立たない。
隣の調剤薬局で薬をもらって、藍凛に声をかける。
「どうしよう? そんなに遠くないし歩こうか?」
「駄目。タクシー呼んでもらう」
まあ、藍凛には逆らえない。
先に藍凛の家に行って俺の鞄を取ってきた。そのあとは歩いてアパートに帰ろうとしたけど、また藍凛に絶対駄目と言われてタクシーで一緒に俺のアパートに行った。あまり場所を知られたくなかったけど、ここで固辞するのもおかしいだろう。
「彰、横になって」
「いや、治ってるよ」
「駄目」
今日の藍凛は頑固だな。
俺がベッドに横になって、すぐわきに藍凛が座っていた。フローリングに正座している。
「ごめん、友達がくるなんてこともなくて、座布団がないんだ」
「平気」
藍凛は真剣な表情をしている。
「ねえ、彰」
「ん?」
「……本当に大丈夫なの?」
「うん。大丈夫」
俺は嘘をついた。たぶん、俺は大丈夫じゃない。
「それより、病院で時間取られちゃったからもうすぐ暗くなる。藍凛は帰らないと。どうせ送らせてはくれないんだろ?」
「うん……わかった。今日は帰るね。……なにかあったら、すぐ連絡して」
「うん、そうする」
藍凛を見送ったあと、俺はポケットから支給品の携帯電話を取り出した。藍凛が近くにいなくなっても、未だに鳴らない。そもそも病院に入った時点で学園が介入してこなかったので、俺にはわかっていた。
これは学園にとって想定された事態。俺たちがこう言う不具合を起こすのを承知して、実験動物みたいに観察しているんだろう。
原因として考えられるのは、俺たちに組み込まれた洗脳プログラム。他が正常なら、こいつがバグを起こしているとしか思えない。
学園に泣きついてもどうにもならない。頼みの綱は一人だけだった。俺は携帯電話を放り投げて、スマートフォンを取り出した。
『よう、岡野。昨日の今日でどうした。なんかあったか?』
「ああ、ちょっと一発殴られてみようかと思ってさ」
『あん?』
俺は寺島に今日の出来事をかいつまんで話した。
『……ああそう。キスしたの。そう。うん、今度会ったら殴るからな?』
「楽しみにしてるよ。それで、こっちが本題なんだけど」
『あ?』
俺は自分の体の不調を寺島に伝えた。
『……早いな。異様に早い。岡野、おまえ下手すると一ヶ月かそこらで生死の境をさまようことになるぞ』
生死の境か……。
「寺島はこれをくぐり抜けたのか?」
『まあな。それで少年Bまでのし上がった。恋愛の推奨と性能の向上って戯言だな』
「戯言が戯言でなくなったわけか」
『ああ。岡野、俺が言えるのはあと一つだけだ。他は学園に口止めされてて話すことができねえ。例の洗脳プログラムのせいでな』
「わかっている」
『よし、いいか。これはもう死ぬなって思った時に、俺に電話しろ。その時は学園でもかまわねえ。最後の段になれば連中でも回答を寄こす』
「必ず寺島に電話するよ」
『……ああそうだ。今度岡野の彼女連れてこい。少年Aをそこまでイカれさせた女を見てみてえ。ああ、俺も女連れていくから。それで殴るのはチャラにしてやる』
「ああ、楽しみにしてるよ」
『俺たちがダブルデートなんて馬鹿くさいが、まあどいつもこいつも狂ってるんだ。これくらいかまわねえだろ。じゃあな』
最後は淡白に電話が切れた。
ダブルデート。楽しそうだ。だけど、それが実現することはなかった。少なくとも、俺たちが望んだ形では。
今日の課業をこなす。いつもより早く終わらせた。手を抜いたわけじゃないけど、いつもより早く終わらせようとしていつもより早く終わった。
ベッドに横になる。考えたのは、夏木のこと。これも不誠実と言うものだろうか。
恐怖と絶望。一年前、強姦されかかった夏木の瞳に浮かんでいたもの。そして、今日の夏木の瞳にも未だに宿っていたもの。
恐怖と絶望。俺たちが十三歳から十五歳まで味わい続けたもの。
俺たちが覚醒した時、おまえたちは十三歳だと言われた。嘘か本当かわからない。なにしろ、俺たちにはそれ以前の記憶がまったくなかったからだ。
俺たちは番号で呼ばれた。一から四十まで。その頃はまだアルファベットで呼ばれていなかった。まあ単にアルファベットでは数が足りなかったからだろう。
洗脳プログラムはとっくに俺たちの頭の中に組み込まれていた。学園の人間――先生と呼ぶよう強要されていた――に反抗することはできない。
たぶん、俺たちに施されたのはMKウルトラ計画を推し進めたような処置だろう。LSDかなにかの幻覚剤を連続投与して、記憶を消去、洗脳する。精度はともかく、結局は大昔に確立された技術にすぎない。
俺たちが目覚めたのは、絶海の孤島だった。今でもそこがどこなのかわからない。
だけどそこは、学園だった。校舎があり、体育館があり、グラウンドがあり、宿舎があった。
校舎は小さい。一クラスしかないからだ。そこに四十人が詰め込まれた。
初めての授業――としか呼びようがないもの――の時、俺を含めて五人の番号が呼ばれて、立つように命じられた。もちろん俺たちはその通りにした。
そして、おまえたちの顔は整形されている、と言われた。
なんのことかわからなかったけど、十三歳の子供でもわかるように親切丁寧に説明がされた。俺たち五人の顔は、特徴を削り取り、個性を除去したものだと。どこの誰とも区別のつかない地味で目立たない顔にしたものだと。
なんでそんなことをわざわざ説明するのか意味がわからなかった。俺はどっちみち自分の過去の顔、本物の顔を覚えていない。それなら、今の顔が俺の顔だ。
だけどそれは、心理的ストレスを測るテストだった。本物の顔と言う、アイデンティティに大きく関わるものをすり潰された人間が、どのように反応するか。
確かにそれは、じわじわとと俺たち五人の精神を蝕んでいった。そして、十五歳の時に二人が死んだ。俺は他の二人とともに生き残ったけど、自分の顔に対するコンプレックスは根強く残っている。藍凛の好意がなかなか信じられなかったのは、このためだった。俺の顔は、本物じゃない。
だけど、こんなものは序の口だった。俺たちは座学で知識を叩き込まれ、体育館かグラウンドで実践させられた。すべてが、人を殺すためのものだった。そして学園島には、木造ナイフもペイント弾も存在しない。真剣を持ち、実弾の入った銃を担いだ。
一応刃物は寸止め、銃は相手の足元に撃つと言うルールがあったけど、誰もそんなことは守らなかった。寸止めしたあげくに反撃されたら死ぬかもしれない。弾丸を足元に撃っても相手が撃ち返してこないとは限らない。
結果として、実践になると四十人が殺し合う羽目になった。二年目の十四歳の時、十六人が生き残っていたのは奇跡のようなものだろう。
一年間の戦争をくぐり抜けてきた十六人は、さすがに精強だった。実弾を撃ち合っても、簡単に死人は出なかった。
そのあたりを先生たちは評価したのか、より実戦に近い状況に俺たちを放り込んだ。俺たちにとっては、授業がさらに過酷になっただけだった。
グラウンドの土は重機で削ったり盛ったりしていた。植樹もされた。体育館には板が建てられ、擬似的な建物として扱われた。
十四歳、十五歳と通じて、もっとも多く行われたのが体育館の中の建物での戦い、室内戦だった。建物の中の部屋数はだいたい四つくらい。そしてそのほとんどの場合、状況は多対一。つまり建物内に複数人が待ちかまえているところに、単独で突入する。
奇襲ならともかく、自殺行為だった。最初に何人も死んだ。
だけど一人が生き残ると、なにもかもが変わった。そいつは巧みに動き、二人に弾丸を当てて行動不能にした。そこで、訓練の終了が告げられた。
俺たちはその様子を体育館の二階席で見ていた。そのように指示されていたからだ。だから、そいつの動きを真似ようとした。同じ状況は二度と起こらないけど、そいつがどう言う意図で動いていたのかを考えて、切り抜けようとした。
そいつは俺たちのヒーローだった。現在の名は少年B、いや、寺島拓哉。あの地獄の中に舞い降りた最強の戦士。俺たちの憧れ。なぜ学園島卒業時の序列が、俺が少年Aで寺島が最後のGだったのか、今もわからない。
三年目、一五歳になった時、俺は別の問題を抱えていた。一部の少年に対して、攻撃を躊躇してしまう。それをやるたびに、先生に死ぬほど殴られた。
そのあとは、総合病院並みの保健室で手当てを受けた。宿舎まで送ってもらって、ベッドに横になる。授業が終わったあと、俺のところにきてくれた少年は四人。みんな、本物の顔をなくした少年たちだった。
この島にいる少年全員が兄弟同然だけど、俺たち五人はそれとはまた違う特別な絆があるように感じていた。俺の本物の顔はどこだって言う絶望。徐々に心が蝕まれていく恐怖。それを理解できるのは、俺たち五人だけだった。俺は、顔なし仲間を撃つことができなくなっていた。
いいから撃てと言われた。できないんだと答えた。先生に殺されるぞと言われて、それも悪くないなと答えた。そうしたら、ずるいぞと言われた。俺たちの洗脳プログラムは自殺さえ許さない。どんな地獄を味わっても、死に逃避することもできない。俺だけ先に死んで楽になるなんて、ずるいと言うわけだ。
わかったと俺は答えた。その代わり、容赦しないぞと俺が言うと、みんな笑った。明日には俺たち五人で殺し合うかもしれないのに。でも、俺も笑った。
室内戦は目覚ましい進歩を遂げた。寺島は、八人が待ちかまえる建物内に突入し、その八人を圧倒した。ほぼ同等の性能であるはずなのに、八人全員が行動不能にされた。死人が出なかったのは、おそらく寺島が手加減をしたせいだろう。ここでは褒められたことじゃないけど、先生もそれを黙認した。それくらい、寺島は強かった。
残りの俺たちも、寺島に追随する形で手際がよくなった。多対一の状況で、互角に渡り合えるようになった。
学園島卒業を三ヶ月後に控えた頃、戦闘訓練の終了が告げられた。あとは座学だけだと言う。
それを聞いた時、俺は泣いた。他の二人も泣いていた。顔なし五人のうち、二人が三日前に死んでいた。自殺だった。
俺たちは自殺ができない。だけど、あの二人はそのルールをかいくぐった。戦闘の授業中、お互いの喉をナイフで突き合った。つまり、お互いで殺し合った。それは、俺たちの洗脳プログラムに抵触しない。
ずるいぞって言ったくせに。俺は机の上にぼろぼろと涙をこぼした。
それからの三ヶ月間は、言ってみれば天国だった。島の外のことをなにも知らない俺たちは、普通の人間が暮らしている社会に溶け込めるように、様々な知識が教えられた。まあ実際、俺たちは普通の人間と言うものの存在さえ知らなかった。
二ヶ月間、俺たちはいかに異常な環境に自分たちがいたのかを知った。腸が煮えくり返り、ここにいる先生どもをぶち殺してやりたかった。だけど、洗脳プログラムがそれを阻んだ。
最後の一ヶ月間は、本当に普通の勉強だった。高校一年生程度の学力を身につけるために、優秀な講師陣に促成栽培された。
俺は勉強が大好きだった。なにをやらされても新鮮で面白かった。三年間の高校を卒業して大学受験に合格すれば、もっと勉強ができると言う。ぜひ大学にも行ってみたいと思った。まあ、今の成績だとかなり厳しいと思うけど。
最後まで生き残ったのは七人。少年AからGまで。A、B、Cを俺たち顔なしが占めていた。整形と性能になにか相関関係があったのかもしれないけど、わからない。
そして俺たちは学園島を卒業した。一人ずつ、手足を縛られ目隠しをされ、全身麻酔をされて、ヘリに乗せられて運ばれた。
そして今、俺はここにいる。高校受験をすることなく、入学式にのうのうと出席した。高校受験の試験を受けてみたかった。
恐怖と絶望の三年間。決して忘れることはできなかった。夏木は、忘れることができるといいんだけど。
藍凛のことを想う。俺はベッドから体を起こして腰かけた。
俺は藍凛のことが好きだ。愛していると言ったっていい。その言葉の本当の意味を、俺が理解できているかどうかは疑問だけど。
不誠実。馬鹿げてる。俺は藍凛に、何一つ本当のことを話していない。高校一年の間に、俺は九人の人間を殺した。高二になって四人。恨みもなにもない。ただ命令された仕事をこなした。それだけ。
仕事には一応報酬がある。普通の高校生からしたら、それなりの額。学園の口座に入っていて、いつでも引き出せる。でも俺は必要最小限度の金しか下ろさなかった。どうせ全額使ったって自由は買えない。
藍凛。俺は両手で顔をおおった。愛しい名前。だけど俺は、藍凛の隣にいるのにふさわしくない。ふさわしくないどころじゃない。害悪だ。
俺の顔は本物じゃない。名前は適当に付けられたもの。本当の歳さえわからない。なにもかもが偽物だ。少年A。どこの誰でもない、ただの記号。
でも、藍凛はこんな偽物のことを好きだって言ってくれた。俺の告白にこたえてくれた。それがどれほど嬉しかったか、藍凛にだってわからないだろう。
ああそうだ。俺はなにもかもが偽物。だけど藍凛のことが好きだって言うこの気持ちだけは、絶対の真実。学園のやつらが俺の頭の中をどれだけいじくろうが変わらない、本物の俺の心。
藍凛。早く会いたい。藍凛の笑顔を見たい。藍凛を抱きしめたい。藍凛にキスしたい。
……ああいや、学校で毎日キスをするわけにもいかないな。そう言うのは週末まで我慢しよう。あ、けどこの土日はアルバイトか……。禿げ副学園長め……。
俺は悶々として、なかなか寝付けなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます