第192話
さて。
婚姻届は出した。
婚約指輪も買った。
やるべきこと、いや、やれることはすべてやった。
あとはただ、裁可を待つだけである。
誰の――。
「陽介、廸ちゃん、話とはいったいなんだ。こんな駅前の喫茶店にまで呼び出して。いったいどういうつもりだ」
廸子の雇い主にして俺の姉貴。
マミミーマートの店長。
そして、玉椿町を裏から牛耳ろうとしている女傑。
豊田家が産んだ麒麟児、豊田千寿である。
彼女を家でピックアップして、俺と廸子はとんぼ返り、何かあったらここというお得意様の喫茶店に入って、ずずりとコーヒーを啜っているのだった。
まぁ、なんだ。
それとなく話を察してくれるように、それらしい空気は出していたのだけれど。
これ見よがしに左手薬指に指輪を着けていたり。
二人して前に座っていたり。
席も隣に座ったり。
あと、廸子がしれっとレモネードを頼んでいたり。
ランチという体を装ったのでご飯も頼んだのだけれど、ランチプレートの唐揚げに付いてきたレモンをこれでもかと食べてみせたり。
なのに、このセリフはないんじゃないだろうか。
ついに女やもめが行きすぎて、心まで不感症になってしまったのか。
もうちょっと、女性の心が分かるだろうと思っていたのに、どうしたのだろう。
これで――実は俺たち二人で夫婦漫才でもして食べていこうと思うんです、なんて話でもすると思っていたら目も当てられないぞ。
逆に姉貴の頭が心配だわ。
というか、気づいて。
俺たちもまずはそっちがそれとなく、気づいてくれるのを期待しているの。
その時だ、ふっとババアが唇の端をつり上げたのは。
「まったく、お前達も仕方のない奴だな。言いたいことがあるのならば、このような回りくどいことをしなくても、直接言えばいいだろうに」
「……千寿さん!!」
「……姉貴!!」
まさか、全部気がついて。
そうだよな、姉貴はなんだかんだと言って既婚者。
既に、男と女の仲を経験したことのある向こう側の人間。
そんな人が、俺たちの意図をくみ取れないはずがない。
彼女は最初から分かっていたのだ。
この喫茶店に呼び出された意味を。
しかも、俺たち二人が連れ立って来た意味を。
「三人でなければできないことがあったんだろう。分かるさ。陽介、廸ちゃん。この喫茶店に入った瞬間、私も覚悟を決めた」
「姉貴!! すまない!! こんな回りくどいことをして!!」
「千寿さん!! やっぱり千寿さんは全部分かっていて!!」
「いい。分かった。お前達が言いにくいのなら、私から言ってやろう」
そう言って、姉貴はゆっくりと手を上げると――。
「すみませーん、こちらのジャンボびっくりバケツパフェ一つお願いします!!」
寝ぼけているのかというような見事なボケをかましたのだった。
ジャンボびっくりバケツパフェて。
確かに、このお店の看板メニューで、多くの女性達がチャレンジする奴だけれども。ご家族やご友人でお頼みください、食べ残し厳禁な奴でございますけれども。
違う、そうじゃない。
そうじゃないんだよ、姉貴。
そんなことしに喫茶店に入った訳じゃないから。
しかもなんでそんなわくわくした目をしているの。
ちぃちゃんみたいな、わくわくした目をしているの。
俺、今日初めて、あぁ、この人、やっぱりあの娘の親なんだなって思ったわ。
わくわくしたときの顔がそっくりすぎるよ。姉貴。
「今日はこれを食べに来たんだろう。この喫茶店の名物だものな。私も、久しぶりに食べてみたいと思っていたんだよ」
「いや、あの、姉貴?」
「千寿さん?」
「ちぃが大きくなったら一緒に食べに来ようと思っていたんだ。美香を誘っても良かったんだが、実嗣の奴がもれなく付いてくるだろう。パフェ食ってる時にそれ以上に甘ったるいもんはな。それで、我慢してたんだよ。そしたらこのお誘いだ」
正直、今、私はどきどきしているよと、姉貴。
ここ数年来というもの、常に仕事で気を張っていた女が、久しぶりに乙女みたいな顔してそこに微笑んでいた。
うわぁ。
まぁ、姉貴ってば確かに昔から、甘い物には目がない感じだったけれど。
けれどこんないい顔するなんて。
しかも、こんな喜ぶなんて。
計算外だったわ。
完全に連れてくる店間違えたわ。
ジャンボびっくりバケツパフェですね、少々お時間いただけますかーと問うてくるウェイトレスさん。いえ、その、違うんですと断ればよかったのだが、目の前の姉貴の、期待する視線を俺も廸子も裏切ることは出来ない。
仕方ない、これはもう、説明するための必要経費。
俺と廸子はとりあえず、ジャンボびっくりバケツパフェを食べることにした。なに、これで姉貴の機嫌がよくなるのなら、それに越したことはないのだ。
どうせこれから、修羅場になるのは間違いないのだから。
「いやぁ、楽しみだな、バケツパフェ。こんなことならば、ランチプレートも控えめにしておくべきだった」
「……そ、そうですね」
「……姉貴!! 違うんだ!! そうじゃなくて!!」
「待て、みなまで言うな陽介。ジャンボびっくりバケツパフェが本題でないことは私も分かっている」
なんだって。
やっぱり俺たちの話の主題を分かっていたのかババア。
そんな、それじゃぁ、こんなアホみたいな注文をしたのは、全部俺たちの間にある緊張感をほぐすためだというのか。
やはりできる経営者。
一代で玉椿町にコンビニ文化を定着させた女。
荒ぶるキャリアウーマンにして一児の母。
俺は、姉貴のことを侮っていた。
「廸ちゃんと、お前の格好を見れば分かる。それに、最近の廸ちゃんの働きぶりを見ていれば自ずとな」
「気づいていたんですか、千寿さん!!」
「私を誰だと思っているんだ。これでも、一児の母なんだぞ」
女性のことくらい分かるさ。
そう言って、耳元から伸びた髪を撫でるババア。
だよな。
そうだよな。一児の母だものな。
廸子の不調とか見ていれば分かるよな。だいぶ無理して、仕事してたものな。
妊娠初期の方が、割と大変だっていうものな。男の俺には絶対に分からないけれども、女の姉貴には、その辛さがきっと分かっていたんだろうな。
ごめんな、姉貴。
ずっと気づいていたのに、黙っていてくれたんだな。
やっぱり、姉貴は、俺たちのことをちゃんと見守ってくれていたんだな。
ありがとう、ありがとう、姉貴――。
そんな感謝と共に、姉貴を見ると。
思った以上にアホっぽい顔をしていた。
これは分かっていない顔だった。
「京都に旅行に行ってきたんだろう? そんな安っぽいシルバーアクセサリーなんてつけて? まったく、二人で遊びに行くのは結構だが、仕事に支障がでないようにしてくれよ? まぁ、仲いいことは結構だがな」
違った。
まーた違った。
なんだ今日の姉貴のボケ倒しっぷりは。
ついにあれか、働き過ぎでいろいろおかしくなったか。
だが、なんにしても、これだけは言っておかなければなるまい。
「「シルバーアクセサリーじゃない!! これ、結婚指輪です!!」」
「……えっ?」
「「さっき町役場で婚姻届出してきました!!」」
「……えぇっ!?」
「「あと、凄くこれ言うの迷いましたけれど、お腹に赤ちゃんがいます!! 病院はまだだけれど、たぶん妊娠三ヶ月です!!」」
「……よ、陽介の子なのか!?」
「「でなきゃ結婚してないでしょ!!」」
えぇ、えぇえぇ、という顔をして、その場で肩を落とす姉貴。
わたわたと、右左を見渡してから、彼女は――これまた今まで見たことない、狼狽えた顔で、俺と廸子に言った。
「今日、エイプリルフールだったっけ?」
「「現実をちゃんと見て!!」」
狼狽えすぎだろババア。
いや、気持ちは分かるけれども。
そういう目に遭わせたのは俺たちだけれど。
それでももっとこう、大人としての余裕みたいなのを見せてちょうだい。
違う意味でびっくりするわ。
もう、ほんと、勘弁してくれ。
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