第191話
玉椿町の町役場は寂れている。
職員は基本的にはここ数年ほぼ変わって居ない。
人員削減のせいか人口減少のせいか、減る一方。
一番若い人でも、顔見知りなんだから本当にこの町はどんづまりだな。
そして、そんな顔見知りしかいない所に廸子と二人で顔を出したら、そらまぁ、ちょっとした騒ぎになる。
なまじ親父と誠一郎さんが消防団やってることもあるのでね。
俺も団員ですのでね。
まぁ、お付き合いはあるんですよ。
マミミーマートも、町役場からいろいろと仕事を貰っているのでね。
廸子もまた顔は知られている訳ですよ。
そしてまぁ、町役場の人たちの半分以上は、町人な訳ですよ。
俺たちのことを見守ってきたおじちゃんおばちゃんたちな訳ですよ。
俺たちが足並み揃えて町役場に入ってきた瞬間、総立ちになって、ざわめき出すのは仕方ないというか、大げさだろと思いつつ予想はしましたよ。
この田舎の妙な連帯感よ。
「……バカな!! 陽介くん、ついに責任を取る気になったのか!!」
「責任を取る前にまず誠一郎さんに殺されてくるのが筋じゃないのか!!」
「ニートの癖に町役場にやってくるとは、貴様正気か!?」
ひでえ言われよう。
二人で町役場に顔出しただけじゃん。
違う要件かもしれないじゃん。
廸子の奴が完全にテンパってゆであがってるから言い訳できないけど。
これで、すみません、青色申告しに来ましたとかとぼけたこと言ったら、逆に顰蹙買うことになるんだろうな。
まぁ、ニートなんで申告する必要ないんですけれどね。
ぽかんとした顔をして、狼狽える町役場の人たちを見守る俺。
その時だ、カンと町役場の床を叩く音がした。
音が響いた方向を見れば、そこには――白い頭巾を頭に被った老婆が。
「鎮まれ皆の者!! これしきのことで玉椿町役場の者が狼狽えるなゃ!!」
「あぁ、その声は――オババ様!!」
「お局様を通り越し、役場のご意見番の地位を確固たるものにしたオババ様!!」
「再雇用で清掃員として働いているものの、あまりにも事務に精通している上に、誰よりも行政の書類仕事に長けているために、すみませんちょっと教えていただけませんかと、今や役場のセンター長よりも崇められているオババ様!!」
ははぁ、と、役場の職員達がひれ伏したのは、里中のばーちゃん。
俺が子供の頃から玉椿町役場で働いている、そして、今もなんかしらんが出入りしているウルトラスーパーお役人であった。
彼女は、床を叩いたモップを壁に立てかけ、ゴム手袋を外すと俺たちの方にやってくる。そしてその皺深い手をこちらに差し出すと、俺に手を差し出してきた。
深い眦には、ほんのりと涙が浮かび上がっている。
祝福の表情がその奥底にはたゆたっていた。
「でかした、豊田のせがれ。お前さんついに覚悟を決めなさったか。よう決めた。それでこそ玉椿男の子じゃ。よう決めた」
「なんですかね、このよく分からない茶番劇」
「オババ様、今年に入って初の婚姻届受理だからって、テンション上げなくても」
「お体に触りますよオババ様。気持ちはよく分かりますが」
「この少子高齢化が進み、未来なき玉椿において結婚を選んだお主の勇気を、このオババは認める。豊田の倅陽介よ、そして、神原の娘廸子よ、お主達の婚姻届の受理手続き、このオババがしかと務めてみせようぞ」
「「いやだから、なんなのこの茶番!!」」
オババ様は正規の職員じゃないんだから、そんな出しゃばっちゃダメでしょ。
いいから正規の職員がいる受付に案内して。
婚姻届を出しに来たのは認めるからさ。
なにこの辱め。
職員一同が見守る中、そういうのいいですからとオババ様を振り切って、俺と廸子は婚姻届を提出する住民課へと向かったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「うん、書類に不備はございませんね。訂正箇所もありませんし、これで書類の提出は問題ありません。ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「……はぁ、まじで疲れた」
万雷の拍手が飛び交う町役場。
今年初めての婚姻届ということで住民課でも処理が手間取った。
気がつけば、かれこれ一時間である。
そして、後ろからチラチラとオババ様が作業をのぞき込んできては、そこはこうじゃ、あの書類じゃ、こう書くのじゃとうるさかった。
さらになんか他の職員も、あぁでもないこうでもないと割り込んできて。
もうなんていうか勘弁して欲しかった。
たかが婚姻届提出じゃないのよ。
なんでそんなにはしゃぐ必要があるかね。
町の奇祭か何かかよ。
静かに結婚くらいさせてと思ったが、町の住人の善意を無下にすることもできず、結局、流されるままに慌ただしい感じの手続きになってしまった。
まぁ、祝福されるのは悪い気分じゃないけれど。
「皆の者!! よく見よ!! ここに豊田の倅陽介と、神原の娘廸子の夫婦の約定が交わされた!! みな、この書類をとくと目に焼き付けるがよい!!」
「「「ははぁ!!」」」
「ははぁじゃねえよ!!」
「……やめてぇ、いや、もう、ほんとちょっと勘弁してぇ」
「よいか二人とも!! この誓紙に違わぬよう、健やかなる時も病めるときも、世紀末もサイバーパンクも、共に歩んでいくのじゃぞ!!」
「「「新婚さんを讃えよ!!」」」
「讃えなくていいよ!!」
「出生届の提出もお待ちして居るぞ!!」
「「「もうできてるかもしれないけれどね!!」」」
「うっせー!! 市役所の方に行くぞ、この浮かれポンチども!!」
お幸せにと送り出されて俺と廸子は町役場を出た。
ホント、次は市役所の方に行こうかな。
たかが町人が結婚するだけで、大げさ過ぎるんだよ。
こんな騒がしい結婚なんてあります。
もっとこう、淡々と、そしてなんかしっくりとやるもんじゃない。
昭和の映画みたいな感じに、なんか暗めの感じでやるもんじゃないの、こういうのってさ。情緒もへったくれもないんだから。
廸子を伴って車に乗り込む。
本当に疲れたのだろう、助手席に座るなり廸子は、ふへぇと深いため息を吐き出してその場に肩を落とした。
おつかれさま、と、声をかけると、ふるふると顔を横に振る。
手続きの最中ずっと赤かったその顔。まだその熱気が抜けきっていないのだろう、桃色の顔をこちらに向けて俺の幼馴染み――妻は微笑んだ。
「なんか凄い歓迎のされ方だったな。こっちが申し訳なくなるくらいだったよ」
「マジでそれな。ほんと、これくらいのことで大げさなんだよ」
「まぁけど、結婚式は無理だし、大勢の人に祝ってもらえて結構嬉しかったり」
「廸子ちゃん、いつのまにそんなに逞しくなったの。俺はもう、恥ずかしさで今すぐ逃げ出したい気分だったよ」
どっかの誰かに散々セクハラかまされて鍛えられましたから。
そう言って、どや顔をかます妻。
あぁ、はい、それはどうも、失礼いたしましたとしか言えん。
けれどもあんなモブフラッシュみたいな大がかりなセクハラはした覚えないぞ。
ほんと、頼もしいやら、逞しいやら、いじらしいやら。
しかし、結婚式できなかったから嬉しかった、か。
その言葉はちょっと、俺の心臓を締め付ける。
「……やっぱ、結婚式したかった?」
「まぁー、そりゃー、女の子の夢だからねー」
「……金貯めて、落ち着いたら、時期を見計らってやろうか?」
「いいよ別に。しばらくは子育てでそんな余裕ないだろ。こうして市役所に書類を出しに行くだけで、いっぱいいっぱいだった訳だし」
そう言って、廸子は俺から視線を逸らす。
熱っぽい顔のまま、彼女は左手をゆっくりと持ち上げると、その薬指にはまっている安っぽい指輪を眺めた。
俺の薬指にはまっているのと同じ、簡素なシルバーリングを――。
「今は、これで充分幸せだよ、私は」
「……ごめんな廸子」
「謝ることなんてなんもねーだろ。何を勝手におセンチになってんだよ」
オラと、俺の肩を殴る廸子。
そうだな、勝手におセンチになっても仕方ないよな。
二度目のごめんを告げると、今度は彼女は何も言わなかった。
ゆっくりと車を発進させれば、オババを筆頭に、町役場の職員が、全員集まって俺たちに向かって手を振っていた。
あんたらねぇ、仕事をしなさいよ、仕事を。
まったく。
「幸せになろうな、廸子」
「……おう!!」
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