第178話

 俺の名前は本田走一郎!!

 鈴鹿の某企業に勤めながら夜学に通う勤労学生!!

 仕事をしながら学業も両立するのは大変!! けれど、俺の家がやっている会社は若い頃から磨いたセンスが必要とされる、職人気質な会社なんだ!!


 お父さんは、お前は経営を勉強しろと言うけれど、俺はそうは思わない!! やはり会社の根幹に関わる技術を理解していないと会社の運営をするのは難しい!! そう、技術を知らずして経営はできない!!


「お父さんとお爺ちゃん、二人の意思を継ぐためにも僕は職人になるんだ!!」


「……走一郎」


「よく言った。それでこそワシの孫じゃ」


 だから、僕は今日も会社で働きながら勉強する!!

 大丈夫だ、大学試験を受ければ、夜間学校卒でも大学入試の許可は出る!!

 うちの会社は福利厚生もしっかりしているから、大学に通うという理由で休職もすることができる!!


 最悪、一旦辞めてグループ企業を経由して、戻ってくるという手もありだ!!


「とにかく、若い内にやれることを全部やっておく!! そんな努力を日々積み重ねていくことが、きっとうちの会社の未来に繋がるんだ!!」


 そう、僕は信じている!!


 信じているんだけれど――!!


◇ ◇ ◇ ◇


「お兄ちゃん、ごめんね、急に相談に乗ってもらっちゃって」


「ん、おー。ちょうど、学校終わりで帰る途中だったからいいよ。てか、玉椿の外で会うのははじめてじゃない? いい喫茶店だね、ここ」


「そうだね。旅行で一緒に志摩には行ったけれど、はじめてかもね」


 旅行の日から三日が経った。

 俺と走一郎くんは、いつもならマミミーマートで会うところを、今日は内密の話があるということで、彼の行きつけの喫茶店に集まっていた。

 若いのにいきつけの店とかすごい行動力だな。


 さて、まぁ、落ち着いて話をしているように装っているが。


 実際の所、心はそぞろもいいところだ。


 廸子から相談を受けた内容には、まだ確定的なことは何もいえない。

 なのでひとまず棚上げ。

 診断ができるまで待つという話になった。


 漫画などでよく見る例の診断キット。

 それで陽性が出たら、ちゃんと病院に行って検査。


 とはいえ、もう、確定的なのではないかなと思っている。

 妊娠初期の症状である、悪阻とすっぱいものを求める傾向は廸子にはっきり現れているし、なにより、微妙に体重が増え始めているのだ。

 もっとも、それが妊娠の間違いない証拠だと、言い切れる要素はないが。


 こんなことなら、姉貴の妊娠初期にもっと立ち会っておけばよかった。

 そうすれば、何か気がつけたかもしれないのに。


「……したって、もっと早く気づいてやれよ。廸子に、あんな顔させちまうなんて、俺は、本当にダメな奴だ」


「……お兄ちゃん?」


「あっと、ごめん、走一郎くん。なんだったっけ?」


 もぉ、真面目に聞いてよ、と、怒る走一郎くん。

 心ここにあらずで違うことを考えていた俺が悪かった。とはいえ、彼女が妊娠したとあっては、平静でいろというのが難しいだろう。


 廸子のお腹の中に、俺の子供がいるかもしれない。


 男だったら、それは素直に喜ぶべきことだろう。

 事実、あの夜、彼女にそのことを告げられた時、俺は――自分の感情はとにかくとして、そう振る舞った。


 そう。

 自分の感情を押し隠して、そう振る舞った。

 廸子相手にそんなもの通じるだなんて、思ってもいないけれど。


「だからお兄ちゃん!! 話、聞いてる!!」


「ご、ごめんごめん。いや、やっぱ訓練に通い出してから、ちょっと疲れててさ。自分でも、ちょっとほわほわしているなと。それで、えっと、なんの話だっけ?」


「このまま夜学に通いながら仕事してるだけでいいのかなってこと!! 前の旅行で思ったんだ、やっぱり、なんていうか、僕もそういう年頃の男の子みたいなことをちゃんとした方がいいのかなって!!」


「具体的には?」


「えぇっ!? そ、そんなの、夏っちゃんと、その、デートしたり。あと、その、二人でこう、いろいろしたり――って言わせないでよ、お兄ちゃん!!」


 ははは、可愛い奴め、走一郎くん。

 前の旅行であれだけ見事な尻のしかれ方を見せておいてやっぱり好きなのか。

 お主もなんだかんだで、幼馴染みに対する思いやりの深い奴よのう。


 とはいえ、そのいろいろしたりについてはちょっと俺もお答えしかねる。

 なんというか軽々しく答えたばかりに、彼らの人生までゆがめてしまうのではないかと、そういう危機感を抱いたからだ。


 俺たちはまだいい。

 結構いい歳した大人達である。

 責任を取るという形で、すべて解決できる。


 いろいろと複雑な感情を抱えてはいるけれど。


 けど、彼らはどうだ。

 まだ未成年ではないか。


 自分たちで自分たちの尻を拭えるかと言われれば微妙。

 大人達に許可を貰わなければならない年齢だ。


 間違いがあってはならない。

 自分たちで自分たちの尻を拭うには若すぎる。

 どうやっても周りに迷惑をかけることになってしまう。


 それがわかりきっているのだ。


「その、僕も、夏っちゃんのことは大切に思っているし、彼女さえよければ付き合いたいなとか、そんなことを思っているんだ。けどさ、けどさ、やっぱり、僕たちはまだ学生だし、若いじゃない。だからやっぱり」


「節度のある付き合い方をした方がいいとは思うな。確かに、走一郎くんは働いているし、実家も裕福だ。けれど、やって良いことと悪いことはある。夏子ちゃんのためにも、君のためにも、そこはよく考えて行動するべきだと、俺は思うよ」


「……お兄ちゃん」


 驚いた顔をする走一郎くん。

 どうやら彼が期待していた答えと、俺の出した答えは違っていたらしい。


 けれどもここで無責任に、若者の無軌道ぶりに任せて好きなことやってしまえばいい。どうせ親が面倒見てくれるんだから、なんて、間違っても言えない。


 それは大人の言葉ではなかった。


 どんなに気をつけていても間違いは起こる。

 二人の愛を確かめるために行ったそれでもだ。

 きちんと、お互いの未来を考えて、やれることはやっていた。

 なのに、想定していないことは普通に起きる。


 避妊具を使っても妊娠する確率というのはゼロではない。

 それは知っている。正しい着用法を知らないばかりに、そのようなできちゃった婚が毎年何百件も発生すると、俺も後で知った。


 なってしまってからでは遅いのである。


 責任の取れない内は、やはり――。


「やっぱり、ダメかな。夏っちゃんと、必要以上にベタベタするの。手を繋いだりするくらいは、別にしてもいいかなと思っていたんだけれど」


「……うぅん、可愛い反応」


「もし、夏っちゃんの学校の人に一緒にいる所を見られたら、彼氏とか言われてからかわれることになっちゃうし。それに、僕みたいな子が、なっちゃんの彼氏だなんて釣り合いが取れてないよね。夏っちゃんお洒落だし。幼馴染みだから、こうして付き合ってくれているけれど、本当はどう思ってるか分からないし」


「いや、走一郎くん、そこは自信持とう。どこの世界に、幼馴染みの動向が気になりすぎて、コンビニまで働きに来る女の子がいるよ。間違いなく、両片思いだから」


「両片思い? どういう意味? 片思いが両方なら、それは両想いじゃないの?」


 いやだわこの子、本当にピュアピュア。

 いちゃいちゃの仕方も健全なら、両片思いも知らないだなんて。

 いったいこれはどういうことなんでしょう。

 こんな子に社会的な責任がとか、男としての覚悟がとか、そんなの思っていた自分が恥ずかしい。あぁ、恥ずかしい。


 まぁ、夏子ちゃんの方から迫るという可能性もなきにしもあらずだが、走一郎くんについては心配なさそうだな。健全な恋愛にしかならないだろう。


 ごめんごめんと笑って、俺は走一郎くんの質問に答える。


「ちょっと厳しいことを言っちゃったかもしれないね。けどまぁ、走一郎くんならきっと大丈夫だよ。自分がしてあげたいこと、したいことをやってあげなさい」


「……お兄ちゃん」


「ただし、向こうからなんか言ってきた場合には気をつけること。夏子ちゃんはときどき暴走するからね。そこだけ気をつけていれば、大丈夫だと思うよ」


「……はい」


 否定しないあたり、幼馴染みのこともよく分かっているみたいだ。

 ならまぁ、二人は安心だろう。


 俺たちのようなことには、間違ってもならないさ。

 きっと――。


「あの、さ、お兄ちゃん」


「うん?」


「何か悩み事があるなら相談してね。今日のお礼じゃないけれどさ」


 まずいね。

 走一郎くんにも分かるくらいに、俺、抱え込んでるオーラ出してるか。

 そいつは本当に、ちょっと、まずいかもしれないなぁ。


「大丈夫だよ。大丈夫。ほら、まだ、俺、ただのニートだからさ」


 そう言って、俺は笑って誤魔化した。

 ここ数日、落ち着くことのない心を、俺は笑って誤魔化した。


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