第176話

「おかーさん、たらいまー!!」


「おかえりちぃ。楽しかったかい?」


「うん!! あのねー、あのねー、うみでいっぱいおよいでねー、やきばばさんたべてねー!! よるはおはなびでしょう、ばーべーうーでしょう!! それできょうはねー、すぺいんにいってきたのよ!! すごいでしょお!!」


「あぁ、すごいなちぃは。すごいすごい」


 姉貴に抱きついてえへへと笑うちぃちゃん。

 そんな彼女に続いて、とてとてとステップワゴンから飛び出したのは光ちゃん。

 同じく、ババアと並んで帰宅を待っていたあかりさんに駆け寄ると、彼女もちぃちゃんと同じように母親に抱きついた。


 親と離れての旅行。

 いくら友達やその家族と一緒と言っても、ちょっと心細いわな。


「楽しかったかい光」


「うん!! すげー楽しかった、また行きたい!! 今度はもっとおっきくなってジェットコースター乗るんだ!!」


「そうかそうか」


 けれども、甘えながら楽しそうに旅行の話をしている。

 それだけで、なんというか、いろいろくたびれたけれども、連れて行ってよかったなと報われた気分になった。


 ありがとうございますとこちらに頭を下げるあかりさん。

 いえいえそんな、いつもこちらがお世話になっていますからとばかりに、咄嗟に俺が頭を下げると、彼女は優しく微笑み返してくる。

 いつもは鉄面皮で表情の読み取れない彼女が、微笑むのを俺は初めてみた。


 なんだろ。


「正人さんがあかりさん好きになった理由が分かった気がする」


 不意に見せる、普段無表情な人の笑顔っていいよね。

 こう、ギャップとかがさ。

 なんか、うん、いい。


「陽介ェ?」


「陽介さん、浮気はいけませんよ、浮気は。しかも相手は人妻ですよ」


「そういう意味じゃないから!! 二人とも怖い顔しないで!!」


 ちょっと男幼馴染みの気持ちが分かって、なるほどなって顔しただけじゃん。

 なのに浮気判定されてしまう、この俺の信用のなさよ。

 しかも九十九ちゃんまで一緒になって。


 大丈夫、俺は廸子一筋だから。

 そこんところは信頼してもらっていいから。

 これまでもこれからも、俺は彼女一人をアイラブユーだから。


 落ち着いてくれと彼女たちをなだめすかせる。

 本当かよ廸子に睨まれてホントウだよとコントのようにオウム返しをする。

 なんでそんなに疑心暗鬼になるかね。

 今まで、俺がお前を裏切ったことなんてなかっただろう。


 幼馴染みのことをもっと信じなはれ。


「陽介さん。ほんと、ここまで廸子さんにしておいて、今更浮気したら、人間の屑として心の底から軽蔑しますからね?」


「九十九ちゃん、安心して。俺もそんなことやらかした日には、玉椿で生きていくことできなくなるの覚悟しているから」


「……まぁ、そこまで言うなら信じるけどさぁ」


「逆に俺に浮気する甲斐性があると思うお前が怖いよ」


 山波のことはあったけれどさ。

 アレはぶっちゃけレアケース。

 しかも、相手も別に本気だった訳じゃないし。

 そもそも俺はそういうつもりになっていない訳だし。


 なんだかこの旅行、二人で甘い感じを味わおうと思って出かけたはずなのに、ことごとく現実を突きつけられるばかりで辛さしかなかったな。

 前の有馬旅行より疲れた。


 ふはぁと息を吐き出す俺の前に、ふと現れたのは走一郎くんのお父さん。

 これまた廸子達とはちがう、鋭い視線を投げかけた彼は、俺を一瞥すると貸して貰ったステップワゴンの方へと向かい、ぐるりぐるりとその周りを眺めて回る。


 最後に納得したように頷いて、彼はこちらに戻ってくる。


「どうやら、車に傷はつけなかったようだな」


「そんなの確認してたんですか。やめてくださいよ。安全運転で来たんですから」


「もし傷がついていたら、それを理由に走一郎と絶縁させれたのに。惜しい話だ」


「よく貸してくれたなと思ったけれどそんなこと考えてたの!? しませんって、してもちゃんと謝りますし、弁償しますから!! そんなことで息子の交友関係をぶち壊さないでくださいよ!!」


「君が先輩の息子だということは知っている。知っているからこそ、信用できないんじゃないか。君も、先輩の息子なら分かるだろう」


「そうだそうだ、ろくでなしの血を色濃く受け継いだ無職の癖に、何をいっちょまえみたいなこと言ってるんだ、このバカ陽介」


「お前が原因でこんなことになっているんだろうがよクソ親父!!」


 まぁ、それは冗談として、と、京一郎さん。

 おつかれさんと俺の肩を叩いて、彼は息子の走一郎くんとその幼馴染み夏子ちゃんの方に移動した。


 お土産を手に、楽しそうに談笑する親子。

 もう、俺についてのわだかまりみたいなのはなくなったようだ。


 なんだかんだで、彼も俺を認めてくれたのかな。


「実嗣さん、ごめんなさい、流石に昼からのビールはちょっときつかったわ。もう、なんていうか、今すぐ家に帰って寝たい」


「大丈夫かい美香さん。すまない、僕がもっと君のことを強く止めていたならば、こんなに悪酔いすることはなかっただろうに」


「自業自得カップル大丈夫ですか? なんだったら車で家まで送りましょうか?」


 そして、最後に残ったバカップル、美香さんと実嗣さん。

 高速まで運転してくれた実嗣さんに言うことはないけれど、昼間っからビールかっくらってべろんべろんになった美香さんにはもはや同情の余地はなかった。


 志摩の入り組んだ道を忘れて、これでもかとビールかっくらって、あげく気持ち悪くなってトイレ休憩何度も挟んだ彼女に、自業自得以外の言葉はない。


 ほんまもう、いい加減にしろや、美香さん。


 そして、こんな醜態を見せつけられても、献身的に介護するとか実嗣さんほんとアンタなんなのよ。聖人かよ。

 少し前まで、愛が分からないとか言ってたのに、その懐の深さはなんなのよ。

 あんただったらこのあんぽんたん、安心して嫁に出せるとほんと痛感するわ。

 というか、リアルスパダリはじめて見たわ。


 実嗣さんに支えられて、よろよろとふらつく美香さん。

 一応、家に自家用車で来ており、狭い庭に軽自動車が停まっているのだが――。


「うー、ようちゃん、お願いしてもいい?」


「すまない陽介くん。僕も美香さんの世話をしてあげたい。運転、頼めるかな」


「わかりましたよ。送りますよ」


 ここまで泥酔したら、ちょっと運転は難しい話である。

 美香さんが運転するのはもちろんだが、なんかの拍子に助手席の美香さんが暴発して、あわや事故なんてなってしまったら目も当てられない。


 まぁ、明日の朝には良くなっていることだろう。

 テレワークで、基本的には家で仕事をしているから、車を取りに来る時間については調整が利くはず。というか、明日は日曜日だし問題ない。


 送るよ、と、声をかけて二人を自分の車に招く。

 するとどうしたことか、廸子の奴まで一緒に乗り込んできた。


 どうしたんだろう。


「一人じゃ、ちょっと大変かもだろ。私もついていく」


「別に、いいのに」


「いいから、ついてく」


 梃子でも動かん廸子ちゃんモードに入ったな。

 まぁ、実際なんかあるかもしれないし、彼女がついていてくれた方が助かる。

 女同士でしか介抱できないような事態もあるかもしれない。


 俺は廸子を助手席に乗せ、後部座席に美香さん達を乗せると、まだステップワゴンに残っている走一郎くんたちに、クラクションを鳴らして家を出た。


 時刻は、午後六時。


「……いつもだったら、廸子を迎えに行ってる頃だな」


「……そだな」


「……うぅっ、ようちゃん、あんぜんうんてん」


「陽介くん、すまない。もうちょっと、スピードを落としてくれないか」


 おっといけない。

 自分の車に乗り換えたもんだから、ついスピードが出ていた。


 後ろにはへべれけが乗っているのだ。

 後部座席に変な匂いをつけられても困る。

 毎日、職業訓練校への通所で使うんだから。


 悪い美香さんと謝って少しスピードを落とす。

 夜のとばりを引き裂いて、しばし俺たちは旅行の余韻引くドライブに興じた。


 ふと、横を見る。

 廸子が神妙な顔をして、俯いているのが気になった。

 また、何か、よくない感情を抱えているんだろうな。

 それは、もうここ数日の彼女の様子から、尋ねなくても分かった。


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