第173話

「陽介さん、廸子さん。こちらは私が見ていますので二人で話してきてください」


 宴もたけなわというか、花火もたけなわというか。

 いよいよ派手な花火の在庫が底をつき、線香花火耐久大会みたいなのがはじまった瞬間、急に九十九ちゃんが俺たちにそんなことを言ってきた。


 張り切って線香花火を燃やそうとしていた俺と廸子は出鼻を挫かれた。


 そらもう、勝った方が後日言うことを聞くという約束で、真剣勝負待ったなしの大一番というタイミングで、そんなことを言われてたいそうがっくりときた。

 

 だが、続く言葉で九十九ちゃんの提案に乗らない訳にはいかなくなった。


「この調子で元気がないと困ります。今日は初日ですから、私と美香さん、実嗣さんの三人でフォローできましたが、明日の遊園地でもそうするつもりですか?」


 はい。


 確かに三人にかかっている負担が大きいのは自覚しています。

 俺と廸子、二人でちぃちゃんたちの面倒はメインで見るつもりだったのに、思いがけずこんなことになりすまないと思っています。


 そして、ぶっちゃけそれがバーベキューまで尾を引くとは思いませんでした。

 ごめんなさい。


 九十九ちゃんのお怒りはごもっとも。

 大丈夫だからと言った割には、全然大丈夫じゃない廸子をなんとかせねば。


 そう、具体的には、明日の遊園地で使い物になるくらいに――。


「と言う訳で、お二人とも。よく話し合ってください」


「……はい」


「……ご迷惑をおかけします」


 いいですね、と、念押しする九十九ちゃん。

 しぶしぶ、俺たちは海岸沿いで花火をしているちぃちゃんたちから離れた。

 おそらく落としたのだろう、光ちゃんの悔しそうな叫び声が夜空に浮かぶ。


 少し歩いて防風林の中。

 俺と廸子は、木にもたれかかるように背中を預けて星空を見上げた。

 故郷の玉椿より少しばかり明るい志摩の空には、それでも多くの星が輝いている。その瞬きを眺めながら、俺は、隣に立っている廸子の手を握った。


 びくりと、また、その身体が震える。


 いったい今日、何度目のおびえだろうか。


「……なぁ、廸子」


 何にいったいおびえているんだよ。

 それを直接聞いていいものか俺は迷った。


 そんな話の入り方ってあるだろうか。

 原因は分からないけれど、廸子が不安に取り憑かれているのは間違いない。それを少なくとも明日――旅が終わるまでは話したくないのも尊重しなければならない。


 けれども、九十九ちゃんに約束してしまった手前もある。


 結局、廸子の名前を口に出したのに少し間が開いた。

 ばつが悪くってどうにもしょうながく、襟足を掻きむしりながら、俺は、それでも何も言ってこない廸子のために、やっぱり自分から切り出した。


「大丈夫だよ、ちゃんと守ってやるからさ」


「……陽介」


「お前がなんにおびえてるのか。何を怖がってるのか。教えてくれないと分からないけど。ただ、どんなことがあっても俺はお前を守る。だからそんな顔するなよ」


「……そんな酷い顔、アタシ、してたかな?」


「少なくとも俺と九十九ちゃん、あと美香さんには見破られてるな」


 くしくし、と、廸子が空いた方の手の甲で顔を擦る。

 どうやら、泣かしてしまったみたいだ。


 けれどもこう言う他にない。

 彼女は、その不安の原因を、旅行が終わるまで語る気はないのだ。

 一度、こうと決めた廸子は梃子でも動かない。

 俺には彼女を支えることしかできない。


 ほんとうに、それくらいしかできない。


「情けないよな。もうちょっと、お前のために、いろいろしてやりたいなって思うんだけれどさ。けど、こんなことしか俺にはできなくてさ」


「……うぅん、言い出したのは、アタシの方だからさ」


「ほんとさ、口約束ばっかりで申し訳ない。本当は、もっとこう残る形で何かを、お前にしてやりたいんだけれどさ。そういうの、どうしたらいいのか」


 本当に分からないんだ。

 言おうとして、俺の唇が塞がれた。


 握りしめていた手を引っ張って。

 俺の身体を引き寄せて。

 視界を塞ぐように顔を近づけて。

 廸子は、俺の唇を奪った。


 別にそんなの、もう俺たちはあの夜以来、何度だって交わしている。


 いまさら驚くほどに子供じゃない。

 そんな時代はとっくの昔に過ぎ去ったのだ。

 彼女がそれを欲しているのなら、それに応えるべきだ。


 そうした理由は分からない。

 俺は廸子のむさぼるような口の動きに合わせて、舌先を滑らせて唇を震わせた。


 荒い呼吸がお互いの口から漏れると、廸子はくしゃくしゃな顔をしていた。


「……口だけでも、アタシは結構幸せだよ」


「……なに言ってんだよバカ」


 そういう意味じゃないだろ。

 少し、話してくるだけじゃ済みそうにない。

 けれど、九十九ちゃんもいるし、酔ってはいるけれど美香さんもいる。

 いざとなったら実嗣さんだっている。


 この旅は、もともとそういう目的だったのだと思えば、もう止まれない。

 場所を入れ替えて、廸子を木にもたれかからせる。

 俺はゆっくりとその身体に覆い被さった。


 その時、彼女の中から、あれだけ濃厚だった憂いが、消えたような気がした。

 けれどもそれは、迫り来る本能の前に、すぐに意識の外にこぼれ落ちた。


◇ ◇ ◇ ◇


「あのさようちゃん。チャン美香先輩は寛大だからさ、こう見えて、すげー気遣いのできるスーパーキャリアウーマンビューティフルパーフェクトレディだからさ、君らのことを許しちゃうけれどさ」


「……はい」


「けどさぁ、子供達が居るのに、勝手に抜け出していちゃいちゃするのはよくないと思うな。そりゃさぁ、こういう旅行だから、盛り上がっちゃうのは分かるけれども、勝手に居なくなるのはどうかと思うな」


 コテージ・イン・ザ・男部屋。

 俺と実嗣さん、走一郎くん、そして美香さんの四人は、寝る前にテーブルに集まると、反省会という名の査問委員会を受けていた。


 美香さんを委員長にして進むそれを遮る権限を俺は持ち合わせていない。


 だって事実だから。

 彼らをほっぽり出して、廸子と恋人らしいことをしていたから。

 一分の反論の余地もそこにはなかったから。


「……お兄ちゃん。居なくなったと思ったら、廸子さんと、その」


「まぁ、走一郎くん。あまり陽介くんを責めるな。男なら、誰しもそういうことは思う。私だって最年長者という立場がなければ、美香さんと抜け出していた」


「そうよ!! 私らが子供の面倒見てるのに、何二人でいちゃついてんのよ!! そういうとこやぞ陽介!! もっとアタシらにも気を利かせんかい!!」


「怒ってるのそこなの美香さん!?」


 あたりまえじゃいと啖呵を切る美香さん。


 完全に私怨。

 自分がいちゃこらできなかったからってつるし上げることないじゃないのさ。


 というか、その、どうせあんたらいちゃつくにしても、おこちゃまな奴でしょ。

 一緒に花火するだけでも、結構満足な感じのいちゃつきでしょ。


 俺ら二人はその――それだけじゃちょっと満足できないからしかたないじゃん。


 って、言いたいんだけれど、言うと二人がひっくり返るから言えないんだよな。

 恋愛経験が中学生並みの年長者相手には、相談できないんだよなぁ。


 はー、もう、面倒くさい。


「まったくもー、まぁ、いいんだけどさ。廸ちゃん、昼から元気ないのはあきらかだったから。別にアンタが励ましてくれたんだったら、それでいいんだけどさ」


「……はい」


「けど、明日の遊園地は、私たちもちゃんとデートっぽいことしたいんだから、子供の世話は持ち回りなんだからね? いい、そこ、ちゃんと分かってる?」


「美香さん。私はちぃちゃんが一緒でも、親子連れという感じで楽しいのだが」


「それとこれとは話が別!! ちぃちゃんが可愛いのは間違いないし嫌じゃないけれど、二人きりの時間もちゃんと欲しいの!! ダメですか、実嗣さん!!」


「……いや!! 私も同じ思いだ!! すまない、年長者としてしっかりしなくてはと、自分のスケベ心に蓋をしていた!!」


 そんなんスケベ心とは言わんわい。

 ほんと、健全だな、このアラフォー目前カップル。

 そんなんで大丈夫なのかよ。


 ちょっと聞いてるのとテーブルを叩く美香さん。

 怒りで般若の形相になっている彼女に、俺は――。


「大丈夫。もう、廸子も調子戻ったみたいですし。明日は、なんとかなると思います。ほんと、いろいろとご迷惑をおかけしました」


 と、答えるしかないのだった。


「……そう。なら、いいけど」


 憮然として顔を背ける美香さん。

 こちらを生温かい目で見てくる、実嗣さんと走一郎くん。


 実際、廸子は落ち着いたと思う。

 たぶん明日には引きずらないと思う。


 けど、それは明日になってみないと分からない。

 明日と廸子を信じるしかないのであった。


◇ ◇ ◇ ◇


 コテージに戻って、ちぃちゃんたちを寝かして、夏子ちゃんとお話しして。

 いい感じに、私たちも寝ようかという流れになって洗面所にアタシは向かった。


 酔ってはいない。

 身体のことがあるから、お酒はひかえた。

 ちぃちゃん達を理由にして、夜更かしもしていない。

 いたって健康。


 けれど、どこか心がここになかったのだろう。


「……廸子さん。ちゃんと、陽介さんとお話はできましたか?」


「……九十九ちゃん」


 洗面台の後ろに九十九ちゃんが立っているのに、私は気がつかなかった。

 たぶん、分かるのだろう。全部察した目をして私を見ている彼女が、ついてきていることに私は気がつかなかった。


 洗面台には、真新しい丁度に相応しくない、すえた匂いが満ちている。

 

「はやく、言った方がいいですよ。お互いのためにも」


「……うん」


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