第158話
「水も滴るいい男登場」
「おきゃくさまてんないにはよくからだをふいてからおはいりください」
夕立に降られた。
図書館通いが終わって、のんきしてきたら夕立に降られてこのザマであった。
今日に限って店前の駐車場がいっぱいだったため、少し離れた所に停めたんだが、そこから移動しただけで雨に濡れてこのザマであった。
身体のラインがTシャツの上からでも分かるようになりセクシー&セクシー。
濡れた髪を後ろにやりながら格好つけて入店した俺は、だがしかし、普通に軽蔑のまなざしで幼馴染みに迎えられこのザマであった。
もう死にたいザマであった。
「いや、ほんと、この距離でこんなずぶ濡れになるとか思わなかったのよ」
「玉椿の夕立が強烈なのはお前も長いこと住んでるから知ってるだろ。まったく、都会に出てそんなことも忘れちまったのか」
「忘れたさ。昔のことなんて全部。覚えているのは、お前との約束だけ」
「ぬれねずみでそんなこといわれてもぜんぜんきゅんとしない。せめてふっきんくらいわってからやってこい、このめたぼ」
酷いわ、廸ちゃんてば酷い。
そんなはっきりとデブって言わなくてもいいじゃない。
体型がセクハラとか自分で思っていたけど、ずばり言わなくてもいいじゃない。
仕方ないじゃない。
だって、ニートなんだもの。
昼間の運動量が足りて無くってデブっちゃうわ。
「まぁ、一時期のガリガリの状態よりはいいけどさ」
「あれ、廸子ちゃんてば、もしかしてぽっちゃり系が好み?」
「そういうはなしじゃねー」
いいから身体を拭けと、バックヤードからタオルを持ってきてくれる廸子。こんなこともあろうかと、用意してくれているなんて、いい幼馴染みだな。
ほんと、俺はいい幼馴染みを持った。
持ったけれども。
「さて、問題はどうやって車まで移動するかだよ、ワットソンくん」
「なんでお前傘持ってきてないんだよ。そういうとこだぞ陽介」
傘は持ってなかった。
いやほんと、傘くらい車に常備しろと言われりゃ、何も言い返せない。言い返せない上に、そのせいでぐっちょぐっちょの濡れ鼠確定な訳である。
仕事でくたびれた廸子を濡れ鼠にするのは申し訳なかった。
俺だけが濡れ鼠になればそれでもいいかもしれないけれども。
いや、別に、濡れた幼馴染みというのも、それはそれで味わい深い。
けどそれは妄想の中だけの話よね。
それとこれとは話が別。
「お前、今日傘持ってきてないの?」
「朝、持っていなかった時点で察してしかるべきじゃねえ?」
俺も廸子も、この雨を凌ぐ傘を持っていない。
目下、問題とするべきはそれである。
マミミーマートの入り口から覗く空にはまだまだ灰色の雲。
夕立とはいえここは山間部。雲を山が掴まえるため、降り出すと長いんだよ。
この様子じゃきっと一時間はここから出ることは出来ない。
あるいは、目の前に停まっている車達がはければ、そこに俺の車を持ってくることもできるだろうが、またしても俺はずぶ濡れ必死。
濡れスケ展開待ったなしなのであった。
うぅん。
もう一度濡れるのはちょっと嫌だな。
いや濡れスケはいいとして、足下がびちゃびちゃになるのが嫌なんだよ。
気持ち悪いし、匂いが上がってくるし。
廸子も結構嫌な顔するし、そこはなんとかしたいんだよ。
ふと、入り口の方を見れば、これみよがしに傘が売られている。
一本600円のビニール傘。
俺は都会暮らしだったので買うのに抵抗はないが――。
「廸子さん、傘を買わせていただくというのは?」
「もったいないだろ」
田舎暮らしの廸子さんには抵抗がある。
この娘、根っからの貧乏性じゃ無いけれど、傘には一家言があるらしい。
ビニール傘などもってのほか。
買うならちゃんとしたのを買え。
そう、前に怒られたことがある。
別にさぁ、俺の勝手じゃん。
しかもそれお前の売り上げになるじゃん。
まぁ、実際もったいないんだけれど。
こっちを睨んでいる廸子さん。この様子では、彼女が俺にこの件で譲ってくれることはないだろう。はぁというため息と共に、俺は今回は折れた。
なら、違う側面から攻めよう。
「ですよねぇ。じゃあ、マミミーマートの置き傘なんかは」
「あるけど、持っていったら外に出て作業できなくなるからダメ」
「なにも持って帰らなくても、俺が車の前まで使って、それからこっちに車を移動してきて返せば、なんも問題なくねえ」
「……お? たしかに、流石陽介、頭がいいな」
そりゃどうも。
とりあえず、なんでも言ってみるもんだね。
俺の提案を受け入れた廸子は、それなら任せろとばかりにまたバックヤードへ入っていく。そして、ごそりごそりと慌ただしげに、傘を探し始めたのだった。
そう、慌ただしげに。
なんかこう、あきらかに、なさそうな、そんな雰囲気で。
そんな感じで、かれこれ10分ほど経過しただろうか――。
「ごめん、陽介。置き傘、無いわ」
「……まじで?」
「たぶん誰かが持っていったままなんだと思う。というか、たぶん私」
「まじで?」
「前に爺ちゃんが野良仕事帰りに傘借りてってそれっきりだこれ。どうしよう」
顔真っ青だよ。
これは借りるとか迂闊に言うんじゃなかった奴だよ。
そして、後で姉貴にこってりと怒られる奴だよ。
うぅん、誠一郎さんが持ってたのか。
あの人はまぁ、昔の人だからモノは大事にする。
なので家に帰ればあるはずだけれど、これはなんともばつが悪いな。
そして、せっかく現状が解決するかと思ったのに、まったく解決しないなぁ。
「やっぱり、ここは傘を買った方が」
「お前、ビニール傘の耐久度を考えろよ!! そんな台風が来たら壊れるような傘なんて買うのもったいないだろ!!」
「いやむしろ、台風なんかの時に傘なんて使いたくないわ」
台風来たらもうカッパでええやんけ。
そもそも傘に耐久度を求めるのが間違ってる。あんなのは、ビジネスシーンでそこそこ、人様に迷惑をかけない見た目してればいいだけですやん。
強風吹いたら、アルミフレームの傘なんてぽっきりと折れますがな。
もうこれは傘を買おう。
この問答をしている間に、傘を買ってしまおう。
その方が早い。というか、俺もどうせ買わなくちゃいけないし。
そう思って、俺はマミミーマートの入り口の方へと向かった。
待て陽介と止める廸子の声に背中を向けて、俺はそれを取りに向かった。
許せ廸子よ。
俺だって、別にお前の意見に反対な訳じゃ無い。
確かにこれは無駄遣い。そう思っている俺もいる。
けれどな、びちょびちょのスケスケはやっぱり――。
「……おう?」
「待て、陽介!! 前方から高出力反応!! このままだと、遭遇するぞ!!」
違う。
廸子が止めたのは、傘を買わせるためではない。
この雨が降っていても分かる、いちゃいちゃのオーラ。
雨さえも、当たった瞬間蒸発してしまいそうな、燃えたぎる愛。
間違いない。
暗いマミミーマートの駐車場。
そこを、のっそりと歩いてくるのは一つの傘に、二つの人影。
彼らは、そう――。
「……大雨ですね、実嗣さん」
「……濡れてしまいます。もっと、私の近くによってください。美香さん」
「あっ、そんな、くっつきすぎですよ」
「いいじゃないですか、私たちはそういう仲なんですから」
相合い傘である。
三十歳も半ばを過ぎようとする男と女が相合い傘である。
それはもう、いろんな意味の熱量で、雨も蒸発しようというもの。
そして、その姿を見る俺たちも、恥ずかしさで熱くなろうというもの。
二人はそうして、仲良くマミミーマートに来店すると、傘をたたんだ。
よほど丁寧に傘を差したのだろう。
彼らの身体に、濡れスケは少しもなかった。
反則やろ。
「あらやだ、ようちゃんにゆずちゃん。恥ずかしい所みられたわね」
「……すまない。しかし、急に雨に降られてしまったものだからね」
「「見せつけてくれちゃってもう!! こっちがビニール傘一つ、どうするかで悩んでいるっていうのに!!」」
「あら、もしかして、傘、忘れちゃったの」
「よかったら使うかい。私たちが相合い傘をした後で悪いが」
「「遠慮しておきます!!」」
そんなカップルオーラ全開の傘の中に入れる訳ないだろ!!
たとえ一人でも、なんかこう蒸発して果てるわ!!
勘弁してくれ!!
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