第143話

 月曜日を東海地方民御用達の喫茶店で過ごすことにした俺は、ようやく図書館に通って生活リズムを整えるという、社会復帰計画を軌道に乗せることに成功した。

 まだ、廸子にもババアにも、就労許可が下りたことは報告していないし、安定して通えているとは言えないが、これは一つ大きな進歩であった。


「いや、最近の図書館って綺麗だね。コーヒーショップも出店してて過ごしやすいのなんの。自習室は静かで居心地いいし、控えめに言っても最高という奴では」


 問題があるとするならば、玉椿町から市立図書館まで遠いということ。

 置いてある書籍が技術系については一回り遅れた内容のものであるということ。

 意外と市内の学生たちが通っていること。


 という所であろうか。


 極めて個人的な問題点をそこに付け加えるなら。


「そうでしょうそうでしょう。ねぇー、私が就職したときには、すっごいおんぼろで大丈夫かなって感じだったんだけれど、市民の生活を向上させるって前市長が頑張ってさぁ。今じゃ、この通り、誰からも愛される市立図書館ですよ。えへん」


「いや、それ、君がえばることじゃないよね。えらいの前の市長じゃん」


「そうなのよ。革新的な人だったんだけれど――やっぱり田舎はそういうのに理解なくていやだよねー。私も豊田くんみたいに、都会に出ておくべきだったよ」


「地方公務員って結構悪くない選択だと思うけどね」


 高校時代の同級生が窓口業務しているってことかな。


 はい。

 玉椿町という、三重県でも陸の孤島のような場所に住んでいたからでしょうね。

 同級生と遭遇する危険を忘れていた俺は、思いがけず彼女とエンカウントした。


 彼女の名前は山波さやかさん。

 俺が通っていた高校の同級生。


 活発な子かと言われれば地味なタイプの子で、確か高校生時代は瓶底みたいな眼鏡をかけて、ポニーテルにしていた――ように思う。


 体型もちょっとぽっちゃりより。

 当人を前にしてどうかと思うが、男子からの受けはあまりよくなかった。

 山波はないわーとかみんな言ってた。


 俺も言ってました。(懺悔)


 さて、そんな彼女も流石に三十を超えれば変わってくるもので。


「……どうしたの豊田くん? 急に黙っちゃって?」


「いや、別に、何も」


 ライ麦パンみたいに自然な色合いの茶髪。

 ウェーブのかかったロングヘアー、その一部を後ろで編み込んでまとめている。

 高校時代には目立ったそばかすはまったく見当たらない。

 ぽっちゃりとしていた身体は、胸回りだけをそのままにほどよく絞られている。


 めっちゃ美人になっていた。


 なんか、市内の美人さんとか、新聞で特集組まれる美人になってる。

 ほんでもって図書館司書の姿がよく似合う、ゆるふわお姉さんになってる。


 えっ、えっ、これがあの山波さんなの。

 多分同級生の多くが言うだろうその変わりよう。

 俺はもう、数度目の図書館訪問だというのに、ちょっと戸惑っていた。


「もしかして、まだ私の格好になれない感じ?」


「え、いや、そんなことは……」


「最初会った時も全然気がついてなかったもんね。まぁ、それはお互いさまだけれど。流石に十年は人間を残酷に変えちゃうよね」


「そ、そだねー」


 いやいやいやいや、変わりすぎでしょ山波さん。

 なんなの、漫画の主力ヒロイン張れるようなキャラクターになっちゃってるよ。

 どうしたの、君、そういう感じのキャラじゃなかったよね。


 ザ・陰キャって感じだったよね。

 いや、大学デビューとかでキャラ変する人は結構居るけれどもさ。

 そう珍しくないけれどもさ。


 けれど、ここまでの変化は年月の残酷さで片付けられないよ。


 普通に美人。

 普通にかわいい清楚系。

 はぁん、こんなのびっくりしない方が嘘じゃん。


 気づいたのは山波さんの方。

 図書館利用のために利用者カードを作ったのだけれど、その時に対応したのがたまたま彼女だったのだ。


 名前と住所で気がついて、もしかしてと俺に話しかけてきたのだ。


 普通気づいても話しかけますかねぇ。

 俺なら話しかけませんねぇ。

 高校時代から変わらず陰キャのままの俺ならば、まず話しかけないでしょうね。


 けど、話しかけてきたんだな彼女は。

 軽いノリで話しかけてきたんだなこれが。

 なんていうか、もうその行動力だけで、彼女はもう陽キャへのコンバートが完了しちゃってたんだなって感がありますよね。


 そんでもって、その後もぐいぐい、顔を見るたびに話しかけてくるの。

 このあたりに、有無を言わさぬ陽キャパウワー感じちゃいますね。


 簡単に言えばむりー。

 俺、この手のノリ、ちょっとついていけなーい。

 今日話すことで用意してきた話題以上に話をひろげられなーい。

 誰か助けてー。


 って感じだった。


 そう、豊田陽介はコミュ力がそんなに高くないのだ。

 高かったらそもそも仕事を辞めていないのだ。

 そして、コミュ力が無いから生きづらいのだ。


 そんな俺のダメな部分を、克服したお方が目の前に居る。

 もう、それだけ胃が痛い案件。

 あぁ、どうしてこうなった。


 胃が壊死しそう。


「いやけど、豊田くんがこっちに戻ってきてたなんてびっくりだよ。あれでしょ、確か風の噂じゃ、大阪の方で就職したんでしょう?」


「え、なんで知ってんのそれ?」


「高校時代に仲良かった須原くんっていたじゃん。彼が同窓会で言ってた」


 あいつー。

 頻繁に連絡とってないけれど、それでも年に数回は連絡するあいつー。

 須原ー。

 なにしれっと、俺の現況報告してるんだよー。


 同窓会不参加の時点でいろいろと察せー。

 バカー。


「けどあれでしょ、今は無職なんだよね」


「まぁ、ね」


「嘘でも会社員とか書いておけばいいのに。真面目だねぇ」


 真面目というかなんというか。

 そういう発想が浮かばないのよ。

 俺、今、就職に対してナイーブなのよ。

 なので素でご職業の欄に無職って書いちゃったんですよ。


 ご職業ですからね、会社名とか書く必要ないですよね。

 そういうところですよね。


 低脳乙ってもんだよ。


 そんなことを胸の中でぐじぐじと思いながらも、俺は一応、山波さんとの会話を無難にこなす。コミュ障だけれど、最低限の会話はこなせるのだ。これでも。

 最低限、失礼ない程度には話を合わせられるのだ。


「あ、ごめんね、なんかひきとめちゃって。自習室で勉強しなくちゃなんだよね」


「いいよいいよ、俺もちょっと気分転換になったし」


「気分転換大事だよねー。いやもー、私、ここも長いんだけれどさ、やっぱり職場の力関係とかいろいろと疲れるところがあって」


 ふと、彼女の左手に目が行く。


 同い年。

 田舎で働いているなら、もうとっくに身を固めていてもいい。

 しかし、彼女の手には、それらしい装身具がはめられていない。


 仕事だから外しているのか。

 それとも、結婚していないのか。

 ちょっとだけ、気になった。


 けれどまぁ、これだけの美人さんだぞ。

 あり得るのか、こんな逸材を、放っておくなんて。

 俺だったら絶対に――。


「豊田くん?」


「へっ? あっ? うん?」


「……あはは、なんか今日は集中力ないね。駄目だよ、なんの勉強しているのか知らないけれどもさ、適度に息抜きしないと。根の詰めすぎは駄目」


 じゃぁねと手を振り、高校時代の同級生は、業務へと戻っていった。


 うぅむ。


「妙な縁ってのもあるもんだな」


 図書館通いってのも、考えもんだ。

 そして――。


「帰ったら、ちょっと、廸子成分を補給しよう」


 うっかりとうずいた浮気心に、俺はそんなことを思った。


◇ ◇ ◇ ◇


「やめろ陽介!! こらっ!! てめぇちょっと!! 仕事中なんだよ!! 近づくなっての!! 離れ、離せ――はーなーれーろー!! この馬鹿野郎!!」


「廸子成分補充!! ふんふんくんかくんか!! くんかくんかすんすん!!」


「どんな成分だよ!! あぁもう、営業妨害!!」


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