第142話

「廸子。風邪ひいちまった。ネギってコンビニで売ってない。できれば白髪ネギじゃなくて細い奴。名前わかんないけど、細くて緑で薬味に使う奴とか売ってない」


「スーパー行けよ。ていうか、風邪でネギってどういうことだよ」


「え、知らないの? 民間療法? 尻の穴にネギ突っ込んで治すって奴?」


「……本気で言ってんのか?」


 本気か正気かも分かんないくらいに風邪がキマってるから困るの。

 お前もう、ふらふらで体の節々が痛くて、このマミミーマートまでどうやってきたのか分からないくらいに重病ですよ。

 そんな俺をもっと労ってちょうだいよ。


 汚いモノでも見るような目を俺に向ける廸子。

 はいはい、すみませんね、セクハラなことで。

 けどね、結構今日は本気でやばいのよ。


 自分で自分のやばさを自覚できるって、それって結構ギリギリのやばさなのよ。

 ここ、自覚ができなくなったらもう本格的にアウト。

 ぶっ倒れる一時間前。


 なので、そうなる前にやってきたんだ。


「いや、マジで調子が悪くて。車で出かけるのも危ないと思って徒歩で来ててさ」


「……はぁ!? ちょっと、一大事じゃん!!」


「今朝お前を送った時から少し調子おかしくて。まぁけど大丈夫かなと思って、家でエロDVDを見てすっきりしたのよ。そしたらこう、急に睡魔が来て。うとうととエアコンと扇風機つけて、下半身丸出しで寝て起きたらこうなってて」


「原因の説明はいいよ!! というか、言う必要あったかそれ!!」


「いやけど、これから先生にも説明しなくちゃだし」


「裸で寝てましたって言えばいいだけだろ!! エ……DVD見てたとか、そういう情報は要らないよ!!」


 要らないのね。

 もうそういう判断力も怪しくなってきている。

 ほんと、誰か一緒にいてくれないとダメダメなこの感じ。


 いい歳してなにしてんだよ。

 けど、実際、もうほんと限界だから仕方が無い。


 人のぬくもりを求めて、俺はマミミーマートまで来てしまったのだ。

 いや、廸子のぬくもりを求めてと言ってもいいだろう。

 とにかく、風邪を引いてしまった俺には、廸子が必要だった。


 そして、ネギも必要だった。


「廸子、頼む、俺にネギを挿れてくれないか?」


「なに言ってんだ馬鹿野郎!!」


「幼馴染みのお前にしか、こんなはずかしいこと頼めないんだよ。頼むよ、廸子。一人でやって、変なところに挿ったら嫌だし」


「変なところ入る余地とかなくねぇ!!」


 わかんない。


 聞くところによると、男には、本来存在しない第三の穴が、尻のあたりにあるとかないとか、漫画で読んだことがあるようなないような。


 とにかく、冷静な判断力を持った第三者に身を委ねるしかないのだ。

 一人でうかつに動けば、体調も事態も悪化するだけなのだ。

 頼むよ、廸子、幼馴染みだろう――。


「とにかく、うちにネギはないし、薬もねえ。悪いこと言わないから、近くの病院に行っとけ。えっと、ほら、堀口内科」


「あそこ、お爺ちゃん先生が亡くなってから、閉まっちゃったじゃんか」


「……そうだったな。じゃぁ、ちょっと遠いけれど、中塚病院」


「今日はあそこは高齢者向けの診察日で、救急以外初診お断りのはず」


「しっかり頭回ってるじゃねえかよ!! って、それじゃぁ、あれだ、ささおか小児クリニック!!」


「廸子、俺、もうお前が思ってるほど子供じゃねえんだぜ」


「知ってるよ!! なんでかっこつけたんだよ!!」


 もう何がなんやかわかんないからだよ。

 だからお前、もうどうしようもないなって思って、元看護婦の幼馴染み頼ったんじゃ無いのよ。そこら辺、ちゃんと俺の気持ちをくみ取ってくれよ。


 うぷっ。

 話してたら、ちょっとは気が紛れるかと思ったけれどこれ逆効果だ。

 ますます調子が悪くなってくる。

 というか、もうなんかダメな感じだ。


 マミミーマートの床に倒れ込む。

 見かねて、大丈夫かと廸子がカウンターを飛び出してくる。

 柔らかい膝枕の感触を、頭の後ろで味わいながら思い出すのは――。


「今日見たDVDなんだけれどね、オギャみのあるギャル女優に、こうして膝枕してもらいながら優しくマッサージを」


「そういうのいいから!!」


 走馬灯のように頭の中を駆け巡る、病気の原因となったDVDの映像。


 どうしてあんなDVDを見てしまったのか。

 パッケージの女優が、廸子に似ていたからだろうか。

 あおりが、優しいギャル幼馴染みがいやしてあげるだったからだろうか。


 今となっては、思い出せない。


 ぐるぐると頭の中を、いやんばっかんうっふん8K映像くっきりばっちりもざいくで、内容が駆け巡るだけである。


 あぁ、もう。


「……廸子」


「なんだよもう!! 余計なこと喋るな!! お前もう、マジでこれ、やばい感じの奴だから!! もうあれだ、救急車呼んでも怒られない奴だから!!」


「男ってさ、生命の危機になるとその、子孫を残そうと下半身が」


「だからそういうのいいから!!」


 さっきからぱっつんぱっつんでのっぴきらない感じになってる。

 廸子に膝枕されて、おぼろげに頭の上にマウンテンが現れた瞬間から、あ、子孫を残さなくちゃって、俺の生存本能が覚醒するのは感じてたんだ。

 そして、割とピッチピッチのズボンはいてるから、これが結構痛くって、やばいやばいダメージが蓄積されるとか、そんなことも思っていたんだ。


 仕方ないよね。

 生命の危機なんだから。


 あぁ、もう、無理だ、なんていうか、もう、何も考えられない――。


「どうした廸ちゃん? 何かあったのか?」


「千寿さん!! ちょっと、陽介の奴が大変なことになってて!!」


「ババア、こんな所にいたのか」


 そんな所に、ババアが現れる。

 カルロスくんが夜勤に入るようになったので、昼間の勤務に変えたババア。

 今朝方、俺より早く出たため、俺の状況を知らなかった彼女は、割と心配した表情でこちらに駆けつけた。


 駆けつけて。

 俺を廸子の膝の上から蹴り飛ばして、マミミーマートの入り口にキック。

 強烈な殺人シュートが俺の体を吹き飛ばした。


 ぐふぅ。


「ダメだ廸ちゃん!! 変態がうつるぞ!!」


「実の弟になにやってんですか、千寿さん!!」


「……そうだ、ババア、俺は病人だぞ、やさしくしろよ」


「病人、馬鹿を言うんじゃない――そんな元気なくせして、病気な訳がない!! 冗談もほどほどにしろ!! いや、ち」


「店長!! 千寿店長ぉ!! ストップストップ!!」


 廸子、ナイスセーブ。

 やはりマミミーマートの守護神はお前しかいないようだな。


 これまでも、そして、これからも。

 暴走気味な姉貴に変わって、マミミーマートの地域貢献に携わってください。

 そして、可及的速やかに、俺を助けてください。


 風邪と姉貴のDVで、もう、立ち上がれません。


「陽介が風邪引いたんですよ。それで助けを求めて、ほうほうの体でここに」


「なに、風邪だと? 馬鹿なのにか?」


「馬鹿でアホだとなんかそこら辺の判定バグるみたいでさ」


「冗談言ってる場合じゃなくて、マジで陽介危ない感じですから。早く、救急車か、あるいは車を出してください」


「……えぇ、こいつのために、ガソリン使うのもったいないしなぁ」


「言うと思ったぜババア」


「だから、冗談言ってる場合じゃないんですってば!!」


 ぐわんぐわんと頭の上で響く姉貴と廸子の声。


 あぁ、最後に。

 最後にこれだけは。

 廸子に言っておかなければならない。


 ことがあるようなないような、どうでもいいような、やっぱりあるような。


 まどろみに落ちる直前で、俺は顔をのぞき込む廸子の泣き顔を確かに見た。

 彼女が心配そうにこちらをのぞき込むのを確かに見た。


 ごめんな廸子。


「お前に、俺、こんな顔をさせるつもりはなかったんだ」


「分かってる。分かってるから、ちょっとおとなしくしてろ」


「ただ、笑っていてほしかった。ダブルピースで、アヘっていてほしかった」


「だからもうおとなしくしてろ」


 夏風邪って、ほんと、怖いな……。


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