第144話

 チャン美香先輩がアイディンティティを喪失してかれこれ一ヶ月が経過した。


 マミミーマートのイートインコーナーは彼女たちの愛の巣として再開発され、およそ常人が正気で立ち入るには厳しい修羅の巷と化した。

 今日も今日とて、ブルーワーカー達が哀愁を背にコンビニを出て行く。


「実嗣さん、はい、あーん」


「あーん。美香さん、今日もおいしいお弁当をありがとう」


「こんなの恋人として当たり前じゃない」


「……私は本当にいい恋人を持ったな」


「……実嗣さん」


「……美香さん」


「実嗣さん!!」


「美香さん!!」


「せめて店で弁当くらい買ってやってくれ!!」


 そんな状況についにマミミーマート玉椿店の店長が切れた。

 ぶち切れた。


 もはやこれ以上の乱暴狼藉見過ごせぬ。

 これ以上のイチャコラを許しては、昼時のブルーワーカー以外にも支障が出る。

 そう判断した姉貴は、ついに意を決して幼馴染みに物申した。


 幼馴染みの醜態を見ていられないというのもあったと思う。

 ここ数ヶ月というもの、帰ってきたときの疲労っぷりたるや、娘も遠慮してちょっと寝た方がいいよと諭すくらいであった。

 姉貴は幼馴染み達が醸し出す、パーフェクト幸せワールドに体力を消耗していた。


「というか!! ここはお前達の家じゃないんだ!! 私の店でそういうことをするな!! 営業妨害で訴えるぞ!!」


「いいじゃないのよ千寿。もうすぐアタシ、貴方のお義姉さんになるんだから」


「そうだ千寿。家族相手に大人げないじゃないか」


「いきなり!! 家族面!! するな!!」


 だいぶきてんなぁ。

 激高してカウンターからモップを持ち出して振り上げるババアの姿に、もういい加減にした方がいいんだろうなと、この蜜月の終わらせ方を考えてしまった。


 お客様は神様ですって言っても、まぁ、限度ってものがあらぁな。


「なぁ、廸子――」


「イラッシャイマセー、ヨウコソマミミーマートヘ、マミチキハイカガデスカー」


「駄目だ、こいつも心を殺してカウンターに立っていた」


 ラブコメって、漫画とか小説とかで見ている分には微笑ましいけど、現実でやられるといたたまれないよね。

 というか、漫画みたいないちゃつき方とか普通できないよね。

 俺は固まった幼馴染みに代わり、姉が間違いを起こす前に止めに入った。


◇ ◇ ◇ ◇


「マミミーマート追い出されたらいったいどこで仕事しろっていうのよ。そりゃ、確かにちょっと入り浸りすぎたかなって私も思っているけれどさ」


「いや、ちょっとどころじゃないですよ。もうちょっと他のお客さんのこと考えてあげて。というか、姉貴の精神状況のこと考えてあげて」


「わかった、つまり、マミミーマートを私が買えば、美香さんといちゃいちゃしても問題ないということだな?」


「うん、実嗣さん、自分たちがなにしているのか、ちゃんと自覚はしてたんだね。よかったよ、この恋愛脳炸裂アラサー乙女美香ちゃん先輩と同じだったら、俺はどうしようかと思っていたんだ。けど、発想がおかしい」


 実際それができる金持ちだけれど、そんなことあのババアが許す訳無いから。

 そして、もっと具体的で効率的な方法があるから。


 そんなことを思いつつ、俺と美香さん、そして実嗣さんは、俺の軽自動車で玉椿の町役場へと向かっているのだった。


 流石に平日。

 そして、田舎。

 駐車場どこでも停め放題。

 そんな感じの町役場。


 島に駐車してそのまま地域振興課へと向かうと、俺は窓口に立っているちょっと年上っぽい男性職員に声をかけた。


「すみません、町の二世帯近居補助制度の相談に来たんですけれど」


「「どういうこと!?」」


 後ろでバカップルが驚いていたが知るかボケというもの。

 あぁそうなんですか、どうぞどうぞ座ってくださいという職員さんに促されて、俺たちは町役場の相談窓口の狭いスペースにすし詰めになって座った。


 そう、このご時世である。

 玉椿町でも人口減少が叫ばれてはや二十年。

 もはや取り返しがつかないくらいに子供が減少し、住民税の税収が少なくなり、休耕田が増え、代わりに空き家が多くなった。

 そんな、この町では、人口増加のための取り組みが行われている。


 それが――二世帯近居補助制度なのである。


 具体的には、玉椿町に居住している親夫婦の家の近くに、市外から子供夫婦が越してきた場合に最大百万円の補助を出すというもの。

 また、子供が居る場合もしくは転居してきて数年に子供が生まれた場合、祝い金三十万円がもらえるという、しみったれた町にしてはゴージャスな制度なのだ。


 なんでそんなことができるかって。


 相談しに来る奴がいねえからだよ。

 とは、親父と誠一郎さんとお袋の談。


 金積まれても田舎になんか来たくないというのが、若者達の意見であった。


 まぁ、そりゃともかく。


「ちょっとようちゃんどういうこと!! いきなりこんなとこ連れてきて!!」


「マミミーマート以外でいちゃつきながら仕事できる場所があると聞いたからついてきたのに、これはいったいどういうことだい陽介くん!!」


「いやもう、あんたらさっさと同居した方が、いろんな人のためだと思ったんで」


「「そんな同棲なんて、まだ恥ずかしい!!」」


「もう今の状態で、恥のバーゲンセールしてるって気づいてます?」


 二人とも、ノマドワーカーなんてやっておらずに、とっとと玉椿に二人で暮らす家でもなんでも建てればいいのだ。

 いや、建てずとも借りてしまえばいいのだ。

 幸いにも、こういう制度があるのだから。


 姉のように思っている美香さんと、最近妙に頼りがいがあることが分かった実嗣さんをはめるのは心苦しい。

 心苦しいが。


 それより前に、この二人のやりとりの方が暑苦しい。


 もはやなりふり構って居られなかった。


「えーっと、まだお二人は籍は入れてないんですよね? だったらこの制度はちょっと受けられないなぁ?」


「ほ、ほらぁ、ようちゃん。職員さんもそう言ってるし」


「……まだ籍は入れてないから、仕方ないじゃないか」


「じゃぁもう、入れてやってください、この際なんで」


「「勝手に話を進めないでよ!!」」


 もちろん冗談だし、分かってもいる。

 というか、助成金については、実のところそんなに期待していない。

 というのも。


「旦那――彼氏さん、身振りよさそうだね。なに、どっかの偉いさん?」


「え、いや、その。一応、会社を経営してます、神戸の方で」


「……あー。転居の要件にはあてはまるけれど、収入の要件でちょっとはじかれそうだねそれ。子供の方の手当については、まぁ、なんとかなるだろうけれど」


 という訳である。

 ハイスペックカップルのこの二人。

 助成金は基本的に、未来ある若くて健康優良かつ慎ましやかな世帯に対して受給されるもの。普通に転居できる財力を持つ二人に、これはあてはまらない。


 実嗣さんじゃなくて美香さんの収入の方で審査しても間違いなくはじかれる。

 というか、二人とも金持ち過ぎ。

 一部上場企業の社長と課長補佐ってなんじゃいそれ。

 田舎が舞台のラブコメの登場人物じゃねえ。


 じゃぁ、なんでこんな所に来るのかといえば――。


「助成金はともかくとして、空き家の紹介はしてくれますよね? それで、そっちは別に婚姻関係になくても、適切な家賃さえ払えば貸していただけますよね?」


「それはもちろん。空き家、ほんともう管理者がいなくて困ってるからね。住んでくれるっていうなら、こっちが金を払いたいくらいだよ」


 ここから市内の賃貸紹介会社に行くのは面倒ですのでね。

 そして、町内のことなら町役場に聞いた方が早い。


 助成金を入り口に、二人の新たな愛の巣を探しにやって来たという訳であった。


 うむ。


「ちょちょちょ、ちょっと持ってくれ陽介くん!! まだ、心の準備が!!」


「そうよ、ようちゃん!! もうちょっと、こういうのは日取りを選んで!!」


「うっさい!! いい大人なんだから、腹括って同棲くらいしなさい!! あんたら働いてるんでしょう!! 愛し合ってるんでしょう!! きっかけがあったら同棲しようかなとか思いつつ、踏み出せないからコンビニ占拠して、いちゃいちゃしてたんでしょ!! いい迷惑なのよ、こっちも!! はよくっつけ!!」


「「……はい」」


 俺の一喝ですごすごといろいろ認めた二人。

 それから、ものの数分で、二人はちょいお高めのコワーキングスペースを手に入れたのだった。


◇ ◇ ◇ ◇


「いやー、という訳で一件落着。これでマミミーマートにようやく平穏が戻る」


「よくやった陽介。お前は、私の自慢の弟だ」


「いやいや、それほどでも」


「しかしお前、ニート無職の甲斐性なし、幼馴染みにプロポーズせず待たせている分際で、偉そうに人の恋路に割り込んだな。その行動力を仕事に活かせよ」


「ゆずちゃん、やめて、めでたしめでたしでおわりにしよ?」


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