第128話
熊退治あるいは熊捕獲。
マタギでもなければ北海道開拓民の末裔でもなく、日露戦争に出兵した先祖を持つ訳でもない俺には、唯々諾々とおらが村のマタギに従うことしかできない。
どんどこどこどこハイエース。
物々しい道具が山と積まれた日野さんのそれに乗って、俺たちは玉椿町の奥地へと向かった。はたしてそこに待ち構える巨大熊とは。
日野探検隊――おきぬけの熊を求めて――。
「とか、クソみたいなナレーションを脳内でキメてる場合じゃない。マジで熊退治やるの俺。無理無理の無理、素人にできるもんじゃない。どうしてこんなことに」
「だから、罠のチェックとかだけだから、そんな心配しなくても大丈夫だって」
「……いざとなったら、私の猟銃が空気を噴く」
「あ、それエアガンなのね。というか、エアガンで熊って殺傷できるんですかね」
「あははそこは麻酔銃だよ。まぁ、全身に薬が回るまで、ちょっと逃げ回る必要があるけれど、大丈夫、まだ、三十前半だろ陽介くんは」
「デスクワークとニート生活、そして薬のせいで体はボロボロ。俺の身体に三十代前半のポテンシャルを求めないでください」
はい。
これ少しも安心できない奴。
熊と闘う漫画をもっとちゃんと読んでおくべきだった。
最近流行だものね、クマと闘う系のお話。
クマと闘う描写より人間関係を追うのに必死で、倒し方とか全然覚えてねえ。
ぶっつけ本番。
思わぬタイミングで熊と闘う瞬間はやってくるんだな。
絶対に都会に住んでたらこんな機会巡ってこないと思うけれど。
ほんと、田舎ってこういうクレイジーな展開が当然のように発生するから嫌。
野蛮だわ野蛮だわ。ぷんすこ。
そんな訳で、これからは毎日を大切に、そしていつ熊と闘う瞬間が来ても大丈夫なように、気を引き締めて生きていこうと思う俺なのであった。
まる。
「お、ようやく観念したのかおとなしくなったね陽介くん」
「もう騒いでも仕方ないでしょ。というか、日野さんの腕は信頼していますから。指示も的確だと信じていますから、酷いことにはならないだろうと信じますよ」
美香さんや姉貴はともかく、正人さんは教え上手なんだよ。
中学生時代の部活で、彼に的確にアドバイスをもらったおかげで、運動音痴の俺でもそこそこ競技ができるようになった。
そう。
正人さんは努力の人なのだ。
親父さんに才能がないと言われたエピソードにも現れている。彼は本質的に、運動音痴というか、どんくさいというか、なんにつけてもとろくさい。
そんな人間が、三年間努力を重ねて部活のレギュラーの座を勝ち取った。
部長・副部長という花形ではないが多くの後輩に慕われる人物になった。
その事実を俺は知っている。
彼はただただ実直だ。
人はそれを時に愚直と呼ぶ。
けれど、俺はそんな先輩を心の底で尊敬していた。
熊狩り要員としてだまし討ち徴用されても、彼に対する想いは変わらない。
なのでまぁ、なんとかなるだろうと。
「しかし熊狩りかぁ。日野さんが駆除してくれているのは知っていたけど、そんな出るの? 本州の南の方だよ? いるのかねぇ、クマなんて?」
「いるよいるいる。まぁ、最近は数減ってるけど、毎年数頭は駆除してるんだ」
「……マジデ?」
「でないと僕らも生計立てられないしね。あ、もちろん熊以外に、猪や鹿なんかも相手にしているけれど。それにしたって、やっぱり猟の醍醐味は熊だよ」
「……奴の首元に弾を打ち込むスリル。当たれば生き、外せば死ぬ。緊張に躍る心臓を氷の精神で制御して引き金を引く、その駆け引きこそまさに人生」
「正人さん。奥さんちょっと変わってるって言われない? 俺、結構キャラ立った人には理解があるけど、いい歳して中二病みたいなこと言うのはどうかと思うぜ」
おっと。
いらんこと言うたら、氷の目をした夫婦がこっちを睨んできたよ。
あいあいあい、了解しました。
マタギにとってはこれが普通の感じなのね。
奥さんが中二病っていうか、正人さんが俺に合わせてくれているのね。
知られざるオラが村のマタギの実態。
男の子は銃と刀が好きな生き物だけれど、そんな子供心を忘れない人たちなのね。全国のマタギがどうなのかは知らないが、玉椿町のマタギはそんな感じなのね。
はい、これ以上はノータッチで行こう。
ついと視線を逸らす。
子供の心を忘れないが、大人の心も学んでいる日野夫妻は、それ以上そのガンギマリの目をこちらに向けなくなった。
ほんと、心臓に悪いからやめて。
これからもっと心臓に悪いことしに行くんだけれど。
窓の外を自然に見る俺。
ふと、その流れる風景に、既視感――そりゃよく見知った町なので、知らないはずはないのだけれど――を感じて、おやと首を傾げた。
これは、もしかして。
「……なんか河川敷の方に向かってます」
「あぁ、川の上流にある登山道あるだろう。あの横に開けた場所あるじゃん」
「……あぁ、俺と廸子が秘密基地作って遊んでた」
「そうそう、子供たちの秘密基地によくなる場所。それでもって、いつの間にか破壊されてて、甘酸っぱい思いする場所」
分かってる。
流石生粋の玉椿町民の正人さん。
玉椿あるあるをちゃんと分かってるぅ。
けどなんでそんな場所出てきた。
そして、いつの間にか破壊される話が出てくる。
疑問を抱きつつ、俺は話を続ける。
「いきなり壊されるんですよね秘密基地。何べん懲りずに作っても春先くらいに」
「そうそう、そうなんだよ。だいたい一回二回で懲りるんだけれどね。陽介くんみたいに、壊されても壊されても何度も造っていたのは珍しいよ」
「……うん? 正人さん、俺の秘密基地に遊びに来たことありましたっけ?」
「ないよ?」
んじゃ、なんでそのこと知ってんの?
あそこで遊んでたのは、俺と廸子だけなんだけれど。
姉貴経由の情報だろうか。
まぁ、確かに、後で聞いた話じゃ、姉貴もあそこに秘密基地を作って遊んでいたらしいけれど。けど、そんな何回も造ったとかまで話した覚えはないんだよな。
不思議そうだねとバックミラー越しに笑う正人さん。
いつになく意地悪な笑みに、なんかあるんすかと面白みのない言葉を返す。
実はあれ壊したの正人さんなんですか、とか、言えばいいのだが、いかんせん目の前の誠実一直線男にそんなことができるとは思えない。
思えなかったのだが。
「あれね、ぐちゃぐちゃにするの、僕も手伝ったんだ」
「……え?」
「正確には、僕も親父にぐちゃぐちゃにされたんだけれどね。あそこ、実は日野家の管理地でさ。そんでもって、この玉椿町で一番危ない場所なんだよ」
「……なんですって?」
え、つまり、どういうことときょとんとする俺を前に、笑う正人さん。
交差点。
赤信号で停止したのを機に彼は振り返ると、俺に申し訳ない顔を向けてきた。
これは、嘘でも冗談でもない顔。
「つまりね、あの空き地、狩りで仕留めた獲物の血抜きとかをする場所なんだよ。さらにもうちょっと奥に入ると、熊とかを捕獲するための罠があってさ。おびき寄せるための囮とかもおいてあるのさ。冬眠明けのこの時期だけだけれど」
「……マジですか?」
「マジだよ」
「……あぁ、それで、春先になると壊されて」
「そうそう。子供たちが寄り付かないようにね。バキバキに壊しちゃうとほら、心折れて普通はやってこなくなるんだよ。普通は」
えげつねー。
えげつないことするな日野家。
いや、ていうか、そんなんあれだよね。
町ぐるみでやってないとやれないよね。
玉椿の大人たちは知ってる奴かこれ。
きたねー、玉椿の大人たちきたねー。
そしてなっとくー。
「道理で金目のもんとか盗まれないし、壊されないし、おかしいと思ったんだ」
「はっはっはっは? でしょ? おかしいと思うでしょ、大人になると」
「あぁ、けど、まぁ、確かに子供心にはいい教訓になるか――」
も、と、言いかけた時だ。
俺が座っている中座席の扉を、どんどんと叩くものがあった。
なにごとと視線を向ければそこに立っているのはほかでもない。
俺のよく知る、幼馴染――廸子に間違いなかった。
なんだこいつ、どうしてこんな所に。
しかも血相を変えて。
すぐにドアを開ける。
信号は既に青に変わっている。
だが、ここは天下の田舎町玉椿。
後ろに迫る車の姿はない。
どうしたと尋ねれば、廸子は枯れた声で叫んだ。
「ち、ち、ちぃちゃんが!! 居なくなった!!」
「……はぁ!?」
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