第37話

 炸裂する美香さんの駄肉カウンター。

 彼女はこの十年を無為に過ごしてきた訳ではない。


 すべては姉貴――千寿に勝つため。

 それも、彼女のフィールドである降りで勝利するため。

 そのために、勝ち筋をひたすらに考えていたのだ。


 それが降りでの肉体を使ったカウンター。

 その胸と尻をたわわに実らせたのは、異性へのアピールのためではない。


 すべてこの時、この瞬間。

 後方に控えている降りの申し子に、打ち勝つための走りのため。


 この十年を、いったいどんな思いで美香さんは過ごしてきたのだろうか。

 姉貴に勝つために、どれだけの時間と労力を注いできたのだろう。

 それを思えば――。


「ほんと美香さんの姉貴への想いが重すぎて吐きそうなんだけれど」


「一周回ってあそこまで憎まれてたら逆に幸せよね」


 愛憎とは裏表。

 人は、激しく人を愛するが故に、時に激しく人を憎むもの。

 あるいは憎さの根底に、狂おしいほどの情愛があるからこそ。


 どうでもいい相手に、人間は熱量を持って接することなどできない。

 美香さんの姉貴へのコンプレックスは、ぶっちゃけその言葉で表せる。


 なんだかんだで、あの人、うちのババアが大好きなんだよ。

 だから走り屋集団の副頭領サブリーダーだって務めてたし、連戦連敗を喫しながらも、ずっとつるんでいたんだ。


 ほんと面倒くさい。


 けど、指摘したくらいでどうにかなるなら、ここまでのことにはなっていない。

 どこかで折り合いをつけてくれればいいんだけれども、それを今の今まで、姉貴も美香さんも避けて来た。

 だからこそ、こんな結末にたどり着いた。


「……美香。悪かったな、帰ってきているのを黙っていて」


「……なによいまさら!!」


「私は恐れていたんだ。お前と再び会うことで、私たちの関係が崩れてしまうんじゃないかと、それを恐れていたんだ。だから、今日という日まで、こちらに帰ってきていることをひた隠しにし、こんなことにまでなってしまった」


「もっと早く勝負していればよかったって!! 今更、自分の年齢を敗北理由にするつもり!! ははっ、老いたわね、千寿!! 昔のあんたなら、そんなこと口が裂けても言わなかったわ!!」


「否、断じて否。美香よ、人間に老いとは存在しない。人間は生き続ける限り、常に成長し続けるのだ。お前がこの十年で、そのような豊満な身体を手に入れたように。この私もまた、この十年で新しい力を手に入れたのだ」


 いま、それを見せよう。

 静かな決意と共に、姉が降りへと侵入する。


 美香さんとの距離は三十メートル。

 この距離を、残りの降りで埋めることができるかは、さっそく現れる九十九折りのカーブにかかっていた。


 往時の走り屋としての顔を垣間見せて姉貴――。


「しかし、この数秒であれだけの会話を成立させるって、ちょっと早口にもほどがありすぎるんじゃねえ。というか、二人とも、お互いのことをこれだけ瞬時に分かりあえるとか、ほんとゲロ気持ち悪くねえ」


「……だから、そんなこと言うなよ、陽介」


「「陽介(ようちゃん)は黙ってろ!!」」


「サー・マイ・ビッグ・シスター!!」


 余計なこと言うもんじゃねえな。


 ほんと仲良しの二人の間に入っていくもんじゃねえ。

 勝負の景品なのに疎外感しかないわ。

 蚊帳の外的な。


 女友達。

 さらに言うなら幼馴染だから分かりあえる。

 そんな深い関係性を、まざまざと見せつけられるばかりで、こっちとしてはうんざりな感じですわ。


 もうほんと俺抜きで勝負してよ。


 脱線はともかく。


 ババア。

 彼女もまたこの十年、いたずらに時間を消費してきたわけではない。


 もちろん、美香さんと違い彼女がバイクに捧げた時間は少ないかもしれない。

 だが、バイクの神様に失礼かどうかは、捧げた時間が決するものではない。

 いつだって神はきまぐれ。

 そして、愚直さよりも天稟を愛する。


 今、ここに繰り出したババアの必殺技は、まさしく美香さんの駄肉カウンターとは対極にある必殺技。たぶん、おそらく、即興で考え付いた技に間違いない。


 だって、姉貴が峠を今のバイクで本気で走るのは今日がはじめてのことだったし、そもそも彼女が繰り出した業は、おおよそこの日に向けてちゃんと考えてきましたという感じのネーミングではなかったからだ。


 彼女は叫ぶ。

 その体、そして――スーパーカブの後部に結いつけた、赤ちゃんシートをこれでもかと内に揺らしてカーブを曲がる。


 駄肉よりも、はるかに重い後部座席シート。

 それはビビッドなスーパーカブの小さな車体を、強引に捻じ曲げた。


 そう、それこそは、ババアの編み出した必殺。


「必殺!! 赤ちゃんシート振り子走法!!」


「「そのまんまかつどうしようもない技名!!」」


 しかし、そんなどうしようもないネーミングはともかく、姉貴のカーブは鋭い。美香さんを遥かに上回るスピードで、カーブに突っ込んだ彼女は、一切の減速なしにそこを抜けると、一車身その感覚を詰めた。


 まさしく神業。

 神に愛されるとはどういうことかを、体現するようなドライビング。


 その技に美香さんの額に汗が走る。


「馬鹿な!! 赤ちゃんシートを使って、カウンターをキメてみせただと!!」


「美香!! お前と私とでは、背負っているものがちがうのだよ!!」


「何が、何が違っているというのよ!! アンタと私にいったいどれほどの差があるというの――!!」


「圧倒的に違う!! よく見るんだ、この赤ちゃんシートに座る影を!! この後部座席に、私が背負っている命の重みを!!」


 すっげーいいこと言っている感じだが、見たことないのに美香さんに想像することできるのかね。


 ここ一番の勝負所で、とんちき言い出すのがいかにも姉貴。

 それにしたって酷い台詞である。


 あ、はい、俺には見えてますよ。


 姉貴が後部座席に背負っている影。

 もうありありと、幼児用のヘルメット被って、はしゃいでいる姿が想像できるってもんですよ。

 だってほら、家族ですから。


 たぶん家族同然の付き合いをしている廸子にも見えただろう。


 その影は――。


「おかーさん、はゃぁーい!! きゃっきゃっ!!」


 これが俺の貞操を賭けたレースだと言うことをまったく理解せずに、母のセーフティかつぎりぎりを攻める走りに、諸手をあげてよろこんでいるのだった。


 そう。

 ちぃちゃんである。


 美香さんとババアを分ける圧倒的な差。

 それはつまり、彼女が既婚者であること。

 そして、子供がいるということ。


 ただ、それだけであった。


 大げさに語るこっちゃねえ。

 そして、そんなパワーで倒されるとか、冗談もいいとこ。


 けれども姉貴。

 神に愛された降りの権化は、カーブを曲がるたびに美香さんに肉薄していく。


 ひとつ。

 ふたつ。

 徐々に近づくそのハイビームの光に、まざまざと美香さんの顔が青ざめていく。


 そして。


「……並んだ!!」


「いや、刺した!!」


 姉貴のホンダスーパーカブが美香さんを抜き去る。

 くそうと思わず美香さんがエンジンをふかしたが命取りか。


 ここは、吉田さんちのカーブの前。


「しまった、胸と尻の絶妙なコンビネーションが!!」


「……美香!!」


「おぉっと、ここで美香ちゃん、まさかの横滑り!! 吉田さんちに向かってシュート!!」


「いつもありがとうございます!!」


「まさかまさかの大決着!! 美香ちゃん、ここでまさかのコースアウト!! 吉田さんちのクッションにゴールインです!!」


 公道を大きくそれて、吉田さんちに突っ込んでいく美香さん。

 ちっくしょぉおぉぉおぉという叫びが峠に響いて、しばらくしてからぽすんという柔らかい音が響いたのだった。


 はたして――。


「ゴール!! ゴールゴール!! レースを制したのは、やはり十年前と変わらずこの女!! 玉椿町の峠の不敗神話を護り続ける女――豊田千寿ちゃん!!」


「ふっ、今は結婚して早川姓なんだがな」


「いや、そこ、別に訂正するようなとこじゃなくね」


「ほんと、ゴーイングマイウェイよね、千寿さんって」


 俺の貞操を賭けたレースは、まったく予想を裏切ることなく、姉貴の勝利により幕を閉じたのだった。


 うん。


「これ、俺が人質になった意味あります!? なんかずっととんちきばっかり言ってた気分なんですけれども!!」


「まぁそう言うな。姉のおもちゃになるのは、弟の務めだろう」


「もう俺、今年で三十二歳なんですけれど!! いいかげんそういう呪縛から解放していただいてもよろしいんじゃないですかね!!」


 ほんともうやだこの姉と姉の親友。

 田舎特有のしがらみっちゃしがらみだけれど、もうちょっと年齢を考えてくれ。


 はーもう。

 勘弁勘弁。


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