第36話
さて。
小さな町である。
峠のレースと言ってもかっ飛ばしたら十分そこいらもかからない。
勝負はすぐに頂上決戦。
山の峠へと差し掛かっていた。
「さぁ、さぁ、さぁ!! 直線部で稼いだリードを存分に生かしつつ、美香ちゃんが峠を攻める!! 流石の大馬力エンジン!! 登りでも、まったく落ちない加速性能で、コーナーでの減速をリカバーしての大爆走!!」
「加速音がそろそろ耳に厳しいワシらには、なかなか酷なライディングですな」
「ほんそれ。さぁ、それに対して千寿ちゃん!! おばあちゃんとの和やか談笑こそありましたが、今はなんとか射程圏内に!! ここはさすがのホンダが世界に誇るスーパーカブ!! 悪路での走行性能は折り紙付きという事か!! 更に、無理やり換装したスポーツカー用エンジンが、登り速度を下支えする!!」
「熱い展開となってまいりました。あ、そろそろ熱燗でいきましょうかね」
酒のつまみにバイクレース実況するとかどうなん。
玉椿峠の爺どもったらたくましくありすぎません。
そんでもって、いつの間にこんなもん仕掛けたのか、コーナー映像やらドローン映像やらを、つつがなく実況動画につないで来る。
動画配信技能凄いなこのおっさんたち。
田舎住みのくせにどんなITスキルしてんだよ。
ただの土地持ちと、農協のえらいさんだろ。Vの者とか副業に傾倒しなくても、別になんの問題もないような立場の方々じゃん。
ちなみに、この峠道だが。
実は稲葉さんの持山である。
道路自体は県道だが、山そのものは彼に所有権がある。
なんで、カメラとか仕掛けたりとか、そういうのもやりたい放題。
ほんと、警察はこいつら野放しにしてて大丈夫なの。
そこそこ地元で力を持ってる人たちだし、癒着とかあるのかしら。
怖いわ、ほんと怖いわ。
田舎の力関係。
まぁ、そりゃそれとして。
「レース内容としては予想通りだな」
「美香さんの登りでのコーナリングのダレを見越しての余裕の追走。ほんと、千寿さんの勝負勘は侮れないよな」
「登りのテクニックも相当なものでしたよ。まったく加減速にロスがない。完全に等速で坂を上るなんて、なかなかできないですよ」
でしょう。
俺もあの姉貴の走り方、昔から気持ち悪いなと思ってたんですよ。
コーナー抜けたらすぐに元の速度で走ってんだもん。
どういうセンスしてたら、そんなシームレスに走れるんだよって。
けどまぁ、あの姉貴だからな、きっと秘訣は教えてくれないだろう。
というか、教えられないだろう。
あれも素でやってるんだろうな。
感覚でなんとなくやってる奴なんだろうな。
コンビニ店長なんてならず、女性レーサーにでもなればよかったのに。
天も無駄な才能をババアに与えたもんである。
けど、姉貴の真骨頂はここから。
降りこそなんだよなぁ。
真の勝負は峠を越えてからだ。
「さぁ、いよいよここで、先頭を行く美香ちゃんが峠を越えました!! ここからは、九十九折が続くダウンヒル!! 左右に存分に車体を振る、激渋コース!!」
「さらに吉田さんちの曲がり角は九十度。その魔のヘアピンカーブを曲がり切れず、吉田邸に突っ込んだ単車は数知れず。多くの物損事故により、吉田邸は町内切っての事故御殿と化しております。という訳で吉田さん、今回の意気込みをどうぞ」
「おいでませ玉椿町。ようこそ、金づる――走り屋さんたち。吉田邸は、今日もみなさんがツッコんでくるのを安心安全クッションと共にお待ちしております」
あこぎな商売だな。
吉田のおじさん。
昔は突っ込んでくるたびに、またかよもうと青い顔していたのに、今や丸々太って赤ら顔だよ。もう完全に、物損事故に心を奪われた男の顔をしている。
というか、呼ぶなよそんなゲスト。
縁起でもねえ。
ここでレースはようやく本番。
そして、美香さんも観念するその時が来た。
VMAX。
直線走行性に極振りしたバイクを峠で操るのは至難。
バイクは乗るものだが、同時に乗り回されるものである。バイク本体の性能により、レーシングスタイルは大きく制限される。
VMAXによる降りは圧倒的に不利。
ここまで稼いだリードを、どれだけ活かして逃げ切ることができるのか。
そう、思っていた――。
彼女が腰を上げるその瞬間まで。
「おぉっと!! これはいったいどういうことでしょう!! 美香ちゃん、ここで大きく腰を持ち上げました!!」
「あぁっと、あの構えは!! 極端な前傾姿勢、そして、尻をはしたなく突き出すその姿勢は間違いありません!!」
「知っているんですか!! 近藤さん!!」
なんの茶番だ。
そう思う俺の前で、あろうことか、美香さんは登りよりもアクセルを強めた。
VMAXのエンジンが咆哮を上げる。
目前に迫るカーブへと美香さんを乗せて突っ込む。
ダメだ危ない。
その重い車体で、その速度でカーブに侵入すれば落下は免れない。
自殺行為だ。
多くの人が目を瞑り、南無三と唱えるその中で。
彼女は叫んだ。
「待っていたのよ!! この時を!! 千寿!! あなたに勝つために、私がこの十年溜めに溜めて来た必殺技が、ここに火を噴くときが来たわ!! そう、この瞬間まで、往時の走りしか感じさせなかったのもそのため!! 全ては降りで、貴方を倒すために私が仕掛けた罠!!」
「……よく舌噛まないな美香さん」
「そんな感想言ってる場合かよ!!」
「なんだって、まさか、あの技を使うのか、あのライダーさんは!!」
あ、走一郎くんも知ってる感じの奴ね。
なんだ、てっきり近藤さんだけが知ってるマニアックな奴かと思ったら、もっと有名な奴なのか。
どれどれ、教えてみそ。
俺は走一郎くんに視線を向ける。
スマホの動画とシンクロして、彼はその美香さんが使った技を叫ぶ。
そう。
胸の肉と、尻の肉。
二つの女性特有の肉をシンクロさせ、カウンターを入れることにより、あのVMAXの巨体を強引に曲げ切るその技の名は。
「「妙技、駄肉カウンター!!」」
「見たか!! 十年で育てた乳と尻を!! むっちむっちに仕上げたのは、何も色仕掛けのためじゃない!! レースでの体重移動を行うためよ!!」
「うーん、いいお尻です!! やはり女性は三十を越えてからが本番!!」
「おっぱいもたまりません!! 絶妙に垂れた感じが実に駄肉!!」
「ほーっほっほ、なんとでも言うがいいわ!! 勝てばいいのよ、勝てば!!」
あっけにとられる俺と廸子。
いやまぁ、言われて納得な技名だけれども。
「すっげぇ失礼な必殺技!!」
「……セクハラもいいとこな必殺だな」
思わず、セクハラの申し子の俺も真っ青になる、ひでえ技であった。
駄肉って。
いやまぁ、確かにそうかもだけど。
もうちょっと言い方がなかったのか。
けれどもこれがすんなり決まる。
面白いほど、エグい感じにカーブで決まる。
それこそ、幾ら熟練のバイカーの美香さんでも、その速度では確実にコースアウト。コーナーの向こう側にバイバイしちゃうだろうと誰しもが危ぶんだところを、彼女は華麗に曲がり切る。
ほぼ直角、しかもスピードを殺さずに曲がり切る。
轟音止まらず。
峠道を、テールランプがまばゆく引き裂く。
「さぁ!! 千寿!! 貴方のフィールドの峠の降りで、ぶっちぎってやるわよ!! 今日から降り最速の名は私がいただくわ!!」
「……なにかと思えば、駄肉カウンターだと。やれやれ、まったく、発想が類人猿並みだな美香。その程度の技で、私に勝てるだなんて思うとは」
「なんですって!!」
「技というのはどういうものか。そして、降り最速というものがどういうものか。十年ぶりに教えてやろうではないか」
その時、姉貴もまたその腰を上げる。
大きく前傾して、前輪に体重を預けた彼女の顔は、十年前のそれ玉椿町降り最速の名を冠した、女王の風格を取り戻していた。
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