第35話

「さぁ、はじまりました、玉椿町ちきちき峠バイク狼一本勝負」


「いやぁー、久しぶりですね。かれこれ十年ぶりくらいになるでしょうか」


「前回のバトルが千寿ちゃんが町を出た最後の日。あの日、涙と泣き顔で彼女の背中を見送った、女輝走アマテラスのメンバーたちも、彼女たちの活動を微笑ましい目で見守っていた町人たちも、すっかり集まっております。いねえのは、警察ただそれだけ。玉椿町きっての名物ですからね」


「という訳で、実況は私、玉椿町の峠の家に住んで六十年、稲葉俊彦と」


「そんな彼の家によくお邪魔しては、朝まで飲んでるろくでなし。農業組合玉椿町支部長、近藤英輔でおおくりいたします」


 だれや、爺ども。


 そんな感じのツッコミが入りそうなものだけれども、彼ら峠に住んで長いもんだから仕方がない。

 古今東西、玉椿町で繰り広げられた色んなレースを酒のつまみにしてきたおっさんたちは、ことレースの解説役としてはうってつけ。


 今日も元気だ、バイクのテイルランプで日本酒が旨い。


 稲葉さんと近藤さんは、玉椿町の名物。

 レース解説おじさんであった。


「ちなみに、現在ユーチューブでこのレースは配信しております」


「ワシらの飲み代はみなさんのいいねに支えられております。この動画を見てビビッと来た人はいいねボタンをよろしくお願いします。宮の雪が買いたいんです」


「ワシはいつものステラ光年」


 マニアックな地元のお酒を出さないでちょうだい。

 ほんと、この飲んべえ爺どもは、相変わらずくたばらねえな。

 元気なこってなによりだ。


 そう。

 俺たちはレースを前にして、一斉にスマホで動画配信を確認しだした。

 便利な時代になったもんだぜ。


「レースマンガじゃあるめえし、レース中継なしにおっかけるのは無理よな」


「昔は道に散らばったり、ゴール前で応援したりしてたのに、なんか時代だなァ」


「……すごい、峠のレースの完全ライブ放送。警察をも恐れぬ狂気の所業。これが玉椿町。走り屋たちの約束の場所」


 なんか走一郎くんが、感動しているけれど、玉椿町ではよくあること。

 なんだったら、十年前もケーブルテレビでレース中継してたぜ。

 いぇい。


 ほんと、よくもまぁ、警察の人たちもこんな奴らを見過ごしているもんだ。


 職務怠慢ってもんですよ。

 あるいは、癒着。

 町の人たちと癒着してなくちゃ、こんなことできやしませんよ。


 まったく、もっとちゃんと仕事してくれ、警察さん。

 不審者に声掛けする前に、走り屋に声かけてくれ。

 交通課はあるんだろう。

 なにやっているんだよ。


「ほんと、日本のホンジュラスよな、玉椿町ってさ」


「ホンジュラスに失礼だろそれ。どんな街かしらないけれどさ」


「それよりお姉ちゃん、お兄ちゃん!! レースが始まるみたいだよ!!」


 ぶぉんぶぉんと排気音を奏でる二つのバイク。

 その音は、ゴールのこちら側まで伝わってきている。


 なぜならばコースの端と端は便利なバイパスにより接続されているから。

 これぞ時代の波に取り残されたなんとやら。土木工事により山がなくなり、ずいぶん昔から、使われなくなった山道を使って、レースは行われているのだ。


 大型エンジンを搭載した二機は、玉椿町峠の入り口――町を横断している県道の東端にスタンバイしている。

 県内東部の平野部からゆっくりと登っていくロングロードからの、九十九折りになった坂道。これをがっつりと登りきると、またしても急なヘアピンカーブ。

 そして、最後は俺たちが待っているちょっと開けた路側帯へと至るのだ。


 途中、古くからの玉椿町の民家の前を通るそれは、まるっと、玉椿町の端から端までを横断する格好になっている。事実、コースのスタート地点の上には、玉椿町の看板が。ゴールの地点には奥川郷の看板が掲げられていた。


 今、玉椿町の看板の下に、二つのバイクが並ぶ。

 白線の前に前輪を合わせて停車したその二台から人が離れる。


 準備万端。

 コース上に二人きりとなった、姉貴と美香さん。

 視線を交わすことなく、二人の走り屋は前傾姿勢に入る。


 ゴーと、旗を振ったのは、女輝走アマテラス時代から旗振りを務めているチームメンバー。


 今は二児の母にして、二人の二つ下の後輩の、滝川さん。

 国際レース場からパチって来たのかという白黒の旗がたなびけば、二人はこれでもかとエンジンを回転させて、スタートダッシュを決めた。


 爆音が、夜の玉椿町に木霊する。


「さぁ、いよいよスタートです。例によって、ストレート部、いきなり序盤から勝負を仕掛けてきたのは美香ちゃんだ」


「ストレート・ニトロ・ガール!! その図体だけにコーナー性能に難のあるVMAX!! いわゆる峠道などのカーブが多発する場所では、その真価は発揮できない!! そこを見込んでの先手になります!!」


 これはいつも通りだ。

 そして解説通り。


 美香さんが乗っているバイクは、例によって大型かつゴテゴテした車体故に、九十九折になった峠道などに侵入する際、減速によって大きなロスが発生する。

 その反面、障害物のないストレート部では、エンジン性能をいかんなく発揮して、とんでもない――公道で出しちゃいけないような速度――を叩きだす。


 モンスターマシンの名に相違はない。

 そして、それを曲がりなりにも乗りこなし、勝てはしないけれども、姉に食い下がって来た美香さんである。


 十年たっても、その基本戦略と操作テクニックは少しも鈍ってはいなかった。


 そして、その遥か後方。


「さて、やはりオートバイに大型エンジンを積むのは無理があったか!! 名のあるグランプリを制したはずのRC11Vのエンジンが、無様に泣いている!!」


「これは余裕か、それとも腕が鈍ったか、大きく峠降り最速――千寿ちゃんが出遅れた!! さぁ、ここまでの車体差ははじめてのことだ、ついに、ついに美香ちゃんが千寿ちゃんに勝利する日が来たということか!!」


 そらどうだろうね。


 まぁ、姉貴が全盛期に乗っていた、無改造のRC11Vが、この峠において最速だったのは俺も素直に認めよう。

 そして、ちぃちゃんのためにあのバイクに乗り換えたのもまた事実だ。


 けれど、だからといって、あのババアの天才的なドライビングテクニックが死んだわけではない。


 なにより。


「千寿さんの本領は、峠に入ってから。しかもダウンヒル」


「そうそう、あのババアは序盤は捨ててんだよ。だから、何も騒ぐこっちゃない。いつものこといつものこと。峠に入ってからが、あのババアの本領よ」


 なんだかんだといつもはババアに文句を垂れている俺だけれど、彼女のドライビングテクニックについては信頼している。

 過去何度も、こうして序盤に差をつけられても、彼女はきっちり、それを峠で取り返してきた。

 コーナーの魔女なのだ。


 別に、出遅れたくらいどうということはない。


 大丈夫。

 普通にやっていれば、姉貴が美香さんに負けることはない。


 俺が美香さんの名義上の旦那になることはまず起こりえないのだ。


「あ、なんか道で応援しているおばあちゃんの前で止まりましたよ、千寿さん」


「向坂さんところのおばあちゃんだな。最近コンビニに顔出さないから、心配だなとか言ってたっけ。あ、なんか話こみだした」


「おいこらババア!! レースに集中しろ!! 俺の未来がこれでも一応かかっているんだぞ!! あと、膀胱も!! ほんと、地域に根差した手堅い経営も結構ですけれど、その前に家族のこともちゃんと考えて!!」


 マジで、真剣にレースしてくださいよホント。

 あの美香さんの旦那とか、名義上でも無理無理の無理なんですから、ほんと。


 というか、アンタらゴリラの旦那になれる人間なんて、世界広しといえども、数人しかいませんよ。


「あ、なんかバイク降りましたね」


「がっつり話し込んでる」


「ババァー!!」


 嫌がらせかよ。

 背中で人の心を読んでんじゃねえよ。


 ちくしょう、早く走ってくれ!! 頼むからァ!! ババァ!!


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