第13話

 某府某市にあるメンタルクリニック。

 俺は一か月ぶりに町を降りると、最寄りの私鉄に乗り、三年来の付き合いになるそこへと足を運んだ。


 忙しいご時世である。

 まだまだ、メンタルクリニックの需要は高いらしく、駐車場には数多の車。

 待合席には患者と付添人と思しき人々がひしめいている。


 予約は取ってある。

 時間が来ればほぼ待ち時間なしに診察。

 聞かれる内容もだいたい月並み。

 今月はどうでしたかと、経過報告を淡々とするだけだ。


 本当に、淡々と、だ。


「今月はどうでしたか」


「……そうですね。生活リズムも安定していますし、夜もちゃんと眠れています。運動はしっかりとしたものはしていませんが、外に出るようにはしています」


「なるほど」


「姪っ子と遊ぶのがちょっと体力的にきついですね。けど、嫌ではないです。前にも話したと思うんですけれど、幼馴染がコンビニで働いていて。彼女に会いにいったりして毎日過ごしています」


「そうですか。まぁ、人と関われるようになってきているのは、いい傾向ですね。それ以外の方とはどうですか?」


「……まぁ、ぼちぼちですかね」


「……まだ、抵抗感はあります?」


 なかったら俺はこの病院に通っていない。

 沈黙で俺は主治医の問いを肯定した。


 はいと言ってしまうと自分を呪ってしまいそうだった。

 ただ頷くだけのことが、自分の人間としての欠陥にまざまざと思い知らされるようで嫌だった。

 もう、黙ることしか俺にはできなかった。


 昔から、俺は困った時はそうしている。

 そういう生き方をしてきたのだ。


 別に俺は対人恐怖症、あるいは、社会性不安障害という訳ではない。

 アスペルガーやADHDでもないし、敏感な人という訳でもない。


 ただただ病名のつけられないグレーな存在であるというだけだ。


 三年前。

 俺は勤めていた会社で、組織的な孤立とプロジェクトの遅延というダブルショックを経て、順調に社会をドロップアウトした。

 なんということはない、俺は会社の中でいつの間にか仕事のできない二割の中に配置されており、そして、人身御供のようにその年に切り捨てるべき社員として、見事にみせしめにされたのだ。

 

 という話をすると、流石にそれは考え過ぎだよと医者は笑う。


 ただ、毎年、誰かが辞めていく会社――それも、円満ではなく、何かしらの問題を解決することなく去っていく――が、ろくでもないのは事実だと思う。

 今でもそうだと断言できる。


 とはいえ。

 会社の中で孤立したのは、俺が根本的な病気を抱えているからだ。

 孤立を極めて、助けるあてさえ作ることができないほどに、俺のコミュニケーションは幼稚でそして脆弱なモノだった。


 だから、精神を病んで会社を辞めた事実を認められなかった。

 全てあの会社が悪いと結論付けて、医者のいいつけを守らなかった。


 無理やり再就職した先で、また同じことを繰り返すのに時間はかからなかった。

 むしろ経験者というのが災いした。同じように、周りに助けを求めることができなくて、パンクして、俺はまた自らドロップアウトした。


 一年も持たなかったのはお笑い草だ。

 毎日、布団から出るために、動け動けとまるでロボットパイロットのように、身体に命じている。それにメタ的に気が付いた時、周囲がおかしいのではなく、俺は自分の中のなにかがおかしいのだとはじめて理解した。


 つまるところ、俺は人間としてどうしようもなく欠陥品だった。

 にっちもさっちもいかなくて、社会的な保障も受けられなくなって。


 結局、俺はあの田舎に帰ったのだった。


 廸子とちぃちゃん、姉貴に親父たちが待っている、あの町へ。


「ご実家に帰られたのがよかったんでしょうね。豊田さんは、こちらのコミュニティになじむことができずに苦労されているようでした。人のつながりを作ることができず、苦労されていた。それが、町に戻ったことでちょっと緩和されたようです」


「……なんですかね」


「少なくともこちらに居られたときは、友達の話なんて出てきませんでしたよ」


 そうかもしれない。


 いや、そうだった。


 実際、俺は都会に出てからというもの、プライベートをほとんど作ることが出来なかった。


 同僚とも仲良くなれず。

 隣人の顔も知らず。

 地域の催しにも参加せず。

 濃厚な社会人というロールだけを続けてきた。


 だからこそ、そのロールが致命的な破綻をきたした瞬間、俺という自我は崩壊して、社会に居場所を見失った。あるいは、その破綻に気がついて、助けてくれる人が傍にいてくれれば、話は違っていたのかもしれない。


 嫌な話だ。

 本当に、考えるのも、話すのも憂鬱になる。


「変な話ですよね。都会で、社会人としてし単なる労働力でしかなかった俺が、田舎じゃニートの豊田陽介として個人として認識されて生きていけるんですから」


「そういうものですよ」


「そういうものですか」


「人間というのはいろいろな居場所を持つものです。どこか一つ所にとどまっていれば、そこに居られなくなった時に破綻します。資産運用と同じですよ。何かがダメになった時に、どこかが上手くいかなくなったときに、逃げれる場所があるというのは大切です」


「資産運用するほど稼いでなかったので、なにも言えませんね」


 今もこの病院に通うのに、両親からの援助を受けている身の上である。

 ほんと、笑えない話であった。


 さて。


 診察はこんな感じで、いつも終わりだ。

 あとは、次の受診日を決めて、それで、はい、さようなら。


 治療しに来ているというより、ただただ、医者に顔を合わせに来ているだけ。

 けれども、それが大切なのだ。


「お薬はいつものをお出ししておきますね」


「よろしくお願いします」


 薬のない生活はもう考えられない。

 俺の壊れた心をなにより癒してくれるのは、仕事でも、田舎の風景でも、幼馴染でも、家族でも、姪っ子でも、エロビデオでもエロ画像でもない。


 合法的に、心を楽にすることができるお薬だった。


 減薬はまだ遠い。


 二回の社会的な破滅からの再生は、どうしたって、俺も主治医も慎重になる。

 だから、まだまだこの不毛なやり取りは、これからも続くことになるのだろう。


 続く限り、俺は、廸子と――。


 そう考えて、少し、俺はうつむいた。

 悔しくて、情けなくて、どうしようもなくて。

 唇を噛んでその場に頭を垂れた。


「……どうかされました、豊田さん?」


「いえ。ただ、ちょっと、幼馴染のことを考えて」


「あぁ、幼馴染さん。よく、会いに行かれてるっていう」


 見てみますかと俺はスマートフォンを取り出してみる。

 いつぞや、それは、ちぃちゃんが撮ってくれたツーショット写真。

 俺と廸子の、数十年ぶりのツーショット写真。


 それを見るなり、医者は目を剥いて、そして深刻な顔を俺に向けた。


 そう――。


「豊田さん、貴方」


 まるで、信じられないものを見るような、そんな顔を。


◇ ◇ ◇ ◇


「お前みたいな筋金ヤンキーとまともに会話できているんだから、もしかしてコミュ力強の者なのでは。試しにお仕事なんかやってみますって言われたんだけれど――どうしてくれるんだよ、廸子!!」


「……何が?」


「傷病手当金貰って、まったりスローライフとか考えてたのに、お前のせいで診断書を出すの考えなくちゃいけないかもって、先生に言われただじゃないか!! どうするんだよ!! 働かなくちゃいけないじゃん!!」


「……働けば?」


 やだよう。


 まだもうちょっと、俺はニートしていたいんだい。


 労働は人類悪。


 もう、かれこれ色んな病名で、ニートしていると分かるんだよね。


 いやぁ、それより。

 廸子が実は俺の妄想の存在とかじゃなくて本当によかった。


 それが本当になによりよかった。


 働かなくちゃいけないかもしれないのはちょっと鬱だけど。


「責任とってよ廸ちゃん!!」


「だから、働けよ!!」


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