第6話
廸子のシフトは基本的に昼勤だ。
毎朝、午前十時前後――他のバイトさんとの兼ね合いとかもあり多少は前後する――に出勤。
そして、午後五時ちょっと前――これは事情を説明してあるためほぼ変わらない――に上がるようになっている。
夕食を、廸子はたった一人の肉親である爺さんと家で食べている。
帰りしなに、マミミーマートの総菜とかも買っていくんだけれど、基本的には家で作ってるというから、ほんとたいしたもんである。
仕事しながら料理をするのは大変だ。
俺も独身生活していたが、とてもそんな余力なかった。
だいたいコンビニ飯。あるいは弁当屋。
だいたい仕事で疲労しきって、作る気力なんて残っていないのだ。
なのに作れる。しかも家族の分までというのだから脱帽である。タフである。
都会に出て一人暮らししているとき、ろくすっぽに料理なんてしなかった俺は、廸子のそんなマメさを素直に尊敬していた。
け・ど・ね。
ニートって基本的に暇なのよね。
定年退職したおっさんと、ニートがやり始める趣味のセンターを長らく務める鉄板アクティビティ。男のお料理。
そう、ここまで言えばもうお察しだろう。
「廸ちゃんおつかれー。今日はね、私がお弁当作って来てあげたの。見て見て、とっても美味しそうにできたんだ。食べさせて、あ・げ・る・ね!!」
「……お客様、バイオテロは流石に勘弁していただけますか」
誰がお料理下手くそ系ヒロインじゃい。
俺は男ぞ。
お前、この手の話で、ヒロインよりも男の方が料理が上手いってのは、常識中の常識でもはや疑う余地のない奴やろう。
あれや、不在気味の両親に代わってうんちゃらかんちゃらで料理してたら腕が上がってみたいな奴やろ。ライトノベルの御テンプレでございましょうよ。
それでなくても昨今はグルメ小説の需要があるのよ。
時代の流れに乗りなさいよ。
廸子ちゃん。
そんなだから行き遅れるのよ貴方は。
女としても!!
ヒロインとしても!!
「やいやいやい!! なんでいその言い草は!! こちとら丹精込めて、三時間じっくり愛情と複雑な男心と中年の性欲を煮込んで料理を作ってきてやったっていうのに!! 廸子さんや、そんなバイオテロなんてセンシティブな表現はおよしになってください!! せめて食ってから文句を垂れろ!!」
「……分かった。ちょっとバックヤードから袋取ってくる」
「胃の中から全力で文句を垂れる気になってんじゃないよ。ほんともう、ちゃんとしたの作って来てるから、マジのマジで」
本気のニート料理を舐めてもらっちゃ困るぜ。
こちとら、手間と暇はかけ放題なんだからな。
食材も、まぁ、なんだ。
家の冷蔵庫にあるもんについては、多少自由に使っても文句言われないからな。
まぁ、ちょっと高そうなの選んではみてやったからな。
ふふっ。
まぁ、笑っちゃう話だけれどさ。
勝手に食材使ってるのにさ、褒められちまったよ。
陽介、お前もようやく家のために何かする気になったかって、親父に涙目で褒められちゃったよ。
なんかもう、今にも膝から崩れ落ちそうな感じでさ。
ほんと。
怖かったわ。
料理作ったくらいでおおげさなんだよ。
いや、まぁ、無職だからね。
仕方ないね。
老後とかいろいろ考えると、そりゃオーバーリアクションしちゃうよね。
ごめんね、ほんとごめんね。
仕事する気はまだないけれど。
さておき。
今日も今日とて閑古鳥のコンビニエンスストア。
マミミーマートのカウンターに俺はタッパーに詰めたそれを置く。
レンチンした方がいいかと問う廸子に、人肌で温めておいたから大丈夫と返すと、絶妙に嫌そうな顔をされたが、そんなこと気にしない。
彼女を無視して俺は蓋をあけた。
むわり。
むせ返るように匂い立つのはしょうゆの香り。
香ばしく、そして、香ばしい、それでいてさりげなく香ばしい、大豆汁の匂いだ。そう、日本人に産まれたならばこの匂いが嫌いじゃない人間はいない。
ごはんにかけるだけで三杯はいける。
たまごと混ぜればもっといける。
納豆でも可。
「醤油の煮つけ!! 百パーセント生醤油で作りました!! さぁ、どうぞ!!」
「どうぞじゃねぇ!! 何考えてんだおめーはよう!!」
だって、料理とか、俺、中学校の家庭科以来だったんだもの。
なんか調味料とか、よくわからなかったんだもの。
日常的に使っているのが、塩か砂糖か醤油の三つだったから、一番この中でお料理っぽい醤油で煮しめてみたくなるのはしかたないじゃん。
いやーしかし、驚きだね。
まさか、こんな簡単な煮物に、しょうゆ一本まるまる消費するなんて。
料理ってのは奥が深いや。
「おまえこれ、もうちょっとまごころっていうか手心っていうか」
「なに、廸ちゃん。私が一生懸命作ったお弁当が食べられないっていうの。酷いよ廸ちゃん。こんなに私頑張ったのに。慣れない手で一生懸命作ったのに」
「いや、けど、お前、こんなぎっとぎっとの醤油で煮しめた料理なんて、どう考えたって体に悪いだろ」
「悪くない!! 大豆は畑のお肉なのよ!! そして、ウィンナーと、ゆで卵は、大人も子供も大好きなみんなの食べ物じゃない!!」
「ウィンナーとゆで卵をどうして醤油で煮ようとした」
「……美味しいかなって」
オリジナル、ニート料理あるある。
こだわりが強すぎてクックパッドとか見りゃいいのに、これが俺のやり方じゃーで大変なことになる。
クソニート料理あるあるである。
うん。
ぶっちゃけ、タッパーに詰めた時点で、こりゃあかんわとは思いましたよ。
ウィンナーとゆで卵、奇跡の出会いによる美味さの相乗効果。
流石よーちゃんやればできる。
料理の才能あるんじゃねえの。
とか、自分に嘘ついてやってきました。
こんなん普通にアウトだよ。
そんでもって――意図せずセクハラだよ。
卵二つにウィンナーが一つ。ぶらりぶらりと卵に挟まれ揺れるウィンナー。
もう、どうしようもねえよ。
そんなつもりはなかったよ。
ふざけてヒロインっぽく登場したけど、普通に廸子に差し入れしようとおもって今日は来てたよ。いや、なんか店の都合で急遽残業を引き受けたとか聞いたから、廸子の爺さんの様子を連絡しつつ、お弁当を持ってきてやるつもりだったよ。
どうしてこうなるかなぁ。
「……まぁ、煮卵と思って食えば。食えば。食えるのかな?」
「いいんだ、無茶しないでくれ廸子。さっ、このお金で、お弁当なり、おにぎりなり、好きなものを買って食ってくれ。幼馴染の俺には、こんなことしかできない」
むぅ、と、廸子。
なんだかちょっと男らしく息巻いて、彼女は眉を寄せる。
それから、すぐにカウンターの下から割りばしを取り出すと、袋の中から取り出してぺきりと折る。
生温かい、しょうゆの匂い燻るタッパーにそれを伸ばすと、ひょいと器用にゆで卵を箸でつまんでみせた。
一口でそれを食べる廸子。
ほむほむと頬張って、それを咀嚼すると、一言。
「……まっじぃ」
「酷いわ廸ちゃん!! アタイの純真と労力と時間を返して!!」
「食ってやったんだから文句言うなよ。けどまぁ、なんていうかな」
愛情は伝わったぜとテレ顔で言う廸子。
おいおい、お前、ちょっとなに言ってんだよ。
そんな少女漫画のヒーローみたいな台詞、こっぱずかしいじゃんかよ。
やめてぇ、好きになっちゃうぅ。
それに――。
「愛とか恋とかそういうんじゃないだろ、俺たちの関係はさ。そういう簡単に割り切れるもんじゃないじゃん」
「……そだな」
でなきゃお前、とっくの昔に手を出してるっての。
おめー、三十代の性欲をなめんなよ。
お年頃が幼馴染のパツ金ヤンキーしかいないとか、割と地獄なんだぞ。
しかも爺さんの介護で、恋とか愛とかそういうの御法度な上に、俺もいろいろあってそういうことする余裕ないって――。
うん。
ごめんな、廸子。
こんなことしかしてやれなくて。
こんなバカなことしかお前にしてやれなくて。
ほんと、ごめんな。
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