ダガスランドデビューの日2
「あら、なんの話をしているの?」
アイスクリームを持って帰ってきたアウラも輪に加わる。
アレットは彼女からチョコレート味のアイスクリームを受け取って、口に含んだ。ひんやりとしたかたまりがしゅっと舌の上でとろける。冷たくて甘いアイスクリームをしばし堪能しつつ、三人が話す夏のフェスティバルに耳を傾ける。
「カイゼル氏も出資をしているもの。初日のオープニングセレモニーの招待状が届いていると思うわよ」
「まあ今日ここに来ている人たちの家にはもれなく届いていると思うけれどね」
アウラの言葉をクラリスが引き取る。
「お祭りってわくわくする響きね。わたし、とっても楽しみだわ」
「みんなで一緒に行こうね」
シレイユがにっこりと笑った。子供たちも楽しみにしているの、と彼女は続ける。
「ええ。もちろん」
アイスクリームを食べ終わった三人は部屋を移動しようと歩き出す。一番の大広間からは楽団が奏でるワルツの曲が流れてくる。別の部屋は休憩所になっていたり、紳士が集う煙草室に撞球室、それから婦人のための休憩室など、今日のシェーン・ハプス館はどの部屋からもまばゆい明かりが点されている。
「アレット・カイゼル夫人。私とも一曲踊って頂けませんか?」
歩いていると、四人の前に一人の紳士が躍り出る。
ヴァレルと同じ頃合の男性だろうか。背はヴァレルの方が高いが。
「えっと。わたし、今日はもう……」
初めての舞踏会。アレットは気の利いた断り方など知らなくて、つい口ごもる。はっきり断らないということは、押せばいけると踏んだのか男はさらに「今日は夫人と踊ることを楽しみに参加をしたのです。ずっと順番を待っていたのですから、一曲くらい相手をしてください」と畳みかけてきた。
アレットと一緒にいた三人は、その言葉に顔から余所行きの仮面を外した。
「で、でも。そろそろ夫を探しに行かないと」
ダンスは食傷気味なアレットは控えめに申し出を断る。
そもそもヴァレル以外と踊りまくって何が楽しいというのか。愛想笑いも続けると頬が引きつって辛いのだ。
「夫。カイゼル氏なら今頃はきっと仲の良いお友達とお楽しみの最中だと思いますよ」
ヴァレルを引き合いにだした途端に男が皮肉気に口を歪めた。アレットは内心ムッとした。目の前の男がヴァレルを馬鹿にしているように感じたからだ。
「あなたもせっかくなのだから楽しんだ方がいい。こう見えて私はロルテームの貴族の血を引いているのですよ」
ロルテームとはフラデニアの北にある王国の名前だ。
「でも……」
アレットは言いよどむ。
相手がどんな経歴かもわからないから下手なことは言えない。本当ならさっさと断ってしまいたいのだが、もしもヴァレルと仕事で繋がっていたらあとあと面倒になる。
もしかしたらヴァレルから了解を取っているのかもしれない。そこまで考えて、さすがにそれはちょっといじけ過ぎだと自分を叱咤する。
ヴァレルは仲のいいお友達とカードでもしているのかもしれない。もうちょっと妻のことを心配してくれてもいいのに。そういえば最初のダンス以降ずっと放置されている。
「わたし、夫を探しに行きます。さすがに、ちょっと……放っておかれて寂しいので」
「え……、一曲くらいいいでしょう」
男はしつこく食い下がる。
「ああもう。面倒ね。アレットはあなたみたいなチビと踊りたくないって言っているんだからさっさと回れ右して帰りなさいよ!」
男性のダンスの申し込みくらい自分で断れないとこの先やっていけないぞ、という先輩心を吹かせたシレイユらは今の今まで口を挟まなかったのだが、ここにきてシレイユが切れた。
「なっ……き、きみ失礼だぞ。私はきみとは違って貴族の血を引いているんだ」
「ああそう。知らないわよ、そんなこと。
(いや、シレイユも最初わたしのこと珍獣扱いしていたわよね)
ふんぞり返ったシレイユに、アレットは心の中でこっそりと突っ込んだ。
「カイゼル家のような成り上がりものはそう思いたいのだろうがね」
男も負けじと言い返す。
完全にターゲットがシレイユへと移った。
男女の諍いに周囲の好奇の目が向けられるのが分かる。アレットはどうしようかと狼狽えた。もっと自分がしっかりと断ればよかったのだ。
目を泳がせていると、男の後ろから知った人間が近寄ってくるのが見て取れた。アレットは目に見えてホッとした。
それはおそらくクラリスとアウラも一緒なはずだと信じたい。
たとえ小さな声でクラリスが「シレイユもっとやっちゃえ」とつぶやいていても。
知った人間、要するにヴァレルはアレットの正面、男の背後から近づいてきて彼の肩にポンと手を置いた。
「そろそろ、俺の可愛い妻から離れてもらおうか。あと、シレイユ。おまえはその口をいますぐ閉じろ」
「カイゼル!」
「お兄様。……失礼ね。アレットを守っていたのよ」
男は近い距離で聞こえた声の持ち主に驚愕し、シレイユは苦虫をかみつぶしたような声を出す。
「それはありがとうと言っておくよ」
ヴァレルがシレイユと会話を始めたタイミングで男がヴァレルから素早く距離を空けて「それじゃあ、私はこれで」と言って立ち去ろうとする。
「ああきみ。貴族の血を引いているのが自慢なようだけれど、この国ではそんなこと何の意味も持たない。こんなところで妹相手に喧嘩をする時間があるのなら、銀行を説得するための事業計画書でも書いている方が有意義なのではないか? ずいぶんと金策に苦労していると風が私の元にも噂を運んできましたよ」
ヴァレルの舌鋒が牙をむく。妹を、己の血を馬鹿にする男に一泡吹かせたのだ、ヴァレルは。
男は目に見えて羞恥したが、誇りが己を奮い立たせたのかぐっとこぶしを握ってヴァレルを睨み返す。アレットははらはらと夫を見守る。
「……私はただ、お可哀そうな奥方をなぐさめてあげようと思っただけですよ」
では失礼、と男はヴァレルに挨拶をし、去って行った。ヴァレルは黙って男を見送った。
男が立ち去るとさりげなく成り行きを見守っていた野次馬たちが視線を逸らし、各自会話を再開させる。
「お兄様ったら、遅いわよ」
シレイユはおかんむりだ。
「悪かったね。ちょっと話し込んでいた。アレット、そろそろ帰ろうか」
「え、ええ」
シレイユの抗議には耳を傾けずにヴァレルはアレットの背中に手を回す。
「ああそれから、シャーレン氏が探していましたよ、夫人」
「わたしたちもそろそろ帰りましょうか」
ヴァレルの伝言を聞いたアウラの一言でシレイユとクラリスも「そうね」と言い合った。
初めての舞踏会は色々とあったが、結局アレットがヴァレルと踊ったのは一曲だけで、アレットの心残りといえば、彼とせめて最後に踊りたいなということだった。
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