ダガスランドデビューの日

 アルメート共和国の本格的な夏の社交期は共和国議長夫妻の舞踏会が毎年先陣を切る。


 その中でも重要視されているのが、この年ダガスランド社交界にデビューする少女たちのお披露目だ。議長夫妻の前で少女たちが挨拶をする。ディルディーア大陸の国でいうところの国王陛下を前にした拝謁。あれを真似てのセレモニー。

 格式ばった作法のため、昨今ではフラデニアや近隣諸国ではそうそうも大々的に行われない風習であるが、ここアルメート共和国では違う。


 議長の権威を誇示するためにも、選ばれた家の娘たちは夫妻の前で優雅に挨拶をする。当然結婚をしてアルメート共和国へ移住したアレットの元にも招待状は届いていた。


 アレットは同じ年頃の少女たちと一緒に控室へと通されて、順番を待ち、そして議長夫妻の前で優雅に礼をした。

 この日一番の大仕事を終えたアレットの次のお楽しみ、いや最大の楽しみといえばヴァレルと一緒にダンスを踊ること。

 最初の曲はパートナーと一緒に、が暗黙の了解である。


「さすがはフェザンティーエ公爵家のご令嬢だね。見事な礼の仕方だったよ」

 楽団が最初の曲を奏で始めると、夫が話しかけてきた。

「ヴァレル、見ていてくれていた?」

 大勢の人がいたし、会場を見渡す余裕のなかったアレットだったが、ヴァレルが見守っていてくれれば何でもこなせると、心の中で奮起していたのだ。


「まあね」

 ヴァレルはにこりと微笑んだ。作り笑い、と分かるくらい演技がかった笑顔。

「わたし、頑張ったのよ。だって、わたしの作法一つだって旦那様の評判に関わるもの」

 少しくらいほめてほしいな、という期待を込めてアレットはさらに言い募る。


「そうだね。けれど、フラデニアの公爵家のお姫様を貰ったという時点である程度俺の評判は出来上がったよ」

「むぅ……」

 欲しい言葉とは何か違う。


「いまは仲のいい夫婦なのでしょう?」

「ああ。もちろんだよ」

「わたし、今日の舞踏会楽しみにしていたのよ」

「へえ。そうなんだ。ディルディーア大陸の真似っ子舞踏会なんて気分じゃないって言われるかと思っていたけれど」

「そんなことないわ。わたし、フラデニアで舞踏会に出たことないもの。比べようがないわ」

「舞踏会に出させてあげる時間もなく、こっちに連れてきて悪かったね」


(だからどうしてそう曲解するのよ! ヴァレルの馬鹿)


 アレットは内心歯噛みした。

 舞踏会を楽しみにしていたのはヴァレルと一緒に踊れるからに決まっているのに。ダンスの練習にも結局彼は一度も付き合ってはくれなかった。ダンスの教師と練習する日々は若干むなしかったが、それだって今日こうしてヴァレルと一緒に踊って、彼から「きみの踊る様はまるで妖精のようだね」と言われるため。


(ヴァレルには婉曲表現は通じないのよ。ちょっと照れちゃうけど……仕方がないわ)


「ちがうわ、ヴァレル。わたしは、あなたと踊れて嬉しいの」


 アレットは思い切って自分の心のままに話した。

 至近距離で、しかも手を繋いで。その近しい間合いでアレットは自分の心のままの表現に耳まで赤くなる。

 ヴァレルは少しだけ呼吸するのを忘れたようにアレットを見つめ返す。

 それからややして首を小さく横に向けた。


「お世辞が上手だね、アレットは」

「お世辞じゃないわ。本当に楽しみにしていたのよ」

 アレットは重ねて言う。

 だから、ちゃんとアレットの方を見てほしい。皮肉なんて言わないでほしい。


「女性はにぎやかな場所が好きだというしね。元公爵家のご令嬢だからダガスランドの社交界でもちやほやしてもらえるんじゃないかな。俺としては、あんまり派手に立ち回られるのは遠慮してほしいけれど。少しくらいなら大目に見てあげるよ」

「別に、あなたのいない舞踏会に興味はないもの」

「素直な妻を演じるのが上手だね」

「……もう、いいわ」


 さすがに辛くなってアレットは下を向いた。

 心の中がささくれて、とげがいくつも刺さっていくような感覚がする。

 どうして、彼にはアレットの言葉がまっすぐに届かないのだろう。泣きたくなったアレットだったが、すぐにこれは自分が蒔いた種なのだと思い直す。


 その後二人は無言で曲が終わるまで踊り続けた。

 結局ヴァレルとは最初の一曲を踊っただけ。


 アレットは立て続けにダンスを申し込まれて数曲を知らない相手と踊った。ヴァレルも同じように違う女性と踊っていて、アレットは自分の相手の顔を碌に見ないでヴァレルの姿ばかり目で追った。しかしヴァレルは特にアレットのことなど気にしていないのか、目が合うということはなく、それがまたアレットを切なくさせる。舞踏会は社交で、夫婦がパートナー以外の人間と踊るのは義務のようなものと分かってはいても面白くない。


 ヴァレルはアレットの夫なのに、どうしてさきほどから若い女ばかりが寄ってくるのだ。

 さすがに踊り疲れてきた頃合いに、シレイユが助けに来てくれた。これにはアレットは内心拍手喝采だった。なにしろ、何もかもが初めてで気の利いた断り文句が口から出ずに、わたわたとしていたら次の曲が始まってなし崩し的に踊る羽目になっていたのだ。なんというか舞踏会は初心者には手厳しい。


 シレイユがすました顔でアレットの周りにたかっていた男どもを追い払い(なかなかに率直辛辣な言葉で)、アレットは別の部屋へと連れてこられた。

 舞踏会の会場となっているのは、ダガスランド議会と同じ敷地内にあるシェーン・ハプス館。各国の賓客を招いた式典なども行われる館で、それこそディルディーア大陸の様式を真似て作られた重厚な建物だ。


「アレットったら。律儀に申し込まれた順番にダンスのお相手なんてしなくてもいいのよ」

 シレイユは手を腰に当てている。

「お疲れ様だったわね。アレット。みんな可愛らしいアレットに釘付けね」


 クラリスが片手を振っている。その横には控えめに手を振るアウラの姿もある。ちなみに片方の手にはアイスクリームの入ったガラスの器。

 今日のアレットは、胸元に精緻な花模様の刺繍と水晶を散りばめた薄ピンク色のドレスを身にまとっている。スカートの後ろにはひだがたっぷりと入っていて、ひとたびアレットが歩けばかろやかにドレスの裾が舞う。


「そ、そんなことないわ」

「いいわねぇ。若いって」

「クラリスったら」


 どうやらアレットの経歴はある程度知られているらしい。最初は物珍しくて誘ってくるだけだ。そう、ディルディーア大陸の貴族家の出身だからみんな興味があるだけ。


「アレット、今日のドレスとても素敵だわ」

「ありがとうアウラ」

 銀色の髪の毛を結い上げ、瞳の色と揃えた紫色のドレスを着ているアウラである。

「何を食べているの?」

「黒苺のアイスクリームよ」

「ほかにも青鈴せいりんの実のアイスや普通のバニラやチョコレートとか色々揃っているわよ」

 クラリスがアウラの言葉を引き継ぐ。

「取ってきてあげるわね」


 ふわりと微笑んだアウラがアレットのためにアイスクリームを取りに行ってくれる。

 この部屋にはダンスで火照った体を冷ますためか、ゼリーやアイスクリームといった冷たいお菓子が置かれている。踊り飽きた人々がそれぞれ、壁際に設置されている椅子に座りながら氷菓で体を冷ましている。


「お兄様ったらアレットを放っておいて何をしているのかしら」


 ぷんすか怒っているのはシレイユだ。

 今日の彼女は普段の質素な装いではなく、夜会用に髪の毛をきっちりと結い上げ、濃黄の水晶で作られた飾りをつけている。ドレスは水晶よりも薄い色の黄色で、スカート部分に赤茶色で刺繍が施されている。


「挨拶とかで忙しいのよ。男たちにも世界があるのだし」

「クラリスは達観しすぎよ」

「おかげでわたしたちものんびり楽しく女性だけで過ごせるからいいじゃない」

 くふっと笑ってアイスを口に運ぶクラリスは完全に花よりお菓子、である。シレイユとアウラよりふっくらしている彼女も濃い緑色のドレスを身にまとっている。


「せっかくだから会場のお菓子全制覇しようと思って」

「それで次の日後悔するんでしょう?」

 止めておけばいいのに、と苦い顔をするのはシレイユの役目だ。

「いいのよ。もうすぐウィリアム・ガスト公園で夏のフェスティバルが開かれるでしょう。たくさん歩く予定だもの」

「え、なあに、それ?」


 アレットが口を挟むと二人が丁寧に教えてくれた。

 毎年夏になるとウィリアム・ガスト公園という大きな公園で大規模なお祭りが開かれるというのだ。なんでも、この地に最初に入港をしたのがちょうどこの時期で、その記念の意味もあるとのこと。毎年サーカスがやってきて動物を使ったショーを見せたり、子供たちのための遊戯施設も期間限定でオープンするとのこと。もちろん、大人のための社交の場として陽が暮れると陽気な音楽が流れ、もっと軽いノリのダンスの場が出現するのだという。

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