贈り物
ヴァレルが帰宅をする時間は日によってまちまちだ。シレイユと別れたアレットが夕方近くに屋敷へと戻ってから少ししたのち、珍しくヴァレルが夕食前に帰宅をした。
アレットが自室でファッションプレートをめくっているとソレーヌがヴァレルの帰宅を教えてくれた。
ダガスランドで発行されている雑誌を用意してくれたのはベンジャミンだ。アレットが退屈をしないよう気をきかせてくれたのだ。
開いていたファッションプレートを閉じたアレットはヴァレルの書斎へと足を運んだ。
ヴァレルはアレットを家の箔付けのために娶ったと宣言をしているが、アレットはまだヴァレルに恋をしているのだ。それに、帰宅をした後に上着を脱いで少し砕けた格好をしたヴァレルも格好いい。
「おかえりなさい、ヴァレル」
ヴァレルは上着を脱いでベスト姿だった。暑いのかシャツの腕をまくっている。nなんだか色っぽくてアレットの胸がどぎまぎする。必死で平静を装うが心の中のアレットはじたばたと騒いでいる。腕まくりってこんなにも悩殺ものだったとは。初めて知った。
「ただいま、アレット。今日はシレイユと出かけたんだって?」
ヴァレルは機嫌がよいのか、朗らかに返事をし、そのうえ彼の方から話題を振ってくれた。嬉しくてアレットは微笑んだ。
「ええ。ダガスランドを案内してくれたの。あなたも今日は早いのね」
「俺だって毎日飲み歩いたりしないよ。たまには家でゆっくりしたいからね」
ヴァレルは付き合いがあると言い、夜は大抵誰かと夕食を共に過ごしている。ベンジャミン曰く仕事の取引先やら共和国の議員やらと会食することが多く、そういうつながりから次の仕事やらなんやらに繋がるとのことだ。
男性同士の仕事談義は分からなくもないが、一人きりの夕食が続くのは寂しいと思うアレットである。
ヴァレルは書斎の机の上に仕分けられている手紙を順番に手に取り、内容をざっと確かめていく。
「ごめんなさい。お邪魔だったわね」
「すぐに終わるから先にサロンへ行っておいで」
真面目な顔をして手紙を読むヴァレルも素敵だなぁとか思いながらアレットは書斎を辞した。ヴァレルは精悍というか少し野性味があるところが魅力的だと思う。けれど口調はどちらかというと柔らか。雰囲気も気さくになるから話を始めると警戒心を解いていくようになる。アレットには嫌味増し増しなのだが。
サロンで待っているとほどなくしてヴァレルが現れた。
「今日は土産を買ってきたんだ」
「お土産?」
ヴァレルがアレットのために選んでくれたのだろうか。だとしたら嬉しい。
アレットの座る長椅子に、ヴァレルも腰かける。彼が取り出したのは小さな化粧箱。アレットの目の前で開いて見せてくれた。
中に入っていたのは、大粒のダイヤモンドをあしらったブローチだった。
「わぁ……きれい」
一目で高級品とわかるもの。花を模した意匠で、いくつものダイヤモンドが台座に鎮座しており、光に反射をして輝いている。
「南アルメート産のダイヤモンドだよ。気に入った?」
ヴァレルは少し得意そうだ。
「ええ。素敵」
好きな人から装飾品を贈られたアレットは一気に上機嫌になった。
「男性から贈り物をされるなんて初めてよ」
きらきらと光るダイヤモンドにうっとりしつつ、アレットはブローチを今着ているドレスの胸元に持ってきてみる。ここに鏡があればいいのに。
「初めてって、結婚が決まってから俺はきみにたくさんの装飾品やドレスを贈ったけど?」
「あれは、だって。あなたから直接受け取っていないもの。お屋敷に届けられてあなたからですって言われて……。あまりぴんと来なかったというか。それよりも、どう? 似合うかしら」
アレットは嬉しくて夫に感想を求めた。
「え、ああ。似合っているよ」
「ほんとう? これに似合うくらい大人っぽくなれとかそういう含みがあったりしない?」
「いや。べつに」
今日のヴァレルはいつものように嫌味を言わない。アレットが喜んでいるのを横で見守っているだけだった。
なんだかいまものすごく夫婦っぽい。
「今度お呼ばれした時につけていこうかしら。ブローチなら、昼間の会でもあまり目立たないわよね?」
首飾りなどの宝飾品はお茶会などの日暮れ前の催し物には身につけて行かない。どちらかというと陽が暮れてからの催し物時につけるものだ。けれどブローチなら派手ではないし大丈夫なはず。
「うん。いいんじゃないか」
夫の言葉にアレットはにこりと微笑んだ。
「次の外出が楽しみね」
「え、ああ……」
アレットがはしゃぐ様子を見せるとヴァレルの歯切れが悪くなる。
「どうしたの? やっぱり派手かしら」
「いや、いいと思うよ」
「じゃあ、どうしたの?」
「……なんか調子が狂うなって」
ヴァレルは顔の下半分を手で覆った。
「お腹の調子が悪いの?」
「……べつにそういうことじゃないよ」
ヴァレルはなぜだか拗ねたような声を出した。
もしかしたらアレットがはしゃぎすぎたのかもしれない。子供っぽいと心の中でがっかりしているのかも。これからは落ち着いた顔をしなければ、とアレットは心の中でぎゅっとこぶしを握った。
「シレイユとの散策は楽しかった? どこに連れて行ってもらったの?」
ヴァレルが話題を切り替えた。まだ会話を続けてくれる気でいるらしい。アレットは嬉しくて弾んだ声を出す。
「ダガスランドの中心部へ行ったわ。シレイユがお店とか紹介してくれたの」
アレットはマグアレア通りに行って、少し散策をしてそれから海の見えるレストランへ行ったことを話した。
するとヴァレルの纏う空気が少しだけ冷えた気がした。
「へえ、海ね……」
「ええ。素敵なレストランだったわ。赤大エビが美味しかったわ。わたし、あんなにも新鮮な魚介類を食べたのは初めてよ」
「シレイユは昔から赤大エビが大好きだったからね」
「今日もおいしそうに食べていたわ」
「きみは……気に入った?」
「もちろん」
「それはよかった」
「今度はね、魚介の市場に行きましょうねって、誘われたの。こんなにも大きなサメが獲れることがあるんですって。ヴァレルは見たことある?」
アレットはシレイユがしてくれたように両手を左右に広げた。それからサメの歯はこんなにも大きくて鋭いという話も付け加える。
「シレイユはアレットに何を吹き込んでいるんだ……」
ヴァレルが少しだけ呆れた声を出す。
「あら、わたしは主婦だもの。美味しいお魚を見極める極意を学ぶことも大切だと思うわ」
「それはシレイユの受け売りだね」
間髪入れずの突っ込みにアレットはさすがは兄妹だと感心する。
「美味しい魚の見極めは料理長の仕事だ。妻の仕事ではない。あんまり、港には近づかないでほしいけれど」
ヴァレルは横目でアレットを見る。
声にはどこか固いものが混じっている。
「どうして?」
理由がわからなくてアレットは小さく首をかしげた。
「港はいつも人でにぎわっているし。港で働いている人間は気の強い者も多いからね」
物見遊山の人間がうろちょろしていると迷惑になることもあるだろう、と諭されてアレットはなるほどと納得した。遊び半分で港を歩いているとそこで働いている人間の迷惑になることもあるということだ。ダガスランドに引っ越しをしてきて、珍しい物に触れて浮かれてしまったようだ。
「わかったわ」
アレットはしゅんとした。まだまだヴァレルの妻としての修業が足りないようだ。
「ま、まあ。観光案内所のサメの顎骨標本くらいなら観に行ってもいいよ。ただし、シレイユと一緒というのが条件。ああでも、シレイユが暴走したらちゃんと止めること」
ヴァレルの注意事項に頷こうとして、アレットは途中で頷くとシレイユに対して失礼かしらと思い頬を引きつらせて曖昧に口を濁した。
ヴァレルは言いたいことをアレットに伝えられたことで満足したのか、しっかりとした返事を求めてこなかったため助かった。夫と義理の妹の間で板挟みになりつつあるアレットである。
「あ、そういえば。レストランであなたのお友達? のような人に会ったわ。とってもきれいな人」
ええとたしかフィアンメータなんとかという人で、とアレットは伝えた。
「へえ、そう」
ヴァレルはとくに表情を変えることは無かった。けれど、自分の友人に会ったことを伝えたわりには素っ気ない態度で、アレットはあれ? っと思ったけれどほどなくして夕食の準備が整ったと召使が伝えに来たのでその話題はそこまでになった。
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