ダガスランド散策

 アレットの元にシレイユがやってきたのは、彼女との初対面から二日後のことだった。

 今日も寝不足気味なアレットであるが、退屈していたこともあって訪れてきたシレイユを歓待した。なにしろダガスランドに嫁いできて話した相手と言えば夫のヴァレルと屋敷の使用人のみという寂しい状況だったから。


「アレット、今日はダガスランドの中心部に行ってみない? お兄様は仕事ばかりで退屈しているでしょう。わたしが色々と案内するわ」

 お茶もそこそこにシレイユは溌溂と切り出した。

「ほんとう? 嬉しいわ」

 アレットは彼女の提案に飛びついた。


 ベンジャミンは退屈をしているのなら近所を歩いてみてはと言うけれど、一人で歩くにしてもどこに言っていいのかわからない。ドレス商やら菓子店を買収しましょうかと言われたが、冗談として笑っておくところなのか判断が付きかねた。


「どうせお兄様のことだからアレットのことを放っておいているのでしょう」

 妹の的確な言葉にアレットは苦笑いを浮かべた。

「さあ、今すぐに行きましょう!」

 カップに入ったお茶を二口ほど飲んだところでシレイユは意気揚々と立ち上がる。

「え、ちょっと」

 アレットも慌てて続いた。

 勝手知ったる、とばかりに彼女は自ら応接間の扉を開けてベンジャミンを呼びつけ、馬車の準備をさせる。


「シレイユ、おねえさま。ええと、まずはどちらに」

「わたしのことはシレイユって呼んでくれていいわよ。敬語もいらない」


 慌てて丁寧な言葉遣いにしたアレットは曖昧に微笑んだ。今まであまり敬語を使う場面が無かったのだが、これは無礼にあたるのではと思い慌てて言葉を改めたのだがその必要はないと言われてしまった。しかもヴァレルの妹だから自分からしても義理の妹になるのだが、シレイユはアレットよりも年上で、こういう場合何て呼んでいいのか判断が付きかねたので助かった。


「奥様方。馬車の用意が整いました」

「そう。じゃあ行きましょうか」


 シレイユはにっこりと笑ってアレットを促した。

 親しみやすい空気をまとうシレイユが笑うと、もっと親近感が増す。ヴァレルの妹が優しくてアレットはホッとした。夫がアレなので、妹も同じようにやさぐれていたらどうしようとちょっと心配をしていたのだ。


 馬車に乗り込む前にシレイユは御者に行先を告げた。

 二人を乗せた馬車はダガスランドの中心部へと走った。

 閑静な住宅街から徐々に景色が移り変わっていき、やがて建物の高さが変わり人通りも多くなっていく。


「んんー最初はどうしようかな。観光地めぐり? それともお店巡りの方がいいかな。あ、せっかくだから歌劇場にでも行く? いま何が演っているんだっけ」

 シレイユは馬車の中でぶつぶつとつぶやく。観光プランを練っているようだ。

「今日は天気もいいし、マグアレア通りを散策しましょうか」

 色々と考えがまとまったらしいシレイユの指示で馬車はほどなくして停車をした。


 とんっと地面に降り立ってアレットはあたりを見渡した。

 広い馬車通りと大きな街路樹。人通りが多くにぎわっている通りである。建物が連なり、カフェやガラス張りの店を人々が冷やかしながら通り過ぎている。

 帽子を被って余所行きの格好をした男女に肩から大きなカバンを下げて新聞や花を売る子供、時間が惜しそうに早歩きをするフロックコート姿の男性など、通りは多くの人であふれている。


「わぁ。にぎやかなのね」

「ルーヴェに比べたら洗練さの欠片もないけれどね。ダガスランドはにぎやかだしいいところだと思うの」

 素直に感嘆したアレットにシレイユは少しだけ肩をすくめる。

「でもわたし、ずっと寄宿学校にいたからルーヴェを一人で歩いたことないのよ」

「そっか。寄宿学校を卒業した途端に結婚が決まってこっちに連れてこられたんだものね」

 せっかくだからルーヴェ散策をもっとしておけばよかったと悔やんでも後の祭りである。

「じゃあダガスランドに思い切り詳しくなればいいと思うわ」


 にっと笑ったシレイユはアレットをいくつかの店へと案内する。

 宝飾店はここがいいとか、ドレス店で人気があるのはここからもう一区画西に行ったところにある店だとか、あのカフェは人気があるとか色々だ。


「ここの通りにある『ラ・メラート』っていうホテルはね、従業員もレストランの調理長もみんなフラデニアから呼んできていて、すごいのよ。向こうの大陸の接客と美味しい食事が有名なの。喫茶室のケーキも、フラデニア風でとっても美味しいんだから!」

「そうなの?」

「今度一緒に行きましょうね。あ、そうだわ。お友達の旦那さんがホテルのお偉いさんだから紹介するわね。たぶんこれから何かの会で会うことになると思うし」


 おしゃべりしながら通りを歩いていると大きな広場へとやってきた。

 広場の正面には教会が建っている。


「ここからダニストン通りに行くと劇場街になるの。夜はとにかく賑やか」

 シレイユはそう言って広場から別の方へ伸びる通りを指さした。

「あっちには大きな書店とか、貸本屋だと向こうの……。とにかくいろんな店があるわね。そうだわ、お腹空いていない? お昼ご飯はね海鮮料理がいいかなってレストランを予約してあるの」

 そろそろお昼の頃合いで、アレットはそういえばお腹空いてきたなとお腹に手を当てた。


「お腹空いてきたかも」

「海老とか魚は平気な人?」

「ええ。フラデニアにいたころもたまに食べていたわ」


 蒸気船や列車の登場によって海で採れた魚や貝もその日のうちにルーヴェにやってくるようになった。それまでは海の魚といえば塩漬けにした魚ばかりだったけれど、近年では新鮮な魚がルーヴェでも食べられるようになった。とはいえ、まだ庶民には手の届かない値段ではあるが、公爵家でも頻繁にではないがそれなりの頻度で食卓の上に魚料理が並んでいた。


「じゃあ大丈夫ね。午後からは大聖堂のステンドグラスを見に行きましょうか。それとも港に行ってみる? あ、でも港だと朝一番の方が楽しいか。あのね、魚市場が開催されていてね、たまにこのくらい大きなサメが網にかかるのよ」

 シレイユは大きく両手を横に伸ばした。

「そんなにも大きいの?」

 アレットは目を丸くする。そんな大きな魚見たこともない。

「あら、本当よ。こればかりは運だけれど、たしか港の案内所にサメの顎骨標本があったはず。あとで見せてあげるわ」


 それからアレットは意気揚々としたシレイユと馬車に乗り込み、海の見えるというレストランまでやってきた。

 港から少し離れた場所にあるレストランは目の前が西端海というまさに絶景で、品のよさそうな男女や、商談であろう男性のグループなどでにぎわっている。

 アレットとシレイユは大きなガラス窓に面した席に案内をされた。ガラス越しに青い海を望める景観重視の席である。


「ここは赤大あかおおエビ料理が絶品なのよ」


 シレイユは弾んだ声を出す。一応メニューに目を通していくが最初から注文するものは決まっているらしい。パッと見てすぐに閉じてしまった。

 給仕の男性にさくさくと注文をし、待つことしばし。頼んだ料理が順番にやってきた。


 まずは二枚貝と野菜のクリームスープ。潮の香りと煮込まれた野菜の優しい味で、アレットの口にも合った。

 それから魚のグリルにたっぷりの香草バターで焼かれた赤大エビ。身がたっぷりつまった海老は香草の風味とよく合う。淡白な海老だけれど、そのおかげでバターとあわせても重くならなくてよい。いくらでも食べられそうだ。


 シレイユは得意そうに「とれたて新鮮だから美味しいでしょう。もっと小さい海老料理もおいしいのよ」とか「こっちのお魚も焼き加減が絶妙でしょう。ソースも工夫があって美味しいのよ」とかアレットに教えてくれる。たしかにカジキマグロはやわらかくて口の中でじゅわっと肉汁が広がる。


「ほんとう、美味しいわ」

「でしょう」


 アレットはこくこくと頷いた。ダガスランドの美味しいものを知ることができて今日は良い日だ。それに、女の子同士で食事というのも楽しい。

 一通り料理をお腹の中に収めて、食後のコーヒーは別室のサロンで取ろうかというところで二人は足を止めた。。

 女性二人でサロンへ入った入り口でのことである。

 金髪碧眼の、肉感的な美女である。アレットは会釈をして中へ進もうとする。


「あら、アルムグスト夫人じゃない。ごきげんよう」


 シレイユの姓を呼んだ女性に、彼女は「ごきげんよう」と短く返した。どうやら知り合いのようだ。シレイユは少しよそ行きの顔を浮かべている。


 アレットはシレイユと目の前の美女を見比べた。

 年の頃はアレットよりも数歳年上、二十は過ぎていると思う。勝気そうな顔立ちに厚ぼったい唇が印象的な女性だ。豊満な胸をさらに強調するかのような、体の線にぴたりと沿う意匠のドレスを纏っている。とはいえ、今は昼なので胸元は露骨に開いてはいないが、それでもアレットよりも大きいとわかるくらいに強調されている。


(う、うらやましい……)


 アレットはつい胸元に目をやってしまい、慌てて逸らした。淑女としてはしたない。


「お友達と一緒なのね。お兄様は今日はお仕事かしら」

 シレイユはあまり話しかけるなオーラを出しているのだが目の前の女性はお構いなしに口を開く。

「お兄様は忙しいのよ。フラデニアから戻ってきたばかりで」

 仕方なし、といった風にシレイユが応じた。

「あの噂は本当? ヴァレル・カイゼルがフラデニアから花嫁を連れて帰ってきたって。しかも公爵令嬢」

「……ええそうよ」

 シレイユはしばらくして肯定した。

 すると女性が目を見開いた。そこで、彼女はアレットの方に目を向ける。


「見ない顔ね」

 シレイユは息を吸った。

「彼女が、お兄様の連れ帰った花嫁。アレットよ」

「アレット・カイゼルと言いますわ」

 アレットは名乗った。初対面の人に対して何の含みもなく、相手の目を見て淡く微笑んだ。


「へえ、あなたが……ヴァレルの」

「彼女はフィアンメータ・ピッティ。カスコーネ座の歌手よ、アレット」

 一向に名乗ろうとしない女性に業を煮やしたシレイユが簡潔に女性の素性を言い添えた。


「あら、カスコーネ座の歌姫って紹介をしてほしかったわ。こんにちは、お嬢さん。ヴァレルとは親しいお友達なの。彼ったら急にフラデニアに旅立つんだもの。寂しかったわ。ふふ、あなたからも言っておいて頂戴。フィアンメータが寂しがっていたわよって」


 アレットを上から下まで舐めるように眺めたフィアンメータは口紅で赤く塗りたくった唇を弓のように持ち上げて、言いたいことだけ言ってサロンから出て行った。


 取り残されたシレイユとアレットはしばし無言になる。

「食後のコーヒーは違う店にしましょうか」

 シレイユはすぱっと決めて踵を返した。

「え、ええ」

 アレットは慌てて彼女に続いた。


 なぜにシレイユの機嫌が悪くなったのかよくわからなくて少し狼狽する。

 しかし、ほどなくてシレイユは何事もなかったかのように明るい口調に戻ったのでアレットは内心ほっとした。

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