ヴァレルのいたずら
「二人ともご挨拶よくできたわねー。アレット、よろしくね。わたしはシレイユ。そこの紳士ぶっているお兄様の妹ね。そこの男の恥ずかしい過去ならいくらでも暴露してあげるからいつでも聞きに来てね」
にっこり元気な声でとんでもないことを言い正した妹に「おい。だったら俺もおまえの恥ずかしい過去とやらを吹聴して回るぞ」とヴァレルが反論する。
絶妙な間合いである。
「あーらぁ。やれるものならやってみなさいよ。わたし最新情報だってちゃんと握っているんだから。ここで言ってもいいのよ」
と、シレイユの口調がほんの少しだけ低くなる。
ヴァレルは咳払いをした。
「と、とにかく。あまり新婚夫婦の間に波風を立てるようなことを言わないように」
「仕方ないわね。じゃあお兄様が子供の頃、野生のシカに追いかけまわされた話だけにしておくわ」
シレイユは肩をすくめた。
「はいはい。アレットがびっくりしているじゃない。兄妹げんかもいい加減になさいね」
エルヴィレアが両手を叩く。
「え、わたしは。そんな」
「あら、アレット。こういうのは最初が肝心よ。ちょっと年上の旦那さんだからって遠慮をしていたら駄目。言いたいことはガツンと言ってやらないと男ってすぐにつけあがるんだから」
「おまえはもっと遠慮ってものをしないと、明日にでも旦那に愛想をつかされるぞ」
「そんなことありませーん」
「ほら、もう。言っているそばから」
はぁぁ、とエルヴィレアがため息を吐いた。
アレットは悪いなと思いながらもつい微笑んでしまった。
仲の良い兄妹は見ていて気持ちがいい。それに、素のヴァレルを垣間見ることができて嬉しく思う。アレットの視線に気が付いたヴァレルはすぐに表情を元に戻した。
「とにかく、アレット。何かあれば母と妹を頼るといいよ」
「ありがとうございます」
「さあさ、こちらに座って頂戴。今日はお菓子もたくさん用意してあるのよ」
夫人が目配せをすると待機していた使用人が頷き、少ししたのちお菓子を乗せた皿を次々と運び入れていった。
クッキーやパイ、タルトにゼリーなど。たくさんあってアレットは目を丸くする。
「わたし、張り切っちゃった」
「お母様いくら何でも多すぎよ」
シレイユも若干呆れ声である。
「おかしー。いっぱいあるー」
「ありゅー」
目をキラキラさせてテーブルの上を見つめるのはエルサとシレナ姉妹だ。
「ほら、二人とも食べすぎは駄目よ。ああもう、言ったそばから」
シレイユは目の前のごちそうを前に暴走を始める娘たちに、すぐに母の顔を張り付けた。
「アレット、何がいい?」
「えっと。そうですね……」
こんなにも種類があると迷ってしまう。アレットはテーブルの上の菓子を順々に見渡す。
「やっぱり、お菓子はルーヴェのものが一番かな?」
仲睦まじい夫婦を演じろとか言うのに、皮肉を放り投げてくるのは一体どういう了見なのか。
「そんなことないわ。わたし、ずっと寄宿学校で過ごしていたので、みんなが想像するほどお菓子を食べて生活はしていません」
「あ、そうだわ。わたし貴族のお姫様の暮らしぶりについて聞いてみたかったのよ」
シレイユが嬉々とした声を出す。
「わたしは、お姫様では……」
ただの公爵令嬢だ。しかも、破産目前の。知らされたのは結婚が決まった直後だったけれど。
「どっちも同じよ。わたしたちからしたら。お城に住んでいるんでしょう? 築何百年の」
「何百年は、言いすぎです。ほんの百年位です」
「うわ。すご。このへんのやしきなんてせいぜい築二、三十年がいいほうよ」
「いえ。そんな。もっとすごい、それこそ六百年も血を守り続けている家系もあるくらいですから」
「六百年! 想像できない」
シレイユが大げさにのけ反った。貴族の家の歴史はその家によってまちまちだ。確かに大陸中に親戚のいるものすごい歴史ある家系もあるけれど。
アレットは適当に菓子をつまみつつ、シレイユの好奇心むき出しの質問に答えていった。なんだか珍獣にでもなった気分である。
「シレイユ、ちょっとは遠慮ってものをしろ」
「仲良くなるために色々と聞いているの」
見かねたヴァレルがアレットを立たせる。アレットは彼に手を引かれるまま立ち上がり、そのまま彼についていく。
「ちょっと庭を散歩してくるよ」
「お熱いことで」
「うるさい」
軽口をやりあい、ヴァレルはアレットを外へと連れ出した。
季節は夏だ。そろそろ八月。日差しは強いが、湿気がないため木陰に入ると風が気持ち良い。ダガスランド自体が大陸のやや上に位置するのでそこまで温度は上がらない。世界には一年中真夏のような気温という地域もあるのだ。アレットには想像もつかない話だが。
「このブレックス地区自体が最近になって開けてきた場所でね。きみの実家のお城に比べたら歴史なんて無いに等しいけれど」
なんて彼は自嘲気味に笑う。
「そ、そんなこと」
「別に取り繕う必要はないよ。今は二人きりなんだし」
アレットは否定しようとしたが、全部を言い切る前にヴァレルが声を被せた。
「ヴァレル、あなた意地悪だわ」
「どのあたりが?」
「わたしのこと、澄ましたお嬢様だと決めつけているじゃない」
「違うの?」
「当たり前だわ」
アレットははっきりと言った。べつにアレットは高慢でも高飛車でもないつもりだ。
「へえ。じゃあ試してみようか」
ヴァレルがアレットのほうに向き合う。
「試すって、なにを」
「こっちへおいで」
ヴァレルはアレットの問いかけに応えずに、アレットの手を引いて庭の奥へと誘う。
屋敷の奥に広がる庭は広く、幾何学模様に植えられたの低木の庭園の横には温室がある。
ヴァレルは庭の左奥にある温室の向こう側へとアレットを連れて行った。屋敷からは完全に死角になる場所だ。
ヴァレルは連れてきたアレットの唇を突然塞いだ。
「んん……」
性急な口づけにアレットはくぐもった声を出す。わずかな隙を逃さずヴァレルがすかさず口づけを深めてきて、アレットは不本意ながら夫のたくましい胸に体を預ける形になる。
こんな明るいうちから、と叫びたいのに夫のせいで自由が利かない。
それに悔しのはヴァレルから施される口づけに頭の奥がぼおっとなってしまうことで。
「たしかに、澄ましたお嬢様って顔じゃないね」
満足したのか、唇を離したヴァレルは少し意地悪そうに目を細めた。
「なっ……だ、だって、あなたが!」
「可愛いね。そんな顔をして非難をしてもちっとも響かないよ。どちらかというと男を煽るような顔つきをしている」
今アレットはどんな顔をしているというのか。慌てて表情を取り繕うとするも自覚がないからちっともわからない。頬をバラ色に染めて瞳を潤ませているアレットをじっと見つめていたヴァレルは再びアレットの背中に手を回し、おでこにちゅっと唇を押し付けた。
「野外で最後までするのも、一興だねアレット」
耳元でとんでもないことを囁かれて。
けれども少しかすれたヴァレルの声は明らかに色気をはらんでいて。アレットの体から力を奪うには十分だった。アレットの足から力が抜けてしまい夫にしがみつく。
「アレットもその気になった?」
「ち、ちが!」
夫の実家で、それも外で何をする気なのだ、とヴァレルを睨むが瞳がじんわりと潤んでいるためまったく迫力がない。
「試してみようか」
「え、や……ちょっっと」
アレットは慌てた。
どうしようかとあたふたとしていると、屋敷の方から「おねえちゃまぁぁー」という子供の声が聞こえた。
「あ……」
「どうやらエルサはきみと遊びたいらしい」
仕方ない、夜までお預けだね、とヴァレルはアレットを離した。
「俺がエルサの気を引いておくから、きみはすこし呼吸を整えてから出ておいで」
ヴァレルは先ほどまでの熱情を完全に抑え込み、先にエルサの方へと歩いていった。
(た、助かった……)
アレットはその場にしゃがみ込みそうになるのを必死にこらえた。
まだ心臓がどきどきしていたので、アレットは大きく深呼吸をして息を整えてからエルサのいる方へ出て行った。
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