初恋の人の豹変

 フェザンティーエ公爵家はもう何年も前から巨額の負債を抱えていたことを知ったのはアレットが結婚相手を告げられた翌日のことだった。


 昨今の世界の移り変わりにより、これといった特色もないフラデニア南部を所領に持つフェザンティーエ家は徐々に負債額を増やし、父の代で投資に失敗をしさらにその額を増やした。しかし公爵家としての体面もあり日々の生活を変えることはできない。早晩息詰まることは分かっていた。


 金策に奔走していたガブリアスの前に現れたのはアルメート共和国で巨万の富を築いたヴァレル・カイゼル。彼は公爵家再建を支援する条件としてガブリアスの長女アレットとの結婚を申し入れた。


 それが、この結婚の真相だった。

 アレットは要するに、金で買われたのだ。


「フェザンティーエ公爵家が金策に奔走していると聞いてね。俺が救済を申し入れたんだ」


 あの日、ヴァレルは二人きりになった途端に声色を変えて、アレットに事の真相を暴露した。

 それは音耳に水のことだった。

 まさか己の家が、破産寸前だったなんて知る由もなかった。だって、アレットの目に見える範囲においては、フェザンティーエ公爵家の生活はなんら変わりが無かったから。


「まったく、貴族の家っていうのは体面に縛られて大変だね。借金で首が回らないというのに見栄っぱりなのだから」


 ヴァレルは長椅子に腰を下ろし、優雅に足を組みながらくつくつと笑った。

 アレットも彼の斜め横の椅子に腰を下ろした。


「そ、それで……、どうしてあなたはわたしの家を助けてくれる気になったの?」

 アレットは気になったことを質問した。

 借金で落ちぶれた公爵家にお金を投資して得るものがあるのだろうか。

「分からない?」

 ヴァレルは質問を質問で返してきた。

 答えはきみも知っているだろう、と言外に聞かれた気分だった。


「……」

 アレットは黙秘を選んだ。


「成り上がりが欲しいもの。それはね、伝統だよ。伝統。きみの持つ公爵家のご令嬢という肩書き。俺の家にも箔付けが欲しくてね」


 思った通りの答えが帰ってきて、アレットは内心嘆息をした。

 このご時世、落ちぶれた貴族の家の娘を好んでもらい受けるのは商売で成功したブルジョワ層である。持参金も期待できない、負債だらけの家の娘など、誰が貰うというのか。特典が無い限りそんな家の娘を嫁になどという酔狂ものは現れない。


「あとは、そうだね。きみへの復讐かな」

「復讐?」

「元は労働者階級の家柄の男性なんてわたしだってお断りよ、だったかな。きみがあの日お友達に言っていたのは。あれはさすがに堪えたな。可愛い顔をした純真無垢なお嬢様にすっかり騙されたよ、俺は」


 アレットの心臓が大きく跳ねた。


「ちがうわ。あれは……その……」

「今更弁解はいいよ。望んでいないから」

 ヴァレルの声が冷ややかになる。

「俺を侮辱したお嬢さんは、よりにもよってその男に買われるんだ。労働者階級の男の元に嫁がされるだなんて、せっかく公爵家に生まれたのにね。夢ならよかっただろうけど、残念。これは現実だよ」


 ヴァレルは愉快そうに口元を緩めた。

 結局、それがアレットの結婚の真実だった。


 コニーはこのことを知ったからこそ、遠回しにアレットに忠告しに来たのだろう。


 ヴァレルとの結婚が公表されてから、屋敷内ではアレットを腫れもののように扱う空気が出来上がっていた。なにしろ、公爵家の負債についても表に出たのだ。負債の肩代わりとして長女を、海を隔てた新興国の成り上がりの一族に嫁がせるというのがこの結婚の真相なのだから。


 アレットの部屋には続々と花嫁道具が運び込まれている。

 豪華な食器類やドレスや宝飾品は公爵家が用意したものではなくヴァレルによって手配されたもの。


 フラデニアは西大陸と呼ばれるディルディーア大陸で文化けん引役と言われているくらい華やかなお国柄だ。食べ物も服飾関係も流行りは全てフラデニアの王都ルーヴェからと言われている。

 その流行最先端のルーヴェの人気店で設えた最新流行のドレスに、手作業で編まれたレースの手袋に、近年急速に人気の出てきた宝飾店の品物などなど。

 妹のアナベルがうっとり見惚れるのも頷けるくらいの一流の品々でアレットの部屋が埋め尽くされている。

 これらを持ってアレットは西端海を横断して、アルメート共和国へ嫁ぐのだ。


「わたしは悔しくてたまりませんよ、レティお嬢様」


 すっかり支度の整った部屋で涙を流すのはコニーだ。

 明日はいよいよアレットの結婚式。

 花嫁のあずかり知らぬところですっかり支度が整えられ、明日着るドレスだって結婚を聞かされた数日後には出来上がってきていた。


 ひだのたっぷりとはいったドレスには百合の刺繍がふんだんに施され、水晶がちりばめられている。ベールは公爵家の娘が代々身につける伝統品。

 きれい、とか感慨に耽る暇もなくすべてが慌ただしい。


「泣かないで、コニー」

「しかしですね。レティお嬢様が犠牲にならなければならないだなんて」


 この結婚によって公爵家は救われるというのがこの屋敷に関わる者たちすべてが理解している共通項。

 コニーだってそれはよく理解している。しかし彼女は悔しいのだ。自分が育てた娘のようにも思う令嬢が、貴族の家ではなく元は労働者階級の家に嫁ぐことが。

 そして、アレットの犠牲が無ければ自分たちも路頭に迷ってしまうことも悔しいに違いない。彼女は、おそらく後ろめたいのだ。

 だからこうして今アレットの元を訪れている。


「わたしは、大丈夫よ。わたしはラッキーな方よ。だって、ヴァレルはほら、見てくれは格好いいし。年だって、十しか離れていないもの」


 さすがに初恋の相手だからとはアレットは明かさなかった。もしかしたら、コニーはうすうす気が付いているかもしれないが、そこには触れない。

 アレットはつとめて明るい声を出した。

 客観的に見てもアレットは恵まれている。世間には親子ほど年の離れた男に嫁がされる娘だっているのだ。借金のかただというのならそういうことだってあり得たのだ。でも、アレットはヴァレルの妻になる。好きな男の妻になるのだ。たとえ、彼の方はアレットのことをなんとも思っていなくても。


「レティお嬢様。申し訳、ございません。ばあやが不甲斐ないばかりに」

「コニーの頑張りだけではどうにもならないことだってこの世にはあるもの」

 アレットは微笑んだ。

「わたしの花嫁姿、ちゃんと目に焼き付けておいてね」

「もちろんですよ」

「それからフィリップたちのこともよろしくね」

「もちろんです」

 最後は長女らしく、まだ小さな弟妹のことを頼りになる乳母にお願いをしたアレットだった。

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