第22話 煮え湯
「何が起こったんだ……!?」
蔵道は率直にそう思った。
まず、バッカスが自分に対して酒をかけてきた。次に、その酒が空中で球のように分裂し、煙となって消失した。
……いや、空中以前の話か。自分へ飛び移ろうとした酒だけでなく大本……グラスに残ったものに至るまで、一滴残らず全てが消失した。
そして今、バッカスはグラスを手放し、右手を押さえて蹲っている。
「蔵道さんは、マラソンの中継を見たことあるよね」
「え……?」
「マラソンだと、選手が走りながら水を飲んだりするんだけど……あれって実際にやると難しいよね。体が動くせいで思うように飲めないの。結局、上から浴びるように零しながら飲むのが一番理に叶っている」
「それがどうかしたのか?」
「つまり、人間が何かを飲むときは立ち止まるってことだよ。バッカスは飲まずに歩きだした」
「あ……!」
「お酒を注いで火を付けたのは飲むためじゃないな。そう思って見てたら、やっぱり攻撃のためだったんだね。あれを浴びてたら蔵道さんにも火がついてたよ、お酒と同じようにね」
「……なるほど、着火するという行為そのものがバッカスの攻撃なのだな。それをきっかけに『
「……なぁんていうのは“今思えば”の話!実際はそこまで考えてなかったけどね!」
「そ、そうか……!」
『
ララはただ、酒を警戒していただけなのだ。
「ぐ……ぐぐ……うぅぅぅ……!」
「……火傷しているな」
バッカスの右手は広範囲に渡って皮膚が赤く染まり、
するとララの能力は、やはり熱ということになるが……同時に蔵道は疑問を抱く。
なぜバッカスだけなのだろう?使用者であるララ自身は理解できるが、なぜ自分は無事なのだ?
「……ん?」
バッカスの攻撃で負った怪我と出血、それが手がかりとなった。
「蔵道さん、どうかした?」
「……藍藤さん」
「ララでお願い」
「では、ララ……君の能力が分かってきた。どうやら最初から君は答えを言っていたようだな」
それを聞くと、ララは満足気にウインクをしてみせた。
「どういうことだよ……?」
「血を見なさい」
首を傾げる保哲に、ガブリエラが説明する。
「蔵道さんの衣服に付着した血液が既に乾いている。でも彼の地肌からは、まだ血が流れている。衣服は発熱しているのに、蔵道さんにはその影響が無い。ララの言葉から察するに……」
「……察するに?」
「あれは恋よ。衣服そのものに、蔵道さんへの恋心を植え付けたの」
「は?」
何を言っているのか分からない。保哲は目を丸くして、より詳しい説明を求めた。
「馬鹿げてる!無機物が人間に恋だって!?」
「えぇ、恋愛対象の蔵道さんが近くに寄れば頬を赤く……即ち発熱する。恋愛対象は大切な人だから発熱によるダメージは受けない。それは恋の
「……そう言われれば恋が適切な表現に聞こえるが」
「それと恋愛対象に指定できるのは人間だけではないわね。天井が、天井裏のネズミに恋をしたように」
ガブリエラは説明を終えると、ララたちの方へ向かって歩き出す。
「『
ララの放ったハートが数個、絨毯に命中する。
「リエラさんなら、もう分かってるよね?近寄れば……!」
「絨毯が発熱して私を襲う」
「そうだよ!どうしてこんなことをするの!?砂時計をすり替えて蔵道さんに罪を着せて……!どうせ本物はあなたが持っているんでしょう!?自分の手を汚さずに手に入れるつもりなんだ!例えば、蔵道さんがレクシドを殺して奪い、それを自分が取り返した……そういうシナリオなんでしょう!?」
「…………。うふふ……!」
ガブリエラは意味ありげに微笑む。その足は止まらない。
「え……!?」
「絨毯に空白を作ったわ。あなたの能力、熱源はハートの落下点……そこだけ踏まないように歩けばいい」
「何で……!?熱が届いていない!?」
「『
蔵道が砂を放つ。バッカスの放った金属球……蔵道に命中した後、その手の中にあったものを砂時計へと変えた。
金属球をそのまま投げれば弾かれるかもしれないが、砂時計にすれば弾こうとした瞬間に割れる。そして金属球に戻ると同時に破裂が起きる。
「ところで蔵道さんは不思議に思わなかったかしら?」
「っ!?何だ!?砂時計が……!」
だが、砂時計を投げることは叶わなかった。蔵道の手の中で、砂時計は一瞬で金属球に戻っていたのだ。
「私がすり替えた方、つまりクロスボウを元にした砂時計は、神の石を元にした物よりも遥かに多く砂を残していた。今日のように、神の石と同時刻に砂が落ちきるなんて、あまりに不自然よね」
「……!!」
「だから空白を作ったのよ、中央のくびれに。穴が広がれば当然、砂の落ちる量が増える……そうやって残り時間を調整したのよ」
「……今のは、砂が一瞬で落ちきり、元の金属球に戻ったというのか……!?」
「えぇ、あなたのように時間を余すことなく、その時をコントロールできる。もう砂時計は作らせないわよ」
「さっきから何!?固有スキル……リエラさんも、まさかそうなの……!?」
「くっ……!」
蔵道が金属球を投げたのは扉の方向だった。
開いたドアから見える部屋の外、金属球はそこへ向かって……ボトリとごく自然に、絨毯へと落ちた。
「やはり、そうだったか……!空白が既に扉の前にも……!」
「辿り着けない……!?それじゃあもう逃げられないってこと!?」
「そうなるわね、ご愁傷さま」
ゆっくりと……着実に、ガブリエラが迫ってくる。自分たちの力が通じない、その事実を理解させるようにゆっくりと!
「ララ、あなたの考えはほとんど正解よ。あなたたちの役割は、レクシド卿と、ついでにその護衛を含めて始末した強盗犯。それを倒すことで名誉の損失無しに神の石を取り戻せる。本来は蔵道さん一人だけいれば事足りたのだけれど、ここまで首を突っ込んだ以上は、あなたも分かってるわよね?」
「……分からないよ」
「あら?さっきまでの聡明なあなたはどこへ行ったのかしら?恐怖で脳の血管が詰まったなんてこと……」
「分からない!取り戻せるって何?神の石はもともと自分の物だって言うの……!?それともレクシドよりも前の、元の持ち主を知っているの!?」
「……くす、どこへも行ってなかったわね」
ガブリエラは楽しげだった。口を滑らせたというより、気づいてもらいたかったような、そんな印象だった。
「でも、答え合わせはさすがに面倒だわ。死ぬ相手に語っても仕方ないもの」
「く……!」
もう駄目か。ララは覚悟を決めた。
「待て、ガブリエラ!」
「え……?」
声を上げたのは保哲だった。
「予定を変更しよう。その二人は殺さないでくれ」
「……随分と急な心変わりね」
「別に急じゃないさ……!」
そう言って、保哲はポケットから丸い物を取り出す。
赤、青、緑……異なる色の宝石が七種、縞模様を構成している。それは紛れもなく“本物”だった。
「俺が、こんなストレスだらけの世界でも生きようと決めた唯一の要素が……そこにいる藍藤ララなんだから」
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