第20話 お披露目

「何か嫌な感じね……」


 ガブリエラはボソリと呟いた。

 彼女にとって、蔵道とバッカスが戦うのは予想できたことだ。砂時計をすり替え、この時間に砂が落ちきるように調したのは他でもない自分自身なのだから。

 騒ぎが広まるのは彼女の望むところではない。そのためにドアを閉めたのだ。レクシドの指示に従ったように見えたのが少し不本意だったが。


「ガブリエラ?どうかしたのかよ?」

「誰か来てるわ……」

「えっ!?」


 蔵道にドアを開けた様子は無かったとはいえ、隙間から砂を外に出すくらいなら自然にできるだろう。そして死角となった室外で砂を不自然に動かせば、外部に異常事態を知らせることができる。

 ……だが問題は、それ感じ取った部外者がドアを開けたことだ。

 例えば家政婦のミランダだったら?その場から逃げ出す。ドアノブに触れる以前に、近づいたりもしない。

 つまりは砂の怪奇に臆することなく一歩を踏み出せる人物……!


「誰がって……一体誰が!?」

「さぁ?いたかしら?そんな場慣れした人が」

「まぁ、今は後回しだな。どうせ中をチラリとだけ見て逃げたんだ。今更、追いつけやしないさ」


 いいえ。

 声には出さない。そうやって保哲との会話を広げる時間すら惜しいと、ガブリエラは率直に感じた。今はただ相手の姿を拝みたい、その一心だけだ。

 開いたドアの隙間から見えたのは……二本の指。細くて繊細な親指と人差し指が絨毯の裾を掴んでいる。


「誰だ!?」


 バッカスが叫ぶ。

 二本の指が真上に動く。捲られた絨毯が蔵道に覆いかぶさった。


「水滴、防ごうと……傘の代わりか?無駄だぞ」


 あぁ、その通りだ。蔵道は思った。何しろ蔵道の衣服に滴下した攻撃は、吸水されることなく肌に達したのだから。

 『レイニー・漏りマンション』の真価は“侵攻”にある。吸水されたり弾かれたりすることなく、物質に染み込み、突き抜けていくのだ。その侵攻力の前には傘も、雨合羽レインコートも意味を成さない。

 バッカスが金属球を発射する音が聞こえた……次の攻撃が来る──!


「っ!?」


 蔵道の耳に届いたのは水滴ではなく、音だった。

 ジュウ、という焦げ付いたような音がすぐそこで聞こえたのだ。水滴は蔵道まで到達していなかった。


「何、した……!?くっ!」


 バッカスの手が動く。天井に吸い込まれた金属球が、次々と形を変えて垂れ注ぐ。

 そして絨毯に触れると……やはり音を立てて消滅する!


「もう一度、聞く!誰だ!?」


 ドアがゆっくりと開いていき、その人物が姿を表す。


「今日もあなたに恋をお届け……!」


 その正体は……!




「……どちら様?」


 それがガブリエラの第一声だった。

 その人物が女性であることは分かった。だが、それ以外の部分はあらゆる意味で見たことがない。

 顔はもちろん初対面。青緑から赤紫までの複数の色が調和した美しい色合いのドレスは、どこの店でも取り扱っていないのように思える。背中から生えた大きな翼を踏まえても、その種族は断定できない。彼女からは魔物のような禍々しさは一切感じ取れなかった。


「嘘だ……どうして!?」


 保哲が驚きと共に尻もちをついた。

 彼は知っている?ガブリエラは訪ねようとして、しかし先に名乗ったのは彼女の方からだった。


「こんラララー!!バーチャル天使、藍藤らんどうララのお披露目配信、始めるよー!!」


 静寂を引き裂く大声。彼女はまるで存在しない声援を求めているかのように、右手を握って前方に突き出す。

 そして再び訪れる静寂にも何ら怯むことなく、彼女は笑顔を浮かべ続ける。


「馬鹿な!?」


 絨毯から這い出た蔵道は保哲と同じ反応をした。


「あれ?もしかしてララの前世を知ってるのかな?いやぁ、嬉しいなぁ!すっごい緊張してたんだけど、おかげでほぐれてきたよ!」

「わ、私は……夢でも見ているのか?」


 外見も、名前も。かつてパソコンの中で見た女性が目の前にいる……それも完全にとして。

 その声は彼女自身の喉から蔵道の耳へ直に届く。その姿は頬の動き一つに至るまで細かく蔵道の目に映る。仮の姿アバターではない正真正銘の生命がそこにはあった。


「なかなかの難問だわ」


 ガブリエラと自称天使の目が合う。屈託のない天使の笑顔に、ガブリエラも負けじと笑みを返した。

 彼女には分かっていた。藍藤ララという存在を把握するには、この世界の書物から得られる知識だけでは不可能だ。転生者から聞くことでしか得られない、転生者の世界の知識が要る。


「天使……そんなもの、実在するのか?お前、ただの転生者だ」

「違うよ、バーチャル天使!この世界の天使がどんなのかは知らないけど、ララの世界ではちゃんと実在するんだから!あなたも転生者なら分かるでしょ?SNSや動画サイトを通じて活動する……」

「どうでもいいことだ!」


 バッカスは現実的だった。

 無論、彼はララの並べた現代用語の意味くらい理解できている。しかし、それがどうしたというのだ?


「今、重要なこと!お前、俺の邪魔する!それだけだ!」

「おい待て!ララは……」


 保哲の言葉よりも先にバッカスが金属球を放つ。

 狙いは同じだ!天井を介して奴の後頭部へと叩き込んでやる!


「く……!」


 蔵道は咄嗟にララの方向を、正確に言えば開いたドアの方を見た。

 ララを引っ張って部屋の外へ逃げる……今の自分の体で、それができるか?

 自分の足の状態は好ましくない。だが、このまま無関係な彼女まで巻き込まれるくらいなら……!


「任せて」


 ララの右手は銃を構えるように真上を向いていた。バッカスの攻撃と同じか、あるいはそれよりも早いタイミングで、彼女もまた何かを狙っていた。

 人差し指の先端からピンク色のハートが発射された。そして天井へと命中したハートは、バッカスの金属球と同じように一瞬で溶け込み、姿を消す。


「何、した?」


 バッカスの疑問はすぐに解消された。

 天井からジュウという音が鳴った。蔵道からしてみればそれだけだが、バッカスは本能的に理解した。

 染み込んだ水滴が、つまりは自身の能力が消えている──!


「ここに来るまでに家政婦の人がいてね。ララに村の兵士を呼んでほしいって叫んできたの。天井裏のネズミなんかよりもっと恐ろしい、幽霊だ怪奇現象だぁって。でもそれって兵士より住職を呼んだ方がいいんじゃない?」


 まるで雑談でもするかのように、ララはほのぼのとした話し振りを見せる。


「まぁとにかく、ネズミがいるって知ったから対抗ができたの。固有スキルでね!」

「あのハートは……貴様、一体……!?」

「天井に籠もるネズミへ恋をお届け……その名は『頬の紅潮エレガント・ドリーム』!!」

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