第19話 濡れ衣

 痙攣する手で絨毯を掻きむしりながら、レクシドが何か言いかけている。

 放たれた矢は彼の頬に対して下方向から突き刺り、その先端は脳髄にまで達していた。助かる見込みなどあるはずもない。


「まさか……だな」


 緊張した声で保哲が言った。


「能無しで、考えることが全て間違っていて的中した例が無い。レクシドはそういう奴だった。それとは対象的に蔵道、あんたは何というか……まじめで馬鹿正直な奴だと思っていたよ」


 保哲の視線が蔵道に向けられる。不敵に笑う保哲は何を思っているのだろう。主人の身に起きた事態に愉悦しているようにも、相手を称賛しているようにも見える。

 確かなことは彼が興奮しているということだった。


「蔵道が俺に渡したのは神の石じゃなかった!驚きだ!初めてじゃないか!?レクシドの言う通りだったとは……!」

「馬鹿な!私ではない!」


 蔵道が叫ぶ。彼自身、この状況が理解できていない。しかし身の潔白を訴えなくてはならないことだけは分かった。


「なぜこんなことをする必要がある!?レクシド卿を殺害する理由など……!」

「予想はつくさ。ホームレスの少女だよ。そいつを殺したレクシドへの復讐だろ?発射寸前のクロスボウを砂時計に変え、それを神の石と偽って俺に渡したんだ。そしてレクシドがそれを覗き込むよう誘導した!」

「違う!リエラ、君なら分かってくれるだろう!?私は嘘など……」


 ガブリエラの姿はそこには無かった。

 保哲の側に立ち、彼女は笑っていた。


「言わなかったかしら?私が追い求めるのは神だけ」

「リエラ……!?」

、あなたの味方ではないのよ……!!」


 これまでに見たこともない彼女の狂気じみた笑顔に、蔵道の背筋が凍る。


「まさか……リエラ……!」


 クロスボウを砂時計に変えたことなど一度しかない。ノイセ村の兵士から蘭を守った、あの時だけ。あの時、あの砂時計を手の平に乗せて観察していたのは……!


「思えば、あの砂時計の所在を私は確認していない!君が持ち去った砂時計だ!」

のが得意なようね蔵道さん。時間だけじゃ飽き足らずにレクシド卿まで謀るなんて」

「とぼけるな!最初からこのつもりで……私に罪を着せる気だったな!?」


 蔵道の腕から砂が放出する。


「『極細流バトルモード砂時計・アリーナ』!」

「あらあら、いいのかしら。相手は私ではないというのに」




「ぐっ!?」


 蔵道の足に激痛が走る。

 その先に見えるバッカスの手には、直径三センチほどの金属球が乗っていた。


「護衛、失敗。すると信頼、失墜。つまりこの世界における致命傷。では次に俺、何するか分かるか?」

「ぐ……違う、私は……!」

「報復だ。失った信頼、回復する手段……報復のみ。レクシド卿への感情、別に何か感じているわけではないが、やるべきこと……やるだけだ!」


 指先から放たれた球が蔵道の頭部へと向かう。それはある種の銃弾にも等しい。


「くそっ!」


 球を砂時計へと変える。もはや話し合いの余地は無い。


「正面から撃っても無意味だな。バッカス、俺の手助けがいるか?」

「不要、引っ込んでいろ保哲」

「……ムカつく言い方だな。あいつも結局はレクシドと一緒か、俺の力を何も分かっていない……!」

「分かっていないのはあなたよ、保哲くん。バッカスさんは自身の名誉を挽回すべく戦っている。そこで他人の援護ありきではさらに評価を下げるだけ、自力で戦わなくてはならないのよ」

「ちっ、面倒臭いな」

「さぁて、彼はどうするのかしら?」


 バッカスの視線が動く。攻撃に身構える蔵道から上方向へ。

 そして次の瞬間、金属球を次々と天井へ発射し始めた。


「何をする気だ……!?」


 こちらの注意を逸らす狙いだろうか。バッカスを視界から外さないように注意しつつ、蔵道は天井を目で追った。

 ……何だ?そこに映った綺麗な天井に強烈な違和感を覚える。

 天井には何も無かった。飛んでいった金属球も、天井にぶつかってできるはずの傷も、何も無い。新築同様の天井がただ広がっているだけだった。


「何か変だ……バッカスは何をした……!?」




 ポタリと水滴が垂れた。

 蔵道の手が冷たさを感じる。


「っ!!ぐ……!!」


 その冷たさは一瞬のみ、後は火のような熱さと衝撃だった。

 水滴が続く。二滴、三滴……そして肌に触れた瞬間、殺意へと化ける!


「ぐうううっ……!!」


 上空から降り注ぐ痛みは先程、足に受けたものと似ていた。

 ガクガクと震える足はついに崩れ落ち、蔵道は絨毯に倒れ伏した。


「これは……まさかオリバーだけではないのか……!」

「……レクシド卿、護衛のハードル、高かった」


 ちらりとかつての主人を見やり、バッカスは言った。


「だから俺たち、選ばれた。『レイニー・漏りマンション』……俺の攻撃、水滴に変わる」

「やはり転生者……!」

「ふん、水滴か……」


 保哲は話を聞きながら、蔵道の真上を観察する。

 バッカスが打ち出した金属球は天井に命中し、染み込むように姿を消した。そして水滴に姿を変えると、格安物件の雨漏りのごとくポタポタと降り注いでくるわけだ。


「蔵道さんの傷を見るに金属球を受けた時と同じみたいね。するとナイフを投げれば切れる水滴に、松明を投げれば燃える水滴になるのでしょうね」

「なかなか面白い考察だが、ガブリエラには強く見えるのか?重力に任せて落下する水滴なんかより、普通に球を打った方が速いだろ」

「二階から目薬……保哲くんはそう思うのね」

「は?目薬?目を狙えってことか?」


 回りくどくて効果が薄い、二階から一階の人を目掛けて目薬を差すほどに。確かに、バッカス本人もかつて同じように考えたことがあった。

 ……だが実際は違う。だからこそバッカスはその能力に頼るのだ。

 現に蔵道は苦しんでいる。


「く……!」


 クロスボウも金属球も、蔵道は砂時計に変えることができた。それは相手の手元が分かっていたことと、彼の反射神経が優れていたおかげで飛翔体を捉えられたことによるものだった。


「うぐっ!」


 天井を見上げた蔵道の肩を水滴が貫く。

 雨粒の形状を判別できる人間がこの世に何人いるだろうか。一センチにも満たない直径と、何よりその無色透明な物質を。

 水滴と化した攻撃は、人間には見えないのだ。


「終わりかしらね……」


 ガブリエラの目には、蔵道の敗北が色濃く映った。彼の性格上、諦めるようなことはしないだろうが、戦意は着実に削がれている。

 すると次に蔵道が考えるべきは逃亡か。出入り口となる唯一のドアは彼の後方にあり、そこまでの距離は彼が一番近い。


「……あら?」


 その光景を見るなり、ガブリエラは顎に手を当てて自身の記憶を辿りだす。


「確かドアは私が閉めたはずだけど……」

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