第18話 再生

「朝か……」


 保哲はゆっくりと体を起こす。いつのまにか寝ていたようだ。


「砂時計は……あるな」


 台座に置かれた砂時計を確認し、一つ息をつく。自分が寝ていた間に無くなっていたら一大事だ。

 彼に与えられた仕事は、砂時計を一晩中見張り続けることだった。まったくどうしてこんな面倒な仕事を押し付けられたのか。頭の固いレクシドに見張りを提案したオリバー、苛立ちは募るばかりだ。

 だがそれも今日で終わりだ。目の前の砂時計から砂が落ちきれば神の石へと戻るのだから。


「無事か?」

「ん……?」


 低い声が響く。バッカスがやや離れた位置から保哲を見ていた。彼の足元には酒瓶が置かれ、右手には飲み干したショットグラスを持っている。彼の胃袋は朝から順調なようだ。


「敵襲、心配したが居眠りか。レクシド卿、怒るぞ」

「あんたが告げ口したらな。こんな見張りに意味なんか無いって俺は知ってるんだ」

「……保哲、レクシド卿に反抗的だな」

「当たり前だ、あいつは俺がいないと何もできない能無しだからな」


 だが世間一般はレクシドに味方するだろう。理由は至極単純で、レクシドが貴族だからだ。

 俺があいつの下で耐えているのも全てはそのため……あいつに悪い噂を流されれば生きていけないんだ。くそったれ!


「それで?あんたは俺の仕事振りを見回りに来たわけか?そんなわけないよな、言い出しっぺのオリバーならともかく……」

「オリバー、帰ってこない。返り討ちだ」

「……はっ!」


 保哲は笑みを隠しきれなかった。

 良い知らせを聞いて清々しい気分だ。あれだけ大口を叩いておきながら何もできませんでした……か。俺の方が遥かに御主人様に貢献してるぞ。


「それじゃ探していた男は、蔵道は逃げ遂せたってわけだ。レクシドの奴も今頃は大慌てだな」

「…………」

「あれ?違うのか?」

「蔵道……潔い男だ。今、この館に来た。砂時計、戻る瞬間、一緒に見守ると」

「……なんだそれ」


 あまりにも馬鹿らしい話だ。レクシドの被害妄想に付き合ってないで逃げればいいものを、わざわざ自分の正しさを証明しに来るなんて。

 それが自身の世間体のためならまだしも、相手はレクシドだ。礼の一つ程度も言わないだろうに。

 ……だが、それはそれでありか。

 保哲は砂時計にちらりと視線を移す。さらさらと流れる砂は、昨日と比べると目に見えて量を減らしていた。




 蔵道とガブリエラの来訪は決して歓迎されているようには思えなかった。

 館の主であるレクシドは目を白黒させながら応接室に駆け込むと、もてなしもせずに真相を聞き出そうと捲し立てた。

 自分のことは覚えていないのか、蔵道は思った。神の石を砂時計に変えてごまかした、あの場所にレクシド本人も居合わせたというのに。

 覚えていれば話は早かったのだが、億劫なことに一から説明するしかあるまい。

 蔵道の話を聞きながら、レクシドの目線は度々左に揺れていた。どうにもガブリエラが気になって仕方がない様子だ。

 大事な話をしているのに美女に目移りか、と蔵道は苛立ちを見せる。レクシドの態度が恐怖からくるものとは知る由も無い。

 当の本人であるガブリエラは、蔵道の心境に気づきながらも誤解を解こうとはしなかった。彼女はただ、彼らの噛み合わない対話を楽しんでいた。


「そろそろ時間だ」


 蔵道が言った。ビクリとレクシドの体が震える。


「そ、そうですな。では見に行きましょうか……」

「あぁ、それであなたの悩みは全て解決する。レクシド卿、砂時計を持ってきていただけないか」

「い、いや……それはできない。あるべき場所に戻しているからな」


 偽物と疑っていたのではないのか。そう言いかけて蔵道は言葉を飲み込んだ。これ以上、話がこじれるのは望ましくない。




 レクシドが向かった先は何とも殺風景な一室だった。入り口の扉を除けば窓一つ無く、日の光に代わって天井の照明器具が部屋中を照らしている。部屋の中心に配置された台座には、ポツンと砂時計が展示されていた。それ意外には一面の絨毯が目を引くだけで、調度品と呼べる物は何一つとして存在しなかった。まるで神の石だけがこの空間に存在することを許されたような、ある種の神聖さすら漂わせていた。

 とはいえ蔵道にしてみれば、その広さだけで十分に豪華な部屋だった。自分の泊まった部屋の数倍はあるだろう。

 レクシドは部屋に入ると、ドアを閉めるようガブリエラに言い、そのまま走り出していった。


「……君は」


 蔵道の目が保哲と合う。


「あんたも災難だよな」

「……他人事だな。私だけじゃないんだぞ、オリバーの襲撃で何人もの人が……」

「俺を責めるのは止めてほしいね」


 レクシドの背中を睨みながら保哲は言った。あいつが人を信用できていれば穏便に済んだっていうのに。


「ところで彼は?護衛かしら?」

「あいつはバッカスだ。オリバーと同じで、お察しの通り護衛だ。酒に火をつけて飲むのが好きな変わった男さ」


 ガブリエラの質問に保哲が答えた。

 バッカスはじろりと蔵道たちを見回し、警戒の色を強めていた。手に持っていた酒瓶を隅に置いたあたり、どうやら紹介通りに飲酒を披露する気はないようだ。

 彼の横を通り、レクシドが砂時計に近づいていく。


「バッカス!そいつらを近づけるな!怪しい動きを見せたら引っ捕らえて構わん!」

「承知した……」

「何を言っているんだ、レクシド卿。私もそちらに……!」

「落ち着いて蔵道さん。あの人は自分の目で確かめたいのよ、砂時計から神の石へと戻るその瞬間を」

「なんたって、すっかり神の石に依存しきっているからな」


 保哲は肩を竦めて壁に寄り掛かる。

 砂時計に触れんばかりの距離まで顔を近づけ、レクシドはその時を待つ。流れ落ちる砂の量が減っていくにつれ、その呼吸は荒くなっていく。

 ──そして最後の一粒が落ちた。




「え……!!」


 蔵道からはレクシドが陰になって何も見えない。だが、彼の声色が戸惑いを物語っていることだけは分かった。

 バッカスもまた、蔵道たちから目を離して主人の側を向く。


「ゲェッ!!」


 その瞬間、悲鳴と共に何かがブチンと引きちぎれる音がした。

 レクシドの体が真後ろに飛び、受け身も取らずに後頭部から絨毯へと叩きつけられた。


「レクシド卿!!」


 バッカスが叫んだ。

 一体、これは何の冗談だ!?レクシドの顔に矢が突き刺さっている──!!

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