第17話 オリバー

 ママ。僕、警察官になりたいんだ。悪い人たちを懲らしめて、いい世界を作るんだよ。そうしたらパパもママも、みんなが笑って暮らせると思うんだ。


「早く荷物をまとめて。出発は明日よ。こんな低レベルな町にもう用は無いの。弁護士になるためには、もっと上質な環境が必要になってくるわ。勝負は子供の時から始まっているのよ」


 お母さん。テレビつけていい?友達が言ってたんだ、ハイグレードって言って、地球を救う正義のヒーローなんだって。皆が知ってる。分かんないのは僕だけなんだ。


「こんにちは先生。えぇ、お陰様で学校の成績は言うことなしですわ。これも優秀な家庭教師である先生の賜物ですわ。ところで来週から日程を増やすことは可能でしょうか?あの子がね、もう学校に行きたくないって言うんです。先生の授業の方が学校よりも面白いって。私は心配しておりませんわよ。あの子が優秀に育ってくれるなら、それが一番ですもの」


 母上。本日は私の大切な人を紹介いたしたく、お時間をいただきました。こちら、大学の研究室で知り合った唐井さんです。


「婚約発表は三日後の正午、挙式は二週間後にハワイで開くことになったわ。それまでは江玉えだまの姓を名乗らないこと。いいわね、織羽おとは。婿として恥ずかしくないように振る舞いなさい。招待客のリストは見たわね?顔と名前を覚えて、将来的なビジネスへと……一周忌ですって?唐井?聞いたことないわね、どこに載っているの?リストの何ページか言いなさい」


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「ぐ……」

「目覚めたか」


 咄嗟に身構える蘭に、蔵道は落ち着くよう合図をする。既にオリバーは戦える状態ではない。

 彼は蔵道たちの顔を順に見回すと、察したように一つ息をついた。


「路地裏とは……密会にはこれ以上ない場所だね」

「オリバー、君に聞きたいことがあってな」

「喋ると思うかい……?」


 苦痛に呻く表情の中で、オリバーはニヤリと笑ってみせる。


「駄目だ、蔵道さん。こんな危ない仕事している人だもの、口なんか割らないよ」

「悪いねぇ、蔵道……!君は弱りきった人間をさらに痛めつけるような真似はしないだろう、僕と違ってな。安心して黙秘を貫けるってもんだ、クックック……」

「……その通りだ」

「さぁ、殺しなよ。死ぬのなんて怖くない。むしろ今の方が怖いくらいさ、眠るたびに悪夢を見るなんて耐えられないや」

「……そうか」


 蔵道はゆっくりと立ち上がり、オリバーに背を向けた。


「行こうか、光沢さん。無駄足だった」

「……おい待て!なぜトドメを刺さない!?」


 オリバーを声を荒げる。


「なぜとは……?」

「僕を放置してどうなる!?回復したら君に復讐しに行くかもしれないんだぞ!?どうせ僕を殺した所で罪には問われないし、むしろ危険な男を排除したと称賛されるだろうよ!それなのに放置する意味が分からない!」

「意味が分からないのは私の方だ」


 蔵道は溜息と共に答えた。


「人の命というものは理屈で片付けられるほど軽いものなのか?私の育った国では決してそんなことは無かった」

「……!!それは……!」

「私が生きていく上で、君の命を背負うつもりは更々無い……!」

「あたしも蔵道さんと同意見かな。余計な罪悪感でわざわざ自分を押しつぶす必要もないよね」

「……命の重み……か」


 オリバーから表情が消える。


「とんだ綺麗事だと笑ってやりたいけど、どうしてだか心に響くな……。蔵道に胡散臭さの一つでもあれば良かったのに」

「それは褒めているのか?」

「誠実な奴だな、と言っているのさ。褒め言葉と捉えるかは君次第だよ。誠実な奴というのは嘘を言わないからね、自分が正しいと強く自覚する。そのせいで周りが自分を疑っているのに気づけないんだ。クックック……!」

「……どういうことだ?」

「さぁね?後は君次第だよ」


 その口調だけで悪戯な笑顔を浮かべている様子が、蔵道には見えた。


「言っておくけど僕は後悔なんかしていない。死んで、この世界に来て、ようやく僕だけの人生が始まったんだ。僕が何を選択して、その先にどんな結果が待ち受けていようと後悔なんかしないからな」




「何かの暗示だったのか……?」


 蔵道は道端に座り込み、そう呟いた。

 周りには宿から逃げ出した人々がこぞってうずくまっている。消火活動は賢明に行われており、直に鎮火へと向かうだろう。

 オリバーについては居場所を兵士に告げ、後を任せることにした。これ以上、彼からは何の情報も得られないだろう。


「あなたたち、こんな所にいたのね」


 そう声をかけてきたのはガブリエラだった。


「モクレン住職が寺院の方で泊まれる準備をしてくれているわ。今夜はそちらに行きなさい」

「それは助かるな……」

「蔵道さんの場合は寺よりも医者でしょ」


 そう言いながら蘭は急かそうとはしなかった。

 一度、死線を潜り抜けた安心感からだろうか。どうにも足が重い。そのまま星を見ながら眠りたい気分だ。


「襲撃者はオリバーと言ったそうね」

「リエラは知っているのか?」

「レクシド卿の護衛よ。護衛と言っても主の盾ではないわ。主の手足となって代理で目的を遂行する、武器のようなもの……」

「……そうか」


 やはり、と蔵道はわずかに頷いた。


「予想はしていた……そんな反応ね」

「私を狙う理由など神の石しかないだろう」

「でもそんなのおかしいよ!神の石なら、もう蔵道さんが返したじゃない!」

「光沢さん、オリバーが私に言ったことを覚えているか?自分が疑われていることに気づけない、と」

「はぁ……それがどうしたの?」

「つまりは、そのレクシド卿が信じていないのだろう。あの砂時計が神の石だとな」

「……何それ?それでこんな大騒ぎを起こしたっていうの?……何というか、怒りを通り越して呆れてきたんだけど、もしかしてあたしが疲れてるせい?」


 深く溜息をつく蘭に、蔵道は言った。


「明日、レクシド卿を訪れるつもりだ。それで砂時計が元に戻る瞬間を一緒に見届けるよう頼み込む。そこまでいけば私を疑う余地も無いだろう」

「うん。その怪我でさらに危険を犯すのはどうかと思うけど、それが一番かもね」

「怪我なら心配いらないわよ」


 そう言って、ガブリエラが手を翳す。


「【治癒錬成ヒーレンド】……!」


 詠唱と共に彼女の手が白く発光する。途端に蔵道は、痛みが引いていくような感覚を受けた。


「これは……?」

「魔法よ。固有スキルに対抗すべく、この世界で生み出された戦闘手段とでも言えばいいかしら。今はあなたの自然治癒力を促進しているの。一晩休めば走れるくらいにはなるでしょう」

「すまない、礼を言おう」

「それには及ばないわよ。なんたって神の石をこの目で見れる、理想の瞬間に立ち会う機会を手に入れたんだもの」

「一緒に来るつもりか……」


 心なしかガブリエラの目が輝いているように見える。


「蔵道さん、あたしは……」

「光沢さんは来る必要は無い」


 蔵道はきっぱりと言い放つ。ガブリエラもそうね、と続いた。


「君は巻き込まれただけで、もともとは無関係な人だ」

「これ以上、首を突っ込む必要は無いわよ。彼の足手まといになりたくはないでしょう?」

「……うん、分かってるよ。あたしには無いからね……固有スキル」


 蘭は目をぎゅっと瞑ると、立ち上がって言った。


「他の人についていけば寺にも辿り着けるし。あたしはこの辺で失礼するよ。蔵道さん、元気でね」


 蔵道の返事を待つこと無く、蘭は歩き出す。彼女の表情はどことなく、何か吹っ切れたようだった。

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