第16話 選択

「蔵道さぁぁぁん!!」


 あらん限りの声で蘭が呼ぶ。

 彼女の耳に聞こえてくるのは炎の爆ぜる音と、宿泊客たちの悲鳴だけだった。異変に気づいた彼らの喧騒が今はとても煩わしい。蔵道が呻き声を上げているかもしれないのに、最も知りたい彼の安否が妨げられているようだ。


「どうしよう……」


 周囲を見渡す。蘭の声に集まった人々の目線は、数こそあれど解決に結びつかないものばかりだ。


「おい!誰か落ちてきたぞ!」


 野次馬の一人が煙を指差して言った。


「あっ……!」


 待ち望んでいた人物の姿が蘭の目に飛び込む。砂時計を手にしながら、彼は地面に敷かれたマットレスへと落下していく。


「そうか、瓦礫を砂時計に……良かった……!」

「光沢さん、危ないぞ……離れるんだ!」


 体を起こしながら、蔵道は建物から距離を取る。

 自分が先程までいた場所は壁が吹き飛び、剥き出しの状態で周囲の目に晒されていた。炎は壁伝いに最上階まで到達し、真っ黒な煙が夜空へと溶け込んでいく。


「足場も脆くなっている……いつ崩れても不思議じゃない」

「……オリバーあいつは?」

「分からない、視界が封じられたんだ。そのおかげで襲撃を心配せずに飛び降りることはできたが、見失ったという点では問題だ」


 死んではいないだろう、と蔵道は思った。オリバーの電線であれば瓦礫を持ち上げたり、自分の体を引っ張ったりと脱出は容易なはずだ。


「すぐにここを離れた方が良さそうだね……!それに蔵道さんも医者に連れていかないと」

「医者か……確かにそうするべきなのは分かっているんだが……」

「どうしたの?」

「このままオリバーを放置していいものか、と」

「何を言ってんの!?」


 煙の向こうを睨んだまま、蔵道はその場から動こうとしない。蘭にはその真意が理解できなかった。


「何のためにここまで逃げてきたと思っているのよ!?敵があたしたちを見失ったって言うなら、今が千載一遇のチャンスじゃない!」

「逃げるだけなら確かにそうだ。でも……それで見失うのは私たちも同じなんだよ」

「意味が分からないよ!オリバーを見失って何が困るっていうの!?」

「見失うのは情報の方だ。私たちを襲撃した動機、襲撃を指示した人間。それらを知らずに逃げても一時的な身の安全にしかならない。チャンスは今しかないんだ」

「それはそうかもしれないけど……」




「『二者ツートーン・択一ファクトリー』!!」

「っ!?」

「紐が!」


 煙を引き裂き、二本の電線が急襲する。蔵道と蘭、それぞれの首に巻き付き、一気に締め上げていく。


「がっ……!!」

「光沢さん……ぐ、これは……!」

「捕らえたぁぁぁッ!!」


 二階から見下ろすオリバーには、降り注いだ瓦礫によるものか、全身の傷がさらに増えていた。毛髪の半分は焼け落ち、顔には真新しい火傷が刻まれている。追い詰められた影響なのか、目つきや声量も別人のように様変わりしていた。


「もう逃さないぞ蔵道ぃぃぃ……蔵道と言ったよなお前は!それと仲間の女も一緒に捕らえた……大事そうに見てたからなぁぁぁッ!!」

「い、息……が……!」

「光沢さん……!彼女は……む、無関係なんだ……!」

「だから離せって?クックックック……なら離せばいいだろぉ!?君自信が選択するんだよ、この場でねぇぇぇっ!」

「なに……!?」


 電線は二種類。蔵道の首を縛る青か、蘭の首を縛る赤。


「究極の二択だよ蔵道ぃぃぃ!ハズレはどっちかな!?そいつを助けたれば赤を切ればいい!ただし赤がハズレなら二人揃って焼死体だ!」

「……!!」

「それとも青を切るか!?それでもいいかもなぁ!なんたって青がアタリなら自分は助かるんだ!赤を選んだ時点で蔵道ぃ、君が助かる見込みは無ぁい!なら青に賭けるのが普通だなぁ!あれぇ?でも僕は蔵道を殺したがっている!青をハズレにして、その青で蔵道を狙えば確実だ!そう考えたら赤を切って女の方だけでも逃がした方が賢明かもなぁ!」

「ぐ……オリバー……!」


 ハズレはどっちだ?青か?赤か?


「さぁ、決めろ!青か赤か、君はどっちの道に進むんだ!?決めろ蔵道ぃ!!」




「これが人生なのか……?」

「え……?」


 蔵道の目は冷たかった。


「相手の示した選択肢から一つを挙げる……これが君の言う選択で、君の言う人生なのか……?」


 蔵道の腕は動かない。砂を出そうとする素振りは無い。


「自分の意思は、主張はどこにある?あるのは他人の敷いたレールだけ……そんな人生が君の理想なのか?」

「……何を……言って……!?」

「どっちの道に進むかと聞いたな……」


 素振りが無い?

 オリバーの体がビクリと震える。何か言いようのない恐怖があった。

 もしも蔵道が……自分が認知するよりも前に、既に砂を出していたとしたら……!


「私は選ばない!道は自分で見つけ出すものだ!!」


 ガタンと足元が崩れるのをオリバーは感じた。


「うっ!?これは……!」


 つい今まで自らが立っていた場所が空中へと変貌している。蔵道の砂は最初から床下へ潜んでいたのだ。そして床板を砂時計へ変え、落下するように誘導した!


「蔵道ぃぃぃ!!」

「どうする?次は君が決める番だ」


 電線で体を支えれば落下は免れるだろう。ただし、そのためにはどちらかの首から電線を巻き戻す必要がある。

 君が決める番だ……だと?蔵道か隣の女、どちらの電線を選択するか……?


「舐めやがってぇぇぇ!!」


 オリバーの手は動かない。自分が落下していく先をただじっと見つめている。

 選択など必要無い!蔵道が使ったあれを自分も使うだけだ!


「クッション代わりのマットレスを!」

「そうか……」


 狙い澄ました位置にオリバーは着地する。安物の寝具ではあったが、衝撃はだいぶ防ぐことができた。

 危機は脱した。電線は緩めていない。そのまま締め上げれば終わりだ。

 オリバーは勝利を確信した。


「ハズレだ。光沢さん、伏せろ」

「勝ったぞ!これで僕の……えっ!?」


 バリンと、聞き覚えのある音が聞こえてきたのは、オリバーの尻の下からだった。


「ギャッ!!」


 それが爆発に見えたのは、元の物質が炎に包まれていたからだろう。至近距離で破裂した瓦礫に体を貫かれ、その衝撃でオリバーの体が空高く舞い上がった。

 彼の意識が喪失したことで、蔵道たちを縛っていた電線もまた姿を消した。


「ゲホッ……!く、蔵道さん……!?」

「無事か、良かった」

「今のは……?」

「二階で私に降り注いできた瓦礫だ。オリバーが後を追ってきたときのために仕込んでおいたんだ、真上からの衝撃で割れるように」

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