第15話 先回り
蔵道たちは二階にある部屋に戻った。既に窓の向こうは暗闇に覆われている時間帯だが、今の状況では宿を捨てるしかない。
「火災の発生を他の宿泊客に伝えるべきだが……」
「そんな暇は無いよ!」
葛藤する蔵道を蘭が一蹴する。
一見、薄情に聞こえたものの、すぐに蔵道は納得した。確かに今は逃げるのが最優先だ。敵の狙いが自分である以上、ここに残って避難を呼びかけていては却って残りの宿泊客を危険に晒すだけだ。
逃亡こそが彼らの安全に繋がる。その時間経過によって炎の勢いが増すのも事実だが、それ以上の危険因子であるオリバーをこの場に留めるわけにはいかない。
「光沢さん、窓を開けてくれ」
「飛び降りる気!?五メートルはあるよ!」
「布団をクッションにする。二人分もあるんだ、転生者の身体くらい受け止めてくれるさ」
ベッドから布団とマットレスを剥ぎ取りながら蔵道は言う。
窓枠に対して大きすぎるか?そう思って窓の方を見ると蘭が首を振っていた。
「蔵道さん、駄目だ!紐が巻かれてる!」
「なに……!?」
「窓を横切って青い紐が……あいつの仕業だ!」
「オリバーか……!」
外開きの窓を封じ込めるように、一本の青い筋が通っていた。
やはりというべきか、オリバーはまだ諦めていない。宿全体を一周するように電線を巻きつけ、獲物の逃亡を阻止しようとしている。
「光沢さん、オリバーが来ないか見張っていてくれ。台帳か何かで私の泊まる階を突き止めたようだが、部屋の位置までは特定できていないはずだ」
「分かった……!」
蔵道の右手から砂が放出される。
外壁を囲む電線と窓枠の間にはわずかな空間がある。窓を全開にはできずとも、わずかな隙間さえ確保できれば『
蔵道の手が窓に触れる。ギィと軋んだ音と共に窓が開き、窓が電線に触れた。
「ッ!!」
開いた窓が……電線を押しのけて先へ進もうとしている!?
ナイフの通じなかったはずの青い電線が、窓をゆっくりと開ける力にすら耐えきれていない。
その強烈な違和感が、蔵道の肉体を無意識に動かしていた。
室温が一気に上がった。
窓があったはずの場所が一瞬で吹き飛び、炎とガラスが部屋中を舞う。
とっさに距離を取った蔵道だったが、その右足は炎に包み込まれていた。
「ぐああああああッ!!」
「蔵道さん!?一体何が……いや、それより水!水は!?」
「『
吹き出した砂が蔵道の右足を覆う。
「何を!?」
「空気を遮断して炎を窒息させる……!戦国時代からある消化方法だよ……」
その言葉通り、砂が離れた右足に炎は残っていなかった。次いで、蔵道は布団に燃え移った炎を同様に消していく。
「音を聞いたオリバーがこっちに来るぞ!急いで逃げるんだ!」
「ああもう!そういう狙いなの!?」
不幸中の幸いではあるが、窓が吹き飛んだことで十分なスペースが確保できていた。
蘭は死にものぐるいで布団やマットレスを放り出していく。床や天井から再三に渡って炎が燃え移るが気にする暇はない、それが自分の服であっても。
蔵道も同じだ。青い電線の不自然な強度、加えて爆炎……気になることは多々あれど、頭を巡らせる暇はない。蘭と力を合わせながらも飛び火に目を光らせ、砂を
「行け!!」
蔵道の声に背中を押され、蘭が飛び降りる。
クッションが機能したか、はたまた転生者として得られた身体能力か、とにかく蘭は着地に成功した。
「蔵道さんも早く!」
「あぁ、今すぐ……」
「追いついたよ……」
振り向くと扉の向こうに立つオリバーの姿が見えた。顔や胴体には、まだ壺と思しき金属片が刺さっている。
「君の部屋が火元になったのは運が良かった……無関係の奴が知らずに窓を開ける可能性もあるからね……!」
「オリバー……!」
「別に逃げを選択してもいいよ?君に飛び降りる勇気があればの話だけど……」
「勇気……か」
「ちなみに僕にはある……生け捕りを失敗して怒られる勇気が」
「場合によっては殺しも
「分かってるじゃあないか。逃がすよりマシだからな」
部屋に残った炎が徐々に勢いを増し、煙が立ち始めている。
蔵道に高所の恐怖は無い。だが飛び降りる決断はできなかった。
身体を宙に投げ出してから地面に落ちるまでの僅かな時間、それをオリバーは見過ごしてくれるだろうか?
首吊りの状態になれば終わりだ。立って首を縛られるのとは訳が違う。手足を動かす間も与えらず、瞬時に意識を失う。……後は敗北だ。
「……なぜだ?」
「うん?」
「なぜ……人を殺せる……!?君も転生者なら日本で生まれ育ったんじゃないのか!?なぜそうも簡単に殺人を決意できるんだ!?」
「罪悪感のことを言っているのかい……?」
チクリとした痛みをオリバーは感じた。
蔵道の瞳には悲壮感が映っている。戦争や災害の犠牲者を前にして心が締め付けられている、オリバーからはそう見えた。
この男……僕がかわいそうな奴とでも言うつもりかい……!?
「……人生は選択なんだ」
オリバーは迷いながらも口を開く。火災を前に時間を引き延ばす危険性は承知の上で、自分の思いを吐き出すことを選んだ。
「進学、就職、結婚。何本もの道の中から一つを選択して、次の分岐点に着いたらまた道を選択する。選択が連続して構成されるのが人生って奴なのさ。選択しなかった道はどうなるか……言うまでもないよね。何かを選択することは、同時に別の何かを捨てて諦めるということなんだよ」
「…………」
「僕はこの世界で生き抜くために、こういう仕事を選択した。商人や農夫を目指せるような知識は僕には無いし、報酬額も決め手になった。だから不要なものは……選択の枷となるものは全て捨てたんだよ!必要な代償を払っただけだ……いくら蔑まれた所で後悔などするものか!」
「……選択か」
それがオリバーの基盤となる価値観であるならば……ようやく蔵道は答えを出すことができた。
「君の電線もまた選択の能力なんだな?赤か青、どちらの電線を切るのか相手に選択を強いる。炎を生む電線の色は固定ではなく、君自信の意思で決定するんだろう?」
「……ふ!クックック……よく分かったね。一つの選択が生死を決める、まさに究極の選択だと思わないかい?」
「君のやり方に選択の余地は無かったがな。窓枠の外には一種類の電線のみ、それもわざわざ切れやすいように細工した電線だけ」
「そこが時限爆弾より優れている所さ。完全に切断さえしなければ切れ目を入れる余地があるんだ」
「他の宿泊客が窓を開けていたら?」
「運が悪かっただけのことさ、僕のね」
「蔵道さん、上!!」
「うおっ!?」
蘭の声とほぼ同時だった。
ガタンという音と地響き。天井が二つに裂け、燃え盛る残骸が姿を表す。
「蔵道さぁぁぁん!!」
変わり果てた二階の部屋は、舞い上がる煤と煙に遮られて何も見えなくなっていた。
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