第10話 砂防
「面倒だな……!」
兵士の一人、コーツは小さく舌打ちをした。自分たちの行いを暴漢と見られたに違いない。この男が正義感から止めに入ってきたことも容易に推測できた。
「よく聞きな、あんた。俺たちはノイセ村の兵士だ。ならず者じゃあない」
「あぁ、分かっている」
「いいか?俺たちのやっていることは正当な依頼を受けての……そう、職務なんだ。俺たち二人以外にも兵士たちが何人も出回っている。」
「それも分かっている」
「酷いことしているように見えるだろうが、複雑な事情が背景にあるんだよ。詳細は話せないが、村のためと思って俺たち兵士を信じてくれないか?一個人の感情に流されて職務を怠るわけにはいかないんだよ」
「……分かっている」
「分かっているなら大人しく家に……」
「私の方が、だ。もっともらしく聞こえるが、君たちはその背景とやらを何も聞かされていないのだろう。私の方が遥かに分かっているよ」
「……!?」
バリーの背筋をゾワリとした感覚が襲った。この男、ただのヒーロー気取りではない。その目には迷いや恐れといった感情、つまり自分が間違っているかもしれないという不安が微塵も籠もっていないのだ。
無論、彼が視野の狭い身勝手な思考の持ち主ということも考えられる。しかし彼の言葉通り、兵士たちは実際に何も聞かされてないのだ。ホームレスを掻き集めてレクシド卿は何がしたいのか?一切合切、何も!
「私の名は蔵道歩陸。今すぐ依頼者に伝えてほしい。これ以上、ホームレスを狙わないように」
「な、何だと……!何様のつもりだ貴様!?」
「あいにくだが私には君たちに渡せる報酬も、君たちを納得させられる物証も無い。君たちが従わない場合、私に残された道は強硬手段だけだ」
「……なら、俺たちもだ!」
「コーツ、待て!!」
バリーの静止を聞かず、コーツがナイフを手に飛び出す。
「強硬手段を好むのはお前だけじゃねぇ!お前の事情なんか知るか!報酬を諦めろと言われて素直に退くとでも思ってるのかぁぁぁッ!?」
蔵道は相手のギラリと光る刃を見つめる。刃先から根本、そして右手の手首から腕へ視線が動く。かつて剣道家として対峙した試練の数々を思い出す。何も恐れることはない。
コーツがナイフを振り上げた瞬間、蔵道の体が動く。コーツから見て右側、振り下ろされるナイフの射程上からは既に外れている。さらに蔵道は念押しを加える。
「目だ」
「っ!?」
コーツは思わず目を瞑っていた。何かが眼球に触れた感覚に、反射的に瞼を閉じたのだ。ほんの一瞬の出来事ではあったが、コーツの視界が回復したとき、そこに蔵道はいなかった。
「ぐごっ!!」
蔵道の張り手が、コーツの顎に叩き込まれる。鈍い打撃音は雨音にかき消され、コーツはひっくり返った。
「がっ……き、貴様……!」
ガクガクと顔を震わせながら、コーツはナイフを手放していることに気づいた。
どこに落とした?地面に倒れたまま周囲を見渡すが、そこには水たまりがあるだけだった。
あいつに拾われたか?蔵道は既にバリーの方へ走り出していた。
「コーツ!伏せてろ!」
バリーがクロスボウを構える。思わず身を屈めるコーツとは対象的に、蔵道に全く動じる気配は無い。
何だこいつは!?怖くないのか!?それとも避ける自信があるのか!?バリーには自分の手がいつのまにか震えているのが分かった。
「構うことはねぇ!撃ち殺せバリー!!」
コーツの大声に背中を押され、バリーは引き金を引いた。放たれた矢は蔵道の頭部へ向かって直進していく。
当たった……殺す気は無かったが仕方ねぇ!下手に首を突っ込んできたお前が悪いんだ!
「囲め」
何だ?バリーは自分の目がおかしくなったのかと錯覚する。
蔵道の右腕部分からボンヤリと黄色い影が浮かび上がる。脱皮した抜け殻のように右腕を模倣した形状が、次の瞬間には空気中に流れ出し、宙を裂く矢を取り囲む。
そして蔵道が受け止めた“それ”は、矢とかけ離れた物に変わっていた。
「矢が……砂時計に……!?これはまさか!」
「私が変えた、君たちの言葉では……」
「転生者……!!」
「伝わって何よりだ」
蔵道は冷静にバリーの目を見つめる。まだ戦意を失ってはいないな。それどころかパニック状態になれば、却って攻撃の頻度が増すかもしれない。あまりに距離が近いと矢を変化させるのも間に合わない。攻撃は早めに開始するとしようか。
先程、変えた砂時計を振りかぶり投げつける。砂時計は放物線を描き、バリーの足元へ落下した。
何の真似だ?思わずバリーの目線が砂時計へと向かう。
パリンとガラスの割れる音が鳴った。木製の細い柱ごと、砂時計が中心で真っ二つに分断される。
バキッ、ズブリ!バリーの耳に乾いた音と重い音が同時に入った。
視界の端に棒切れの破片が地面を転がっていく様子が見える。
何だあれは?真ん中で折られているようだが見覚えが……!
「ぐあああああぁぁぁッ!!」
棒切れを目で追うより先に、バリーは強烈な痛みで膝をついていた。腹部に何かが刺さっている。棒切れ同様に真ん中で折られたこれは……!
「矢だ、俺が撃った矢が俺に……ぐ……あぁぁぁ……!!」
「こういう能力だ、理解したか?」
「っ!!」
蔵道が踏みしめた水たまりが跳ね、バリーの顔にかかる。文字通り目と鼻の先だった。
「このクソがァァァッ!!」
「もう遅い」
蔵道に向けられたクロスボウには、既に黄色い粒子がまとわりついていた。
あぁ、これは砂だ。間近で見てバリーは理解した。あの男が自在に操っているのは、雨粒よりも細かい、砂漠で見られるような乾燥した砂だったのだ。
引き金を引いたが意味は無かった。クロスボウと、発射されかけた矢がまとめて一つの砂時計に変わり、バリーの手に納まっていた。
「『
バリーの手から砂時計を取り、蔵道はコーツの方を向いて言った。
「依頼者に伝えるんだ。君たちの狙いは私だ、無関係の人を巻き込むな」
「な、何なんだよ……ホームレスなんざ庇ってどうしようっていうんだ……!?」
「…………」
蔵道の右手を回るように黄色の粒子が顕現する。
「わ、分かったよ……くそっ!」
コーツは観念した様子でバリーを担ぎ、去っていった。
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