第9話 人狩り

 光沢蘭は大雨に身を晒し、体を震わせながら一人、町中を歩いていた。ようやく辿り着いたノイセ村は、この悪天候故に人影が見当たらず、宿泊施設の場所を聞くこともできなかった。


「寒い……!」


 同じ言葉を何度言ったかも分からない。あまり手入れをしない短めの黒髪は、すっかりストレートヘアーとなって皮膚に張り付いている。安物の眼鏡には水滴が付着しており、その機能をほとんどなしていなかった。

 せめて人影さえ見つかれば……彼女は雨音の中で必死に耳を澄ます。


「おい……!」

「何するの……!?」

「え……!」


 僅かな声量ではあったが蘭は人の声を聞いた。会話の内容など気にもならない。今の彼女にとっては、周囲に誰かがいることが最重要だった。

 温もりだ。求めていた物がすぐそこにある。


「何だ、お前は?」


 服装を見る限りは村の兵士だろうな、と蘭は思った。二人の声が聞こえた気がしたけれど、もう一人はどこだろう?それに、彼が肩に担いでいるのは……靴を履いているが……!?


「よし、お前もホームレスだな……!」


 兵士が担いでいた少女ものを投げ捨て、蘭を睨みつける。その手に握られている物をクロスボウと把握するのに、時間は不要だった。


「ひっ!」


 蘭の逃亡と同時に、頬のすぐ横を矢が掠める。

 何が起きてるの!?彼女の脳内を疑問が埋め尽くすが答えが出るはずもない。分かるのは、目の前の男が幼い子どもを襲ったということ、そして自分が次に襲われているということだけだ。


「逃さんぞ!」


 兵士の声からは奇妙なことに喜びの感情すら感じ取れた。

 まさか変質者か!?冗談じゃない!大声で叫んで助けを呼ぶ?それが果たして有効な対処法なのだろうか!?


「何だ、ここにもいたのか?」

「っ!?」


 蘭の足が止まる。逃げた先には別の兵士がいたのだ。


「コーツ、そいつは俺の手柄だ!」

「何を言ってやがるバリー!お前はもう捕まえてるじゃねぇか!俺に譲れ!」

「馬鹿を言うな、宝石は俺の物だ!」

「ふざけるな!強欲な野郎め!」


 単独犯ではなく組織の犯行?宝石が何を意味するか分からないが目的は蘭自身ではない?

 だが疑問を解消できるほどの時間は無い。彼らが言い争っている今がチャンスだ!

 蘭が走り出す。


「役に立たねぇな、兵士というのは」


 ズンとした衝撃が蘭を襲った。目の前に現れた人影に突然、硬いもので殴りつけられたのだ。


「あぐっ……!」


 背中から倒れ込んだ蘭を見下ろしながら、その犯人は兵士たちに向かって叫んだ。


「何をしているんだ!?さっさと、こいつを捕らえろ!」

「保哲さん……しかし」

「言い訳の前に行動しろ!!」


 保哲は思った。どうして俺が手を貸す必要が生じるんだ?捕獲の役割は、こいつらノイセ村の兵士の方なのに……!


 この悪天候の中、単独で動くのは無理がある。そう考えた保哲は村の兵士を使うことを考えた。『アジアン千金・ミラクル』で宝石を作り出し、それを報酬として支払う代わりに仕事を頼んだのだ。

 ホームレスの少女をできるだけ多く捕らえ、レクシドの館に連れていくこと。それが仕事の内容だった。一人一人に前金として宝石を渡した他、歩合制で追加報酬を支払うと約束した。つまり捕まえた少女の人数に応じて、さらに宝石を渡すことにしたのだ。

 我ながら上手いやり方だな、と保哲は思った。ホームレスの少女がどれだけいるか分からない現状、途中で妥協して切り上げることも起こりうる。だが自分のやり方ならその事態を防げるだろう。

 ところが、実際にやってみると思い通りにいかないものだ。兵士たちは目の前に転がった標的を放置し、言い争いを始めたのだ。

 逃亡を阻止するにも手段を選ぶ必要があった。兵士たちが近くで見ている以上、山賊のブッティルたちのように、宝石化で拘束するわけにはいかない。そこで自分の衣服を一時的に宝石化し、蘭を殴りつけてから解除したのだ。


「くそっ!せっかくの作戦が、お前らが上手く動いてくれないせいで台無しだ!」

「す、すみません……」

「お前たちの相手は、この見すぼらしい女だろ!?どうしてお前たち同士が争うんだよ!せっかく高い報酬を払ってるというのに……!依頼主のことを第一に考えろ!協力して物事に臨むことを意識しろよ!」

「……分かりました」


 兵士たちは一答し、蘭に歩み寄る。

 彼らが素直なのは表面上だけだった。下手に機嫌を損ねて宝石を貰えなくなるよりは、不満を押し殺す方が得だと判断したのだ。

 ……何ということはない。不満をぶつける相手が変わっただけだ。


「クソガキが!!」

「ぐぇっ!」


 兵士の右足が蘭の腹部へ打ち込まれる。誰の右足なのか、名前を思い出す余裕は無かった。込み上げる嘔吐感に苛まれながら、蘭は全身で水たまりを味わう。

 彼女には言うべきことがあった。自分は転生者でホームレスではない、それでこの苦痛から解放されるはずだった。しかし兵士たちの怒りの捌け口にされている現状では、弁解の言葉を紡ぐわずかな時間も与えられなかった。


 保哲がその場を去ると、兵士たちの口調も激しさを増していく。


「何が協力しろだ!自分てめぇで競争心を煽っておいて!あぁぁッ!?」

「ガキの分際で!ホームレスの生態も知らねぇくせに!作戦だと!?従えだと!?」


 暴力が蘭へ向かう。何度も何度も。

 どうして?自分が何をしたの?分からない。何もしていない。 それでも死ぬ。殺される。帰りたい。帰れない。死にたい?死ねない……!


「何だこいつ、やけにしぶといな……」

「どうしたバリー、もうへばったか?」

「……いや、まさかとは思うが」


 片方の兵士、バリーは肩で息をしながら考えた。先程の少女は一発殴っただけで気を失ったというのに、この女はまだボソボソと口を動かしている。


「おい、コーツ。こいつの服を脱がせるぞ」

「何を言ってんだ?せめて屋内に運んでからにしろよ」

「そうじゃあない!こいつがが本当にホームレスなのか、気になるんだ。服の質とか、肌の具合とかで見抜くんだよ」

「なぜそんなことをする必要がある?」

「噂に聞いたんだが、転生者とかいう人間は、不相応に高い身体能力を持つことがあるらしい。この女……気にならんか?」

「……そうだな」


 コーツが腰に差した短剣を抜く。

 足元で倒れている女は最初から村にいたホームレスなのか?あるいは……!

 それを知ってどうするのかは調べてから決めればいい。バリーが蘭の胸元に手をかける。




「待て!!」


 叫び声が雨音を貫く。バリーは手を止め、新たな通行人の方を見た。


「やめるんだ……それ以上、手を出すな……!」


 その声の主、蔵道は悲痛な顔を浮かべながらゆっくりと歩を進めていく。

 空気が変わった。何となくバリーはそう感じた。

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