第5話 来客

 その日、朝から続いた曇り空は昼になってようやく雨雲の片鱗を見せ始めた。


「ここ最近は雨が多くてね」


 館を訪れた女性に対してレクシドは言った。

 こいつが今日の客か。すっかり応接室として定着した一室に立ちながら、保哲は女性を観察した。

 連日、館を訪れる貴族たちとは雰囲気が違う。全身を包む白いドレスは高級品なのだろうが、これといった宝飾品はついておらず、派手さは全く感じられない。その素肌は白粉おしろいでも塗っているのかと思うほどの白さだったが、化粧はしていない。色鮮やかな口紅や付け爪も見受けられなかった。

 そして何よりも印象的なのは目線だった。顔をできるだけ動かさずに、さりげなく周囲を見渡しているのが分かる。保哲と目が合ったのも一度や二度ではない。彼女もまた相手を観察しているのだろうか。


「それで、お嬢さん……」

「名乗らなかったかしら?」

「え……」

「ガブリエラよ、ガブリエラ・シニストラル」

「あ……あぁ、そうでしたね」


 客の名前くらい覚えておけよ。保哲は呆れるように息をついた。


「それで、お望みはオパールでしたな」

「クリスタルよ」

「……はい?」


 レクシドが目を点にする。


「お、おや?クリスタル?確かオパールと聞いていましたが……」

「だからクリスタルよ、クリスタルオパール。コモンオパールでもピンクオパールでもなくクリスタル、そう言ったはずよね?」

「あ……?あぁ」


 レクシドがギラリと保哲を睨みつける。恥をかかせやがって、と表情が物語っていた。言うまでもなく八つ当たりなのだが、それが保哲には妙に愉快だった。


「おい!お求めの品を……!」

「ちゃんと用意してるよ」


 俺がいて良かったな、と心の中で保哲は言い放った。

 彼は『アジアン千金・ミラクル』を手に入れてから、宝石のイメージを固めるべく資料を読むようにしていた。幸い詳しい書物をレクシドが所持していたので、彼女の言うクリスタルオパールについても把握ができていた。……無知なレクシドは無色透明な品種としか言わなかったが。


「ありがとう」


 小箱を開けて中身を見せた保哲に、ガブリエラはニコリと微笑んだ。

 やはり彼女はこれまでの客とは違う、保哲は改めてそう感じた。わざわざ使用人に気を使うなんて、彼女は本当に貴族なのだろうか。


「お待ちくだされ、その前にお代を見せてもらえますか」

「そうね」


 ガブリエラは近くに置いていた革袋を掴み、中身を机の上に広げる。ジャラジャラと音を立てながら金貨が広がっていく。膨らんだ革袋がすっかり萎む頃には、金貨は一つの山となっていた。


「これでいいかしら?」

「ふむ……まぁ十分でしょう」


 レクシドに数える気は無い。元値がタダである以上、取引額が目分量でも構わないのだ。保哲からしてみれば金貨を数えるよう命じられずに済むのは楽な話だった。


「お気に召しましたか、お嬢さん。あなたの瞳のように透き通った一品物ですよ」

「くす……」


 ガブリエラは宝石を摘んで眺め始めた。レクシドの言葉にはさして興味が無いかのように。


「この種の品はオパールの中でも地色が無色で虹彩が見えやすいのよね。こうして角度を変えるだけで……ほら、様々な色が見えてくるもの」


 そう言ってじっくりと宝石を見つめるガブリエラの目つきは、まるで研究者のようだった。爛々と目を輝かせる様子は見られない。眼前の鉱物に対して、あくまで冷静に向き合っていた。


「外部から侵入した光が宝石内で乱反射し、七色の彩りを見せるのよ。まるで伝説に語られる神の石のようにね」

「……!」


 ピクリとレクシドの眉が動く。

 ガブリエラは宝石を箱に仕舞うと、もう用済みだと言わんばかりに懐に入れて話し始める。


「雨上がりの空に浮かぶ七色のアーチを人々は虹と呼び、そこに神を投影した。これは何も神の石に限った話ではないのよ。それに似た神話は世界各地で脚色され、語り継がれている。民俗学者の間では『天からの贈り物ヘブンズ・レインボー』と区分しているの」

「……お嬢さん、何を仰りたいのです……?」

「確かめに来たのよ。神の石などという物が本当に実在するのか?」

「馬鹿な!!」


 ドンとレクシドが机を叩く。山を形成していた金貨が崩れ、一部が床に落ちて音を立てた。


「その言い方では……お嬢さん、まるで私が嘘つきのように聞こえますぞ!」

「あくまで可能性の話よ。それらしき物をでっち上げて、名声を得ようとする輩は珍しくない。例えばこのクリスタルオパールのように、虹色の遊色効果を持つ宝石を神の石と呼んだり……」

「貴様!!」

「うふふ……あなたはどうなの?」

「えっ……」


 急に話を振られて保哲は戸惑いの表情を見せる。だが、すぐに理解した。声を荒げるだけの館の主人よりも、この使用人の方が詳しく知っている……ガブリエラは気づいているのだ。


「神の石よ、あなたの意見を聞かせて。あなたも知っているのかしら?」

「……まぁ、そうだな。俺が管理してたし。だからはっきり言えるんだが、あれはオパールとは違う」

「へぇ、そうなの……」

「当然だ!!本物をこの私が……」


 声を張り上げる主人を無視して、保哲は自分の見た物を説明する。


「神の石は……言うなれば宝石の集合体なんだ。赤色のルビー、青色のサファイア、緑色のエメラルド。そうした七種類の宝石が層状に組み合わさって虹の模様を構成している。あれを表現するなら、虹色の石ではなく虹だよ。決してホログラムシールのような、見る角度で色が変わるような曖昧な虹ではないんだ」

「つまりだ!神の石とはルビーであると同時にサファイアでもある!故にルビーともサファイアとも呼べず、神の石と呼ばざるを得ない奇跡の宝石なのだよ!!分かるかね!?」


 レクシドのまとめの言葉に却って紛らわしさを感じながら、保哲はかつて山中で試したことを思い出していた。


 『アジアン千金・ミラクル』を持つ保哲は、物質を宝石に変えることができる。しかし、そうして作り出せるのは一種類の宝石だけだった。石ころの右半分と左半分を別々の宝石に変える、などという芸当は何度やってもできなかった。保哲に作れない唯一の宝石こそが神の石なのだ。

 ……だからこそレクシドは神の石を取り返そうと躍起になっている。

 代替品を作れない俺を糾弾している。これまでの恩も忘れて……あんな石一つのために!!


「ふぅん……なるほどねぇ」


 ガブリエラは納得したかのように考え込む。


「わざわざ血相変えて力説してくださらなくとも、最初から実物を見せた方が手っ取り早いのに。どうしてそれをしないのかしらね?」

「う……!それは……神の石は神聖な宝石!どこの誰とも分からぬ怪しげな女においそれと見せるわけにいくか!」

「あら、そう……」


 既に礼節を捨て去って怒り散らすレクシドに対して、ガブリエラは不敵な表情を浮かべた。

 以前はあれだけ皆に見せびらかしていたのに変ね。保哲にはそう詰問しているように見えた。全てを知りながらも、あえて意地悪に振る舞っているような、そんな雰囲気を彼女から感じた。


「それなら……そうね。追加で払うと言っても駄目かしら?」


 そう言って、ガブリエラは机の上に置かれたままの革袋を手に取り、逆さに降る。

 何を馬鹿な。既に中身の金貨を出し尽くした革袋に、これ以上の何が入っているというのか。レクシドはつまらない物を見る目で、革袋を追った。


「え……!?」


 ジャラジャラと音を立てながら落ちてきたのは、紛れもない金貨だった。萎んでいる革袋から、目に見えて空っぽの革袋から、湯水のように金貨が流れ出てきていた。

 一体、何だこれは!?あの革袋の中身は異次元にでも繋がっているのか!?

 徐々に積もっていく金貨と同様に、心の中でも何かの感情が積もっていく。少なくともそれは金貨に対する喜びではなかった。


「か、帰ってくれ……!」


 震える声でレクシドは言った。


「今すぐ帰ってくれ!これ以上は人を呼ぶぞ!!」

「…………。そう、分かったわ。どうやらあなたの味方にはなれないみたい」


 ガブリエラは革袋を投げ捨て、背を向ける。


「あなたの味方には……ね」


 そして最後にそう言い残し、扉の向こうへと消えていった。

 これも、あえてだろうか?あえて意味ありげな言葉を言った、保哲にはそう思えた。

 隣では床に散らばった金貨を前に、レクシドがただ呆然と立ち尽くしていた。

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