第13話 神とは

 ガブリエラは一人、閑散とした路地裏を歩いていた。

 惨劇の日から三日が経った。クレム王国の人々は、自分たちの危機が去ったとはいえ、祭りを再開する気分にはなれなかった。その結果、追悼式のように静かな日々が続いていた。


「……懐かしいわね」


 誰にともなくガブリエラは呟いた。

 自分と杯鬼が出会った場所で深く息を吸い込む。心なしか、あの日、口にしたオレンジの味がした。


「彼は今頃、どの辺りかしら……」




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「スティング神を……いや、強大な蜂の魔物を退治してくれたこと、そなたには感謝しきれぬ」


 その日、杯鬼の泊まっている部屋を訪れたクレム国王は、やつれた顔でそう言った。護衛の部下たちは、運んでいた革袋の中身を無造作に机上に広げていく。


「これは報酬じゃ。本来は勇者たちにやるはずだったが、そなたが全て持っていってくれ」


 杯鬼は黙ったまま、それらを見つめた。この世界で流通している硬貨に宝石類、いずれも十分な値打ちがあるものだ。


「その代わりといってはなんじゃが……」


 国王の目は、部屋の隅に佇む薔薇ローズ妖女ウィッチに移った。


「早いうちに……この国を出てはもらえぬか」

「……ふん」


 杯鬼にも予想できていたことだ。クレム王国に甚大な被害をもたらした元凶を、彼らが歓迎するはずもない。その主である杯鬼も同様に拒絶されるだけだ。

 別にいいさ。杯鬼は思った。嘘に塗り固められた建前上の感謝など何の価値も無い。それに、自分が大嫌いな勇者にならずに済んだのだから。


「ここでお別れね」


 国王たちと入れ替わりに、部屋を訪ねたガブリエラはそう言った。


「宝石が欲しけりゃ持っていきなよ、俺には価値が分からないし、あんたにも世話になったしな」

「別にいらないわよ、それは国を出ることと引き換えに受け取った物だもの」

「そうか」


 欲が無いのか、個別に報酬を貰っているのか。彼女がそう言うなら別にいいか、と杯鬼は革袋を全て薔薇ローズ妖女ウィッチに渡す。


「荷物持チカ」

「貧弱な人間には持てないからな、屈辱か?」

「ナニ、ソレクライ我慢シテヤル。貴様トハ目的ガ一致シタ所ダカラナ」

「目的?まさかこの国を滅ぼすなんて言わないわよね?」

「さすがにそんな無意味なことはしねぇよ。この国に良い思い出は無いけど、あんたと戦うのは嫌だからな」


 杯鬼はそう言って、薔薇ローズ妖女ウィッチの隣に立った。


「俺は、こいつの故郷に行く……!」

「……そう。果たして、魔物たちが人間を受け入れてくれるかしらね」

「その人間側の方が、既に俺を受け入れないんだ。見ての通り、俺は魔物を引き連れて旅をするんだからな。……なに、必要なら俺自身が魔物にでもなってやるよ」

「ふふふ……そこまで言うなら止めはしないわ」


 浅はかにも取れる、杯鬼の恐ろしい決意表明を聞きながらも、ガブリエラは笑顔で応えた。


「……なぁ、リエラ。最後に一つ、教えてくれないか」

「何かしら?」

「勉太や国王は、都合の悪くなった瞬間に俺を捨てた。だが、あんたは俺を見捨てることなく、ここまで導いてくれたな」

「そうね」

「それは善意か?」

「…………」

「その反応を見るに、あんたにとって都合の良いことがあったんだな?」

「……やはり、あなたには教えておいた方が良さそうね。私は……」


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 ザッと土を踏む音に、ガブリエラは現実へ戻された。

 そこにいたのは、ナイフを手にした勉太だった。


「見つけたぞ……お前が!お前のせいで……!」

「あら、あなたは……」


 勇者様と呼ぼうとして、ガブリエラは言葉に詰まる。もはや彼を勇者と称える者は一人もいないというのに。


「見ろよ僕の顔を、毒の後遺症で筋肉が麻痺しているんだ……!もう僕は鏡すら見れなくなった!」

「私のせいだと言うのね?」

「お前が!お前がスティング神をけしかけたせいで!」


 勉太は半狂乱になり、裏返った声で叫び続ける。


「僕はこんな顔になり、仲間たちは裏切り合った!おまけに僕らの報酬は全て杯鬼あんなヤツに横取りされた!分かるか!?僕らの富も名声も絆も、全てお前が壊し尽くしたんだ!!」

「そのスティング神をけしかけたのはあなたたちの方よ。私はただ後始末をしただけ。……ううん、その後始末も薔薇ローズ妖女ウィッチに任せっきりだったわ」

「黙れェェェッ!!」


 勉太が走り出す。


「お前が事前に警告していれば国が襲われることもなかった!!お前は意図的に俺たちを危険に晒したんだァァァァァッ!!」


 『 一 斉フライト・蜂起オブ・ジンガー』で加速した勉太が地面を蹴った。

 その手の先端が狙うはガブリエラの喉元。彼女を殺すことに、もはや何の躊躇も無かった。




「それじゃあ駄目なのよ」

「っ!?」


 加速しているはずの勉太に対して、ガブリエラは確かにそう言った。


「こ、これ……は!?」


 勉太は跳躍の姿勢を取ったまま、彼女の言葉を空中で聞き続けていた。

 体が前に進まない。全身を強風に晒されたかのように自身の髪がなびき、宙に浮き続けている。


「風を起こして僕を押し返している……わけじゃない!僕の体は後ろに飛ばされていない!一体、これは何の魔法だ!?」

「……くす」


 分かってないわね、と言わんばかりの小馬鹿にしたような笑みで彼女は話し続ける。


「潜在的な脅威を放置していては、根本的な解決にはならないでしょう?スティング神は倒さなくてはならなかったのよ」

「だ、だったら……どうしてこの国に誘き寄せた!?森の中で戦えば良かったじゃないか!」

「そうね、杯鬼くんがいなければそれでも良かった」

「杯鬼だと……!?あんな雑魚が、お前が手を貸さなければ何もできなかった雑魚が何だって言うんだ!?」

「……本当に雑魚のままだったかしら?」


 ガブリエラは頬に指を当て、考える仕草をした。


「もしも、何らかのきっかけで彼が気づいたとしたら?自分の能力で何ができるか、それを理解して彼はどうすると思う?」

「復讐だろう?上等だ!返り討ちにしてやるさ!」

「正面きって戦いに来るわけないでしょうに。自身は姿を隠し、薔薇ローズ妖女ウィッチが奇襲するだけよ。この状況で杯鬼くんの死が解決策だと、あなたたちは見抜けるの?」

「ぐ……!」

「つまり杯鬼くんもスティング神と同様に、クレム王国の危機だったわけ。だから私は彼に手を貸し、国中が注目する舞台で能力チカラを使わせた。そして報酬と目的を得られれば、彼が大人しく国を出るのも当然のこと」

「全て、この国のためだったと……?」

「うふふ……」

「お、お前は何なんだ……?ただの旅人が、どうしてこんなにクレム王国を気にかける……?お前は……一体、何が目的なんだ!?」


 くるりと、彼女は勉太に背を向ける。隙だらけの背中を刺せない勉太の歯がゆさなど知る由も無く、彼女は言った。


「私は自分の使命を果たしただけ……スティング教を知る中で見つけだした自分の使命を」

「使……命?」

「『茨の彷徨』災害、巨大な蜂の降臨。そして人々の心に誕生したのが、スティング教における神という存在。それから数百年の間、クレム王国に迫る危機を退けるようにと、彼らは神に祈り続けてきた。




 だから叶えてあげたのよ」


 勉太の手からぽろりと、ナイフが零れた。そのナイフは地面に達することなく、勉太と共に空中に浮き続けている。

 しかし彼にとって、そんな些細なことはどうでも良かった。


「まさか……神とは……」


 ガブリエラはそれ以上、何も答えなかった。

 振り向くことなく歩き始めた彼女の姿を、勉太はいつまでも目で追い続けていた。

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