第12話 復活

 周囲を囲む茨が消失する。薔薇ローズ妖女ウィッチが魔法を解除したためだ。ただし毒の魔法は継続中だと、彼女は杯鬼に言った。


「勉太殿!」

「ご無事ですか!?スティング神は!?」


 逃げていた兵士たちが戻ってくる。彼らの戦意は既に尽きていたが、戦況が変わったと判断して様子を見に来たのだ。

 中には薔薇ローズ妖女ウィッチに剣を抜こうとする者もいたが、マーシュ神父の、勉太たちの救助を優先すべきとの説得により事無きを得た。


「勉太……」


 兵士に背負われた近藤は勉太に声をかける。


「心配するフリかよ、都合のいい奴だな。さっきまで見捨てて逃げようとしていたくせに……!」

「クク……!貴様、性格ガ悪イナ」

「積もり積もった怨恨モノがあるんだよ」


 勉太と近藤が運ばれた後、瓦礫に巻き込まれた安田と相澤の救助が始まった。


「あ、頭が痛い……!何が起きたの……?勉太は……?」

「ねぇ、早く助けて……動けないよ……!」


 安田は頭部に傷を負っていたが、幸いにもすぐに瓦礫から抜け出せた。一方、相澤は瓦礫に足を挟まれて身動きが取れずにいた。


「あれじゃあ命に別状は無いな」

「残念ソウダナ」

「いいや、良い気分だよ。自分を見下していた奴らが倒れている姿を見るのはな」

「……杯鬼くん、気を抜かないで。また終わってないわよ」

「なんだって?」




 カチ、カチ、カチ!


「ひっ!!」


 その時、安田が悲鳴を上げた。


「ギギッ……ギッ……!」

「おい、まさか……!」


 兵士たちの声が再び震え始める。倒れていたはずのスティング神が、羽ばたきながらこちらを睨みつけていた。


「ギギギギギギャギャギャギャ!!」

「うわああああッ!!」


 スティング神が針を振るう。咄嗟に身を躱した兵士の頭上で、針から紫色の液体が散布された。


「毒だわ!」


 ガブリエラが叫んだ。

 兵士の顔色が瞬く間に変色していく。声を上げることもなく皮膚が溶解し始めるのを見て、杯鬼は思わず口元を抑えた。


「さっきの勉太とは症状が違うぞ……!別の毒なのか!?」

「……コレハ」


 薔薇ローズ妖女ウィッチが訝しげに眉をひそめる。


「私ノ毒ダ……!」

「なに……?」

「間違イナイ、【薔薇汚染毒ローゼンヴェノム】ノ症状ダ!小癪ナ蜂メガ!私ノ毒デ死ニカケタハズガ、ソノ毒ヲ使ッテ攻撃シ始メルトハ!」

薔薇ローズ妖女ウィッチ、魔法を解除して!」

「既ニヤッテイル!ダガ、アイツノ毒ハ消エテイナイ!」

「どういうことだよ!お前の毒だろ、何とかできないのか!?」


 杯鬼たちが困惑する間にも、被害は増え続けていた。

 逃げ惑う兵士たちは次々と毒液を浴びせられ、地面へ倒れ、そして溶け流れていく。


「イヤァァァァッ!!」

「相澤!」


 パニック状態で叫ぶ相澤を、安田が必死で引っ張る。しかし、相澤を縛り付ける瓦礫の山は、少女一人の力ではどうにもならない。


「あ……!」


 人手を求めて周囲を見渡す安田に、最初に目を合わせたのはスティング神だった。

 ゆらりと向きを変えた脅威に安田の全身が硬直する。


「ねぇ、安田……?」

「あ……相澤……」

「待ってよ……!ねぇ、助けて……!」


 安田が手を放す。


「嫌だァァァッ!!置いていかないでェェェェェッ!!」


 仲間の悲痛な叫びが背中に突き刺さるも、安田は振り向かなかった。

 悪魔が囁くのだ。今なら逃げられる、相澤が囮になれば時間が稼げると。


「安田アアアアアァァァァァァァァッ!!」

「っ!?」


 ぐにゃりと地面が歪むような錯覚が安田を襲った。足が縺れ、踏ん張ろうと試みても力が入らない。

 このクソ女、『千鳥足リキティ・レース』で転ばせやがった!


「ふざけんなよテメェェェッ!!」

「ギャッ!」


 次の瞬間、安田は瓦礫の破片で相澤を殴りつけていた。咄嗟に頭部を庇った相澤の指が折れ曲がる。

 殺さなければ!二発、三発。早く殺して逃げなければ!

 スティング神が距離を詰めながら、下半身を後ろに反らせるのが見えた。あれは、毒液を噴出しようと振りかぶっている姿勢だ。

 もう駄目だ!──安田の意識はそこで途切れた。


 ビシャッ!


「ソコマデダ」

「ギギギッ……!?」


 勢いよく繰り出した毒液は茨の壁に阻まれた。

 薔薇ローズ妖女ウィッチが苦虫を噛み潰したような顔で、間に割って入っていた。


「人間ヲ守ルノハ屈辱ダガ、貴様ヲ殺スタメニ止ム無ク……ダ。コレ以上、毒ヲ撒カレテハ勝機ガ無イ!」


 ビシャビシャビシャ!


 続けざまに放たれる毒液を、薔薇ローズ妖女ウィッチは茨で受ける。付着した箇所から、じわじわと毒が侵食し始めた。


「【薔薇精油ローゼッセンス】……!」


 茨の表面から、雨露のような澄んだ液体が滴り落ちる。


「解毒ノ魔法ダ……!コレデ貴様ノ真似事モ……!」

「ギギャギャギャギャ!」


 スティング神がさざめく。戦いを見守る杯鬼には、それが笑っているように見えた。


「ムグ……!?ガ……!」

「おい、どうした!?」


 突如、薔薇ローズ妖女ウィッチの動きが鈍くなった。喉を押さえ、苦しそうに呻いているのが見える。

 また毒か、だが解毒したのではないのか?杯鬼の心に浮かんだ疑問に、ガブリエラが答えた。


「合成したのね。蜂の毒と、薔薇の魔法による毒。二つの毒をカクテルのように、毒嚢どくのう混合シェイクした。彼女の治療魔法で防げるのは、彼女自身の毒による腐敗だけよ。もう片方の、おそらく筋肉の弛緩と思われる症状は防げないんだわ」

「ちっ!それじゃあ、あいつはもう戦えない!」

「グ……!マ、マダ……ダ……!」


 ズブッ!


 声を絞り出して戦意を見せる薔薇ローズ妖女ウィッチだったが、既に勝敗は決していた。

 スティング神が彼女の背後に回り込む。そして抵抗すらできない無防備な背中に、自身の鋭利な凶器を突き立てた。


「人……間……!バイ……キ……!」


 それが彼女の最期の言葉だった。彼女の下半身を形成する薔薇が、急速にしおれていく。ピンと張っていた茎はぐにゃりと曲がり、花びらがパラパラと散っていく。

 スティング神は満足げに針を引き抜くと、首をぐるりと回し、次の獲物に狙いを定める。




 ──はずだった。


「針デ刺スト思ッテイタゾ」


 彼女はスティング神の後ろにいた。たった今、殺されたばかりの自身の死体を眺めながら、優雅に佇んでいたのだ。


「毒デ弱ラセ背後カラ心臓ヲ狙ウ。一昨日ノコトダカラナ、ヨク覚エテイルヨ。貴様ノ場合ハ数百年前ダガナ」

「ギギッ……!?」


 スティング神の体がバランスを崩す。地面から伸びた一本の茨が、スティング神の針に巻き付き、攻撃を封じていた。


「貴様ノ動キヲ封ジルタメニ、ワザト刺サレテヤッタノダ。オカゲデ捕ラエルコトガデキタゾ」

「ギギャギャギャギャ……!?」

「何ノ魔法ダ、ダト?」

「魔法じゃねぇよ、雀蜂」


 ころころと赤い球体が、スティング神の足元に転がっていく。


「『森林再生パワー・プラント』だ。そのリンゴは冥土の土産に持っていきな」

ウ暇ハ無イガナ」


 蜂特有の細い胴体に茨が巻き付く。


「ギギャァァァァァァァッ!!」

「【薔薇穿孔化ローゼクスカベイト】!!」


 勇者の日。クレム王国にとって記念すべき日となるはずだった祭りの日は、スティング神の絶命、およびスティング教の解体という結末で幕を閉じた。

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