第10話 開花

「何ということでしょうか……」


 クレム第一教会の神父、マーシュはガブリエラの背に隠れ、声を絞り出してそう言った。

 彼がこの惨状に立ち会った頃には、勇者たちの敗北を目の当たりにした兵士たちが次々と逃げ出し始める所だった。


「我らが神は、国の危機を退ける存在のではなかったのですね……」

「……お気の毒だけど」


 ガブリエラは教会の書物を捲って言った。


「このページに書かれている神は、どう見てもあそこで殺戮の限りを尽くしている生物と同じ姿だもの」

「……道理で、あなたがその本を盗んだわけです」

「ごめんなさいね、どうしても必要だったもので。理由を説明しても納得しないでしょうから」

「えぇ、それに……私があなたを追ってここまで来た方が、あなたにとっても都合が良かったのでしょう?」

「そうね、実際に向き合ってほしかったのよ、偽りの神と。【突風打ガスタッド】!」


 身を起こしたスティング神を見て、ガブリエラが強風を打ち付ける。

 バタバタと羽を鳴らしながら、スティング神はその場で藻掻もがきだした。


「いくら魔物と言っても、体つきは雀蜂。強風に揉まれれば飛べないでしょうね」

「やはり、魔物なのですか……」


 マーシュ神父は落胆する。信仰心のあつい彼にとって、魔物を崇めたことは受け入れがたいことだった。


「しかし……まだ納得できないのです。人間を脅かすはずの魔物が、なぜ我々を……クレム王国を救ったのでしょうか?」

「それは、別の方に説明してもらおうかしら。杯鬼くん、よろしくね」


 ガブリエラは杯鬼の方を向く。杯鬼は、やれやれといった雰囲気で彼女から書物を受け取った。


「ふん……」


 スティング神と目が合う。杯鬼に恐怖は無かった。

 周囲を見渡す。口から泡を吹いて横たわっている勉太。瓦礫に下半身が埋もれ、ぐったりしている安田と相澤。泣き顔で這いながら逃げ道にしがみつく近藤。いずれも大嫌いな奴らだ。

 そんな大嫌いな奴らの言うことを、どうして真に受けてしまったんだろう。杯鬼はかつての自分が不思議でならなかった。


「駒島杯鬼の固有スキルはゴミ……か」


 おそらく、誰もが思い込んでいたのだ。ステータス補正が優秀なら固有スキルも優秀であると、その逆も然りと思い込んでいた。

 彼女は言った。どうして数字に拘るのか、と。全くその通りだ。自分はもっと探求するべきだったのだ。

 ──そして、思い込みは解けた。




 杯鬼の手から真っ赤な何かが大量に吹き出した。血液と錯覚したのか、マーシュ神父は一瞬、身を強張らせる。

 それは花びらだった。ガブリエラの放つ突風に乗り、スティング神へと降り掛かっていく。

 次に、ドスンという音が響いた。重量のある物体が杯鬼の手から飛び出したのだ。

 複雑に絡み合った茨の中心に、見事に咲き誇った薔薇の花。しかし、スティング神に匹敵する大きさに、美しさよりも不気味さが際立っている。


「あれは何です……!?」

「言ったでしょう、神父さん。説明してと」


 薔薇の中心に影が浮かび上がる。それは黒と紺色の混ざりあった夜空のような色合いで、女性の姿をしていた。衣服と呼べる物は一切、身につけておらず、その異様な肌色を存分に晒している。髪は背を覆うように腰元まで伸び、下半身は薔薇に埋もれていた。


「アア忌マワシキ……帝王蜂ビー・キング……」


 一声で魔物と分かる低い唸り声からは、怒りや悲しみといった様々な感情が含まれていた。

 驚愕に目を見開くマーシュ神父とは裏腹に、杯鬼とガブリエラは眉一つ動かすことはなかった。


「こいつは返す」


 そう言って杯鬼は、書物をマーシュ神父に渡した。


「もう資料が無くても生み出せるようになれたからな」

「どういうことです……!?まさか、あれは……!」

薔薇ローズ妖女ウィッチよ」


 ガブリエラが代弁する。

 マーシュ神父は足元のふらつきを感じた。スティング神に続いて『茨の彷徨』までもが現れたのだ。そして、あろうことか当事者の話を聞こうと言うのである。この状況を理解するには、彼はあまりに常識人すぎた。


「な、何なのよ……何なの……!?」


 近藤は声を震わせて杯鬼に問いかける。

 彼女の右足はスティング神の衝撃波によって骨折した上、勉太の気絶に伴って『 一 斉フライト・蜂起オブ・ジンガー』の身体強化も解除された。それでも必死の思いで逃げ続け、ガブリエラの下まで辿り着いたのだ。


「あんたが出したの……!?果物しか出せないはずのあんたが……!」

「…………」

「これを見なさい」


 無視を決め込む杯鬼に変わり、ガブリエラが答える。

 その手にある果物に、近藤は見覚えがあった。


「勉太が言ってた、美容に良いっていう……」

「シーバックソーンよ。杯鬼くんは、名前も知らないその果物を、自身の能力で生成してみせた。さらに正確に言うなら、果実をね」

「え、枝……!?それって……もしかして……!」


 近藤は、ようやく自分の思い込みに気づく。

 果物だけ、いや果実だけではなかったのだ。枝も葉も、花弁も含めた植物全般を生み出せる。それが駒島杯鬼の選ばれた才能。

 そして恐ろしいことに、杯鬼自身が知らずとも、イメージさえあれば完全に同じ物を再現できるのである。


薔薇ローズ妖女ウィッチ、調子はどうだ?」

「最悪ダ……コレデ証明サレテシマッタ」

「あぁ。昨日、説明してやった通りだ。お前は数百年前に死んで、俺の手で生み出された。俺の『森林再生パワー・プラント』で、当時の記憶はそのままにな」

「今ヤ私ハ、貴様ナシデハ生キラレナイワケダ。忌マワシキ人間ナシデハ……!!」


 薔薇ローズ妖女ウィッチは震える手で拳を握る。スティング神に殺された個体と同一なのは明らかだった。


「ギギギィィィィィッ!!」


 スティング神が奇声と共に吹き飛ばされた。

 いや、違う。ガブリエラは思った。逃れたのだ。正面突破が不可能と判断し、後方へ引いて身を隠すつもりだ。


「【薔薇全包囲ローゼンバイロン】!!」


 ボゴゴゴッ!


 薔薇ローズ妖女ウィッチの発声、次いで地面の隆起が起きた。大人の胴ほどに太い茨が、次々と地面から突き出していく。茨は四方の至る所で出現すると、上空で折れ曲がり、一点に収束した。


「ギギャァァァァァッ!!」


 吹き飛ばされたスティング神は、柱のように伸びた茨へ突き刺さり、苦悶の声を上げた。


「コレデ逃ゲラレナイ」

「金網で、いや鉄条網で囲ったようなものか」

「差し詰め、私たちは籠に捕らわれた小鳥ってことね」


 逃げられない。その言葉を耳にした近藤とマーシュ神父は、血相を変えてガブリエラに接近する。まるで、そこが安全地帯だと言わんかのように。


「サァ、帝王蜂ビー・キング。アノ時ノヨウニ、私ガ邪魔者ニナッタ。排除シテミルガイイ」

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