第3話 王国史
杯鬼にとって、神とは
「……いや、分かっているさ。そこで神を無頓着と批判するのはお門違いだ。そもそも存在しないだけって話さ」
「存在の否定は、批判以上の侮辱じゃないかしら」
前を歩きながらガブリエラは言う。失言だったか、と杯鬼は思った。
ここが異世界である以上、神という生命体が実際に存在しても不思議ではない。
「悪かった」
「別に気にしないわよ、私が振った話だもの」
ガブリエラは笑顔で言った。
「人々が神をどう思うか、なんて国や地域の数だけ答えがあるものよ。それを調べるために私は旅をしているの」
「何だよ、巡礼者じゃなくて研究者か」
「それに近いかもね」
とはいえ、これから行く先には神を信じる人々が溢れているのだ。言葉には気をつけないといけないな、と杯鬼は思った。
もっとも、神に胡麻を
目的の建物は、高さ二十メートルはあろうかという教会だった。建物を中心に道路が作られていることは杯鬼にもすぐに分かった。周囲の人通りは驚くほど少なく、ここがいかに神聖な場所かを物語っているようだった。
「ここはクレム第一教会、この国における神の資料が全て集まっていると言われているわ。さぁ、行きましょう!」
「おいおい、大丈夫か?相手は信仰者だぞ」
心なしか目を輝かせているガブリエラに、杯鬼は一抹の不安を覚えた。
熱心な信仰者からしてみれば、神を解明しようと意気込む姿勢は失礼に当たるのではないだろうか。
「ようこそおいでくださいました。あなた方に、スティング神の御加護がありますように」
そんな杯鬼の心配は杞憂だった。
マーシュと名乗った初老の神父は、何冊もの書物を手に取りながらクレム王国の宗教──スティング教について詳細に語り始めた。
やや脚色された語り口調に宗教らしさを感じつつも、杯鬼にとっては初めての、楽しい歴史の授業だった。ガブリエラに至っては、うんうんと頷きながら随所で質問を挟んでいる。
「数百年以上も昔のこと……数万もの
「それを救ったのがこちらの……」
「そう、スティング神です!」
「……!!」
「杯鬼?どうかした?」
「いや、別に……」
開かれた書物のページには、災害に苦しむ人々とスティング神の絵が書かれていた。
天空から舞い降りた神の姿は、人間とは程遠いものだった。あみだ模様の透明な羽を広げ、丸みを帯びた縞模様の下半身からは鋭い針が飛び出している。顔に目をやればそこには
「まるで蜂ね……」
「仰る通り、スティング神は巨大な雀蜂の姿を以て降臨なさったのです。呆気にとられる民を前に、スティング神は目にも止まらぬ速さで、災害の元凶である魔物を……」
杯鬼は急に苛立ちを覚えた。脳裏に浮かんだのは憎き同級生たちの顔だった。
……慕われるはずだ。彼らの固有スキルには蜂の字が含まれているのだから。
偶然のわけが無い。勉太は意図的に命名したに違いない。
「そしてこの国は守られたのです」
マーシュ神父が最後のページを捲る。災害を起こした魔物の最期が描かれていた。
スティング神と同等の巨大な薔薇の中心に、女性の上半身が覗いている。その表情は苦痛に歪んでいた。スティング神の針が心臓を貫いているのだ。
「刺激が強かった?」
「え……?」
ガブリエラの言葉で、杯鬼は初めて自分が震えていることに気がついた。
「違う!怖気づいてなんかいない!ただ……」
「ただ……?」
「……いや、何でもない」
ただ、重なっただけだ。蜂に殺された魔物の最期と、同級生に見捨てられた自分の姿が。
「名前はあるのか?その……倒された魔物に名前は?」
「名前?はて、記録には名前らしきものはありませんが」
「
ガブリエラが即答する。野良の魔物に名前は無く、種族名で呼ぶのが普通なのだと、彼女は補足した。
「
「心配することはありませんよ、スティング神は寛大です。たとえあなたが如何なる罪を背負っても、お許しになるでしょう。スティング神が力を振るうのは、クレム王国の災いを退ける時だけですよ」
違う!俺は既に、蜂に殺されかけているんだ!杯鬼は心の中で叫んだ。
『お前の能力なら一人でも生きていける』だの『商売人になれる』だの、都合の良い建前で俺を追放して……!
一人きりの少年が果物を手に値段をつけた所で、誰も買ってくれやしない!そんなこと、分かっていたずだ!分かっていながら俺を……!
「どうも、ありがとうございました」
「またおいでなさい。スティング神はいつでも、あなた方を見守っておりますよ」
教会を出た時には日が沈みかけていた。そのためだろうか、杯鬼はより一層と切ない気分になった。
「あなたを拾う神ではなかったわね」
「ガブリエラ……!」
「でも収穫はあった。少なくとも現実は見えたでしょう?」
「ぐ……!」
ガブリエラが杯鬼をじっと見つめる。蔑んでいるわけではない。彼女の表情は真剣だった。
「俺はどうすればいいんだ……!食べ物に困らずとも、このままだと金が尽きる!今はあいつらの慈悲……いや、罪悪感の肩代わりに宿代を貰っているけれど、いずれはそれも……!」
「
「そ、それじゃあ……!」
「あなたの収入源は数日中に消失する。“いずれ”ではなく……ね」
住む場所も無く、飢えを凌いで毎日が過ぎ去っていく。野生動物と変わらない、そんな生き様を人生と呼べるのか。
葛藤した杯鬼にできることは、もう一つしか残っていなかった。
「お願いします……俺を旅に同行させてください!」
「あら……」
言葉にせずともガブリエラには伝わっていた。この男を連れていけば新鮮な果物を食べられる、それも時と場所を選ばずに。
「……くす、悪いけど」
ダメか、杯鬼は歯を噛み締めた。
「しばらくはここに滞在するつもりよ、まだスティング神を知り尽くしたわけではないもの。さぁ、あなたの泊まっている宿に案内してちょうだいな」
「え……!?」
「それと、もう一つ。私のことはリエラと呼んでちょうだい、駒島杯鬼くん」
そう言って、ガブリエラはニコリと微笑んだ。
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