第五章:静寂の《温室》

第35話

図書館から続く階段は暗闇の中に吸い込まれていた。

 光も、音も、そこにはない。生命の気配すらしない、深い深い眠りの底。そんな静寂を破るように、暗闇から一本の光の道が伸びていく。

 「足元に気をつけて」

 「ありがと。……これは、暗いね」

 すっかり明るさに目が慣れていたらしい。光源の少ない暗闇に住むジズでも、図書館の外は一層暗く感じた。すかさず彼は壁にあったヒカリゴケをレウムがしていたようにつついた。まだ、暗さは感じるが、優しく辺りを照らすこの光の方がジズの心を安心させてくれた。

 レウムの方はといえば、ジズの目が慣れるよりも先に階段を昇り始めていた。あわてて追いかけて彼の後ろについていく。降りていく時も感じたが、どこまで続いているのか……、先は全く見えない。

 「ねぇ。もしかしなくても、俺たちが探索してる時に何度か上に戻ってるよね?」

 レウムの迷いのないペース配分を見て聞いてみると、彼はコクリと頷いた。

 「君たちが誰一人として飯の心配をしなかったからな」

 「……申し訳ない」

 「いいよ、おかげで《あの子》に会わずに済む」

 ピタッ……。

 ジズの歩みが止まる。

 「それは、フィリオのこと?」

 「そうだよ」

 事もなげに言う。

 「怨んでる?」

 「なぜ怨む必要がある?」

 これまた事もなげに言うので、ジズはその時に口にしかけていた言葉をあわてて飲み込んだ。

 ーー だって、君はおいていかれたんだよ。

 ジズが一向に歩みを再開しないので、レウムは息をついてから肩越しに彼を見る。

 「私たちは生き残るために逃げ出し、ここに流れ着いた臆病者たちだ。祖国も、友人も、家族も、全て捨ててきた。その報いを受けただけだ。捨てられる覚悟など、とうにできている」

 「……」

 「それでも私たちは生きなければならない。いつの時代にも存在する臆病者たちを受け入れ守り続けるために……」

 それが私たちの《贖罪》なんだ。

 ジズはうつむき手を強く握り締めながら、レウムの話に耳を傾けていた。

 ーー なんだよ、それ……。

 レウムは知らない。この話をしている時、彼がどんな顔をしていたか。

 「フィリオは優秀な魔導師だ。才能、力、知恵、全てを持っている。《族長》様もあの子を喪うことは望まない。合理的に考えたならば当然のことだ」

 ジズは気がついた。感情の薄いはずの彼の声が震えていることに。

 「大事をなす時、そこに痛みなくして得るものはない。現に《コバルティア》は今も生き続けている」

 ーー 詭弁だ。

 それでも、その考えの誤りを正すことがジズにはできなかった。


 それから二人は黙って階段を昇り続け、やがてレウムの住む小屋に到着した。

 「畑に行く。これ持って」

 レウムから渡されたかごを手に二人は小屋を出る。さっきまでの頼りなさは、すっかりなりをひそめていた。

 畑の作物はよく見慣れたものから、全く見たことのないものまで、実に数十種が育てられていた。このような畑があと四つあり、それぞれで育てている作物も異なるのだとレウムは言う。

 「医者、いいものをあげる」

 彼はそう言うと、畑にある植物の種や実のようなものをとってジズの手のひらに置いた。

 「これは《ファテ》の実、こっちは《アピス》の種だ。育てた《ファテ》の葉をすり潰したものを水に溶いて、そこに《アピス》の花をまるごと入れて一晩置く。花が青緑色になったらそれを干して乾燥させてごらん」

 この2種の薬草は知っている。診療所にある本で見かけて何となく覚えていたものだ。しかし、薬草園では育てていないため、詳細な使い方などは初めて聞いた。

 「薬効は軽度の筋弛緩効果、だっけ?」

 「そうだね。でも、それだけじゃない。この花を煙管でふかすと、体内の魔力の循環がとてもよくなるらしい。……きっといつか必要になるから、それまで大切に育てておくといい」

 「ふぅん……。じゃあ、もらっとく」

 ジズは腰のポーチから薬包紙を取り出してそれらを大切に包んだ。なんの役に立つのかは正直疑問だが、薬草園にない植物の種をもらえることはありがたい。

 「じゃあ、それが労働の対価だ。そこの低木になってる果実を全てとってくれ」

 「わかっ……た……」

 ジズの腰ぐらいの高さの低木には手の親指の大きさほどの小さな実がたっぷり実っていた。その量に思わずジズは息をのむ。

 「では、私は向こうの畑に行く。頼んだ」

 レウムは言うなりさっさと行ってしまう。しばらく呆気にとられていたジズだったが、レウムの姿が完全に見えなくなると、盛大なため息をついたのだった。



 

 

 

 

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