第29話 様々なものの行き先、様々な人のゆきさき
大晦日になると、あちらこちらで正月の節会の準備の品を持ち寄って来る。
その中でも種松は、正頼と仲忠の両方に、粥の材料を皆揃えて贈った。
正頼には炭を二十荷、米を三十石。
仲忠には炭は十荷、米を十石。その中の炭二荷と米一石を彼は三条殿の女三宮へと贈った。
また同じ量だけ一条殿に残っている仲頼の妹君にへと贈る。その際仲忠は、草刈と馬人が居れば済むところを、童を二人、大きな法師や雑仕をも他から雇い入れて遣わした。
そして
「―――先日はもっとお話を伺いたいと思いましたが、日が暮れたので残念でした。その折に貴女にに申し上げた様に、これからはもっとどなたとも仲良くなさって下さい。
さて、この炭は水尾からのものとどうぞ見比べてやって下さい」
と手紙をしたためた。
それを法師の使うような素朴でさっぱりとした紙に包んで、その上に「山より」と仲頼の字に似せて書く。
そして側仕えの上童を呼ぶとこう命じた。
「一条殿でね、この間僕に栗を投げつけた方の所へこの文を入れて帰っておいで」
上童は妹君の所へ行くと「水尾からの使いです」と言って手紙を渡した。
そして手紙に引き続き。
「まあ、何ってことでしょう」
急なことに皆が慌てふためく。女房達が騒ぐので妹君も身を乗り出す。
三十を越すか越さないか、くらいの彼女はどちらかというと可愛らしい女性である。生活は質素ながら貧しさは感じさせない。この時もつれづれに琴を爪弾いていたところだった。
するとそこには、精巧な細工をした籠が二十。その全てに炭が入れられていり、それぞれ銭二十貫を入れて、覆いをして結わえてある。
また米俵が粗い絹糸で編んであり、全部で四つ。
そのうち三つには、米を入れずに絹を三十匹ずつ入れ、残り一つには非常に美しい綿が二十屯が入っていた。
「まあ…… 私の身に過ぎた節料だわ。兄上からとはあるけれど、今のあの生活をしてらっしゃる兄上からこんなにいただける訳は無いし……」
「ですがお方さま。正直、いただけるものは嬉しゅうございます」
女房達の言うのも尤もである。
「さて、ではどうしましょうね」
女主人として妹君は彼女達に問いかける。すると乳母が進み出る。
「これは全てあの仲忠どのからのものでしょう。……全く何処の誰とも知れぬ懸想人からというならともかく、あの方は、あなた様の背の君の御子で、それに水の尾の御兄上のご友人。きっと真心からなのでしょう。素直にお受け取りなさいませ。それが宜しゅうございます」
「そうですわ、早くお返事を」
周囲もそう急かす。急に彼女の周りが明るくなった様だった。そうね、と鷹揚に微笑むと妹君は使いの者達を呼び入れて、彼等に食事や酒を振る舞った。
童の大きい方には白い袿、小さい方には単衣を一枚ずつ渡し、懐に入れさせた。
その間に妹君はお返しの手紙を書く。
「有り難く受け取りました。
先日はそちらの仰る通り、申し上げたいことも尽くしませず残念でございました。
山――― 兄の代わりと仰ると、馬のたとえの様な気持ちが致しまして、何とも嬉しゅうございます。
ところで、炭焼きまでなさっていらっしゃいますから、どんなに御手が黒いだろうと思いやられます」
そう書くと彼女は使いにまた託す。
そしてふと視線を巡らすと、頂き物を広げては心から喜んでいる様な家人達の姿に妹君も嬉しくなる。だがあえてこう釘をさしておく。
「もう少し静かになさいな。あの方からの贈り物と周りの方々に気づかれたら、きっと私達呪われますよ」
皆はそれを聞いてこっそりと笑い合う。久々のことだったのだ。こんなに暖かな正月の備えができることなど。
「あと、皆様にもお分け致しましょうね」
妹君は母宮や水尾へ送る分などを分けて取り置く。宮内卿の所へも送る様に指示する。向こうも困っていることを彼女は知っている。
水尾の兄には仲忠からの手紙も添えて、必要だろう、と男の子二人の装束なども整えて贈った。
種松は兼雅にも絹や綿などを大きな櫃に積んで贈った。錦など世にも希なものである。
また、三条殿に移った女三宮の方にも彼女の持つ領地から節料が沢山送られてくる。
ところで、そんな彼女の元に兼雅が訪ねることが増えたかというと――― 大して以前と変わらなかった。
彼はひたすら北の方の尚侍の元にのみ昼も夜も居続け、食事もそこで摂る。女三宮のところには時々昼間行くことはあっても泊まることは無い。
ある日兼雅は北の方に、一条殿に住む中の君の様子を話した。
彼女の貧しく哀れな様子、別れて帰る時に投げ出された文に尚侍は堪えきれず涙を流す。
「親に先立たれて心細い生活をするのはどんなに淋しく辛いことか……」
あなたには判らないでしょう、という皮肉をやや込めて彼女は夫の方を見る。
「まだお若い頃にそんなことになられたのです。お辛かったことでしょう…… なのにあなたときたら、そんな方を放っておくなんて…… お父君からも頼まれたのでは無いですか?」
「あなたをうつほで見つけた時、胸が潰れそうになったんだよ、私は」
兼雅はやや拗ねた様な声で言う。
「その時、他の女のことは頭から吹き飛んでしまったんだ。あなたのことで頭がいっぱいになって、他の女のことなど思い出しもできなかったんだ」
その言葉には尚侍もさすがに心を動かされるものがある。
「だから、仲忠が言うまですっかり忘れていた」
「嫌な方」
「そう言わないでおくれ。私だって彼女達のことは哀れに思っているんだ。ただ仲忠もああ度々親に向かってそう責めなくとも……」
最後の方は口の中でつぶやく様な声になる。
「ああもう。どうやって彼女達を助けてやったらいいのかな。あなたには何か考えがあるのかい?」
急に言われても。尚侍もすぐには考えが浮かばない。
と、その様に二人が話している所に、仲忠からの贈り物が届けられた。
「ほぉ、なかなか趣のあるものだな、持っておいで」
近くに持って来させて開けると、それは仲頼の妹君に与えたのと同じようなものだった。
「たいそう美しい白絹…… そうですわあなた、これをそのまま困っている女君達に分けてくださいな」
それはいい、と兼雅はなかなか考えも浮かばなかったところなので一も二もなくうなづいた。
牛を外した車に破れた下簾をかけさせ、納殿にあった貴重品や衣類、贅殿に保存しておいた魚、鳥、菓物の中からよさげなものを選び、長櫃に入れた炭や油などと一緒にその中へ入れさせる。贈り物なのだ、と。
そこへ文を添えて。
「先日はあなたに会ったことで、目がくらみ、頭もぼうっとしてしまったので、大した話もすることができなかった。どうか許して欲しい。今となっては、
―――亡き父君はあなたを案じて訪ねることもあるでしょうが、今となっては私が訪れても仕方がないことです。
さて、この「こめ」は夏衣でしたね。今すぐという訳にはいかないでしょうが、そのうち役に立つこともあるでしょう。情と同じようにね」
急な、そしてありがたいはからいに皆一様に嬉しがる。贈り物だけではない。金子もあったのだ。
主人である中の君は、先日の自分の文を見たからだな、と思って返しを書き出した。
「先日は思いもかけないお便り… 夢心地でございました。けど、
―――私の待つ人は久しい間見えませんけど、夕方雲が見えない日はありません」
微妙に嫌味が混じってしまうのは気のせいではないだろう、と彼女自身も思う。こんな思い出した様にぽん、と贈ってくるのも――― 悪くは無いが、何よりいつも会えるならもっと嬉しいものである。自分としても、自分の元に集ってくれている者にしても。
ただ兼雅の贈ってきた
元々その金子は彼女に与えるためのものではなかった。
たまたまこの頃は唐人が渡って来る時期で、兼雅自身、何か珍しいものがあったら彼等から買い求めようと用意していたものである。
中の君はこれで使用人達に衣類を用意してやることができた。皆喜んだことは言うまでも無い。
それがまた噂になり、それまで何かと適当なことを言って彼女の元を飛び出した使用人も戻ってきたということである。
彼女の住む辺りは物が豊かになり、賑やかになってきた。それを見た一条院に残る兼雅の他の女達や、使用人達は非常に羨ましがって騒ぎ立てたということである。
*
その様にして大晦日当日がやってきた。
「父上が?」
三条堀河で、兼雅が自分を呼んでいる、と聞いた仲忠はすぐに出向いた。
「何でしょう御用とは」
「うむ、ちょっと頼み事があってな」
兼雅はできるだけさりげなく切り出した。
「何ですか?」
「今度任官した近江守は知っているな」
「ええ無論」
即座に彼は答える。知ってるも何も、今度の司召で近江守になった男は、そもそも仲忠の使人の一人である。
「その男の現在住んでいる家が是非とも欲しいんだ」
「家を?」
仲忠は訝しげに父を見る。
「そう。家だ。その代わりに、と言っては何だが、二条の院の東側にある私の家と交換ということでどうだ?」
「交換ですか」
ほぉ、と仲忠は兼雅をまじまじと見た。なかなか本気だ、と感じる。
「いや別に、交換などなさらずとも」
「しかしそれでいいのかね」
「ええ」
仲忠は大きくうなづく。
「近江守は僕の目にかなった人物です。今回の司召では、正頼どのからは『まだ早いのではないか』と乗り気ではなかったところを、僕が強引に話を進めて役につけた者ですから」
「強引に、ねえ」
息子にそういう一面があることも知らない訳ではない。だが政治的な場面でもそうだったか、と今更の様にこの父親は思う。
「そういういきさつもありますから、近江守はちょっと今回良い目を取りすぎ、ということで話をまとめましょう」
「そうか。それはありがたい」
兼雅は微笑する。
「守の家は、こちらのお傍にありますね。大きくは無いのですが、とても趣のある造りです。元々宮あこ君――― ああ、今は元服して
「その女のことなら私も聞いているが、何でまた、お前の勧めた女の方ではなく、別の女なんだ?」
さて、と仲忠は軽く目を伏せ、首を傾げる。
「彼もまた、いろいろ考えるひとですからね。どうせ紹介してもらうにしても、もっと出世してから、と思ったのではないですか」
「出世してからねえ」
ふむ、と兼雅はふと、正頼宅の息子達のことを考える。
「あの家では、今は蔵人の少将になっている親純がなかなかのものじゃないか? 兄弟の中では群を抜いて出世頭だ。気だてもいいし。彼には妻は居るのか?」
「以前は居た様ですが…… でも今は独り身となりまして、行純と一緒に親元に居る様です。気だて……」
くす、と仲忠は笑う。
「何だ」
「いやね、見方は色々だと思うのですよ」
兼雅は首を傾げる。
「外面はいいのですがね。さすがに同じ屋敷の中に居れば何かと耳に入ることがありまして」
「じらさずに言いなさい」
はいはい、と仲忠は口元をゆるめた。
「まあそんな女関係のことや、いろんな心がけが実は結構…… なので、正頼どのや大宮さまが咎めることもあるのです。が」
「が?」
「そこで彼は言うのですよ。『そういうことでは自分以上の仲忠が居るじゃないか』ってね。何かな、ずーっと独身でいれば、僕の様に内親王がいただけるとでもいうのかな」
最後の方はやや冗談めかす。こら、と兼雅は小さくたしなめる。
「で、正頼どのがまたそれに対して言う訳ですよ。『何を言ってるんだお前は。仲忠どのと女一宮のことは、帝のお言葉で決まったことだ。お前とは違う』と。でも何か思うところがある様で、親純くんの行状はなかなか改まらない訳ですよ」
「成る程。お前もなかなか罪作りな奴だな」
「僕のせいじゃないですよー。まあともかく、正頼どのは『全く、親の心子知らずだ!』と嘆いてます」
子供が多いとややこしい問題も多いものだ、と兼雅は嘆息する。問題。ふとそこで彼は思いだしたことがあった。
「そう言えば、あの兄弟のなかで亡くなった……」
「仲純さんですね」
「そう、お前と特に仲の良かった――― 彼は誰に恋い焦がれていたんだろうな? 女一宮か?」
「さあ」
仲忠は素っ気なく答える。
「僕ももしかしたら、と気にはなっていたので、正頼どのとの話の折に聞いてみたりもしたんですが、どうやら違うようです。まあもっとも、夜も昼も管弦の遊びのために悩んでいる様なひとでしたし。元々そういう短い命の運命だったのかもしれないし」
ふう、と兼雅はため息をつく。
「そういうことがあったから、正頼どのも息子達のことには悩みが尽きないな」
ええ、と仲忠もうなづく。
「息子だけではない様ですね。今、七の君が背の君と喧嘩中なのだそうです」
「何、喧嘩」
「と言うか、七の君の方が一方的に怒っているとか何とか」
「はて」
「背の君の大納言どのはここ最近毎晩の様にやって来るのですが、いつも簀子で夜を明かす羽目になっているそうです」
「そりゃひどい」
「それだけじゃないです。最近では七の君が母屋の格子まで早く下ろしてしまって、周りに錠を掛けてしまっています。可哀想に思った女房が大納言どのに話しかける様なことがあったら、後でその女房は激しく責められるとか。だから本当に、簀子でお一人、ぽつんとお休みになるとのこと」
兼雅は呆れて顔をしかめた。
「浮気かい?」
「それ以外何があります? で、さすがに見かねた兄弟達もどうにかしなくては、と思ったのでしょうね。まずは忠純さんが気の毒に思って大納言どのとせめてお話でも、と行ったら、『夫婦のことに口を出さないで』とばかりに追い出されてしまったそうです」
「ほぉ」
「で、今日はとうとう正頼どのが七の君の所に直接話をつけるべく向かう、と聞いてはいるんですがね」
「大納言は口は軽く冗談ばかり言って軽薄に見えるのだけど、ああ見えてなかなか真面目なのだけどね」
大変だ大変だ、と兼雅は軽く首を振る。
「そう考えてみると、歳を取るというのはなかなか便利なものだね。私も若い頃だったら、女を捨てるなど、考えも付かなかっただろうな」
「おや、若返りなさったらいいのに」
薄い笑顔で仲忠は父を暗に責める。兼雅はそれは聞かないふりで。
「ちなみに行純は誰が欲しいと思っているのかい?」
「忠純さんが三宮にあげようと思って準備している姫の様です」
「忠純は行純に、とは考えているのかね?」
「全く」
大きく仲忠は首を横に振る。そしてため息混じりに。
「だから面倒なんですよねえ」
「忠純にしてもせっかくの娘を行純にあげても何の利も無いからなあ。可哀想だけど行純は全く望みは無いね」
「ちなみに」
にっ、と仲忠は笑った。
「忠純さんは三宮を表向き、仁寿殿女御にも僕にも頼む、と言ってるんですよね」
「何を企んでいるのやら」
さあ、と仲忠は晴れやかに笑った。
「ではそろそろお暇いたします。家の件は何とかしますから、また何かありましたら僕に言いつけてください。できるだけのことはしますので」
頼むよ、と言いながら、兼雅はついこの頼りがいのありすぎる息子と正頼の息子達を比べてしまうのだった。
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