第10話 だらけきった翌日の男達、世をすねる弾正宮、そして梨壺の妹からの贈り物

 と、この様に男達の世話をしなくてはならない女達がこの日は沢山居たが、その必要の無いひとも居た。

 他ならぬ女御そのひとである。

 彼女はあちこちからのお祝いの品を夜通し吟味していた。そしてそれをまた何処へと分けようか、思案にくれていた。

 左大臣からは沈木でできた衝重ついがさねが十二。そして銀の杯。これは尚侍に差し上げよう、と女御は思い、取り置く。

 大納言忠俊からは浅香の衝重と御腕は、二つあれば一つ、四つあれば二つを正頼夫婦へ。

 涼からの銀の衝重や、蘇芳の長櫃に入れられた色々のものは藤壺のあて宮に。

 元々それらの捌き方はおおよそ仲忠によって指示されていたものだった。


「酔っていらっしゃった割には良い判断ですこと」


 仲忠はそんな女御の讃辞はほとんど耳に入っていない。夢うつつのまま、妻と一緒にごろごろとしている。

 さて。

 女御は思う。

 藤壺に回すものには文を添えなくてはならないが、この分では書けないだろう。仕方が無い、私が書こうと。


「昨日も申し上げようと思いましたが、前後不覚に酔っていましたので、後ではと思って今日になりました。

 大変面倒な贈り物をお一方でどういう風になさったのかと感心してしまいました。

 あなたにあやかって、また目出度いお産を早くする様にと祈っております。

 美しくない子供でも大勢あるのは悪くないものだと、今夜はしみじみ思いました」



 さて受け取った藤壺のあて宮は「これこそ誉められていい贈り物だ」と返しの文を書く。


「昨日は思う様に参りませんでしたから、肩身が狭い思いをなさらなかったかと心配しておりました。

 それに、よその聞こえもありますもの。

 宮中にも珍しく稀な行事が沢山ありましたのに、それにも出ないで聞いているだけでは、全く生きている甲斐も無く、嘆かわしく思います。

 そんな気持ちで鬱々としている中、頂いた贈り物は、思いも掛けない満月の様な心地です。

 私からの贈り物を向こうの方は悪くないな、と御覧になったのでしょうか。それとも何故ですか?」


 この様に白い薄様一重に、非常に素晴らしい書きぶりだった。



 女御がそれを見ている時だった。


「あ」

「母上、これは藤壺の方からですか?」


 弾正宮が横から文を取り上げた。


「この方と母上の筆跡が世の中では褒め称えられている様ですけど、私はこちらの方が素晴らしいと思いますね」

「まあ」

「あ、怒りましたか? 母上」


 ちら、と弾正宮は女御を見て笑う。そのまま彼は腰を下ろす。


「こんな折りでなかったら、まず私など見ることが出来ないでしょうね」

「馬鹿なことを言っていないで、お返しなさい」

「この文が母上宛ではなく、誰か男の元へ書かれたものでしたら、私はそれを見て妬くも辛くもなったでしょうね。ああ全く、そうでなくって良かった良かった」


 女御はそれを聞いてほほほ、と笑う。


「何を言っているんですか。それにあのひとは、男のひとに対して書くのはいけないことだと思っていますよ」


 だから息子にだけではない、と言いたかったのだが。


「ねえ母上。私は時々、東宮でなかったのが辛くなりますよ」

「な、何をいきなり」

「母上は、私を不幸なものに生んで、物思いばかりをさせるのですね」


 何を言うのかこの子は、と彼女は思い、更に笑う。


「変なところにかこつけるのね。あんまり深く考えない方がいいわ。そうそう、あなた、いつまでも独り身だからじゃないの? あなたを婿に欲しいと思う方は多いのよ。いい加減何処かのお誘いに返事なさいな」


 いいえ、と弾正宮は首を横に振る。


「私は独り身を遠そうと思います」

「……また何を」

「本気です。心が慰められる程のひとは得られないと思いますから。そう、もしかしたら法師にでもなるかも」


 そう言い捨てると弾正宮は立ち上がる。


「これは貰っていいですね」


 そしてそう言いながら、あて宮からの文を手に立ち去る。

 全く。女御はため息をつく。何処まで本気なのやら。


「ああもう。あて宮の文も、女一宮へのものは仲忠どのに取られてしまうし、今日のはあの子に取られてしまうし。全く困ったことだわ」


 思わずそんなことが声に出てしまった。それもとても愛嬌のある、よく響く声で。



「ほら、どう? 女御は一宮と良く似ていた?」


 近くの局に籠もっていた兼雅は、その声を耳にすると北の方――― 尚侍に問いかける。


「うーん、何っていい機会なのだろう。あの方のお声を直にこう聞けるとはね。ねえ、どうなのかな」


 また何を馬鹿なことを、と思いながらも尚侍は答える。


「女御さまのことは知らないけど、いい方だと思いますよ」

「うーん。女一宮もそうなんだろうな。仲忠が、ずいぶんと素敵なひとだと誉めていた。あいつがそういうのは滅多にないことだからなあ」

「女御も素敵な方ですよ。だからこそ帝が大層ご寵愛で、この頃も、『早くお帰りなさい』と御文がある様です」

「ふーん…… さてさて、人々はそなたのことはどう見るんだろうな」

「私ですか? 別に大したものでは無いでしょう」

「いやいやいや、何と言っても私は、様々な素晴らしい女性を大勢抱えていたのに、あなたを手にしてからというもの、……もう他の誰も要らないと思ったんだから」

「はいはい」

「だからね、こういう妻を持ってしまった、とよく私も公表してしまったと思うよ。男としては何と言うか、その、だからね」

「何ですか」

「その。だからね、仲忠の面目のために、今でもやはりうつむいて、いつもの通り立派な着物で人にはお会いなさいね」

「仲忠は本当に、親の私から見ても素晴らしい子ですもの」


 何を言っているのだか、と思いながら尚侍は答える。


「ああそうだ。本当にあれは素晴らしい子だ。あれがいつまで経っても中納言のまま昇進もできないのは、私が右大将のままだからなんだろうなあ」


 そう言いながら、懐から十宮を使いにして女御からもらった杯を取り出す。


「何ですかそれは」

「さて、何だろうね」

「素晴らしい御筆跡ですこと」


 尚侍は笑う。

 兼雅はそれには何も答えず、枕元にそれを置くと、寝よう寝よう、と妻を引き寄せた。



 夕方になると、女御は乳母を呼び、命じた。


「もう日も暮れてきましたし、仲忠どのをお起こしして、御膳部をお上げなさい」


 はい、と乳母は仲忠の元へと行く。


「御膳部が整いました」


 すると仲忠は寝所の中から面倒くさそうな声で答える。


「何のつもりで食事なんか勧めるの。ちょうどいい時ってのがあるでしょ……」


 そう言って聞かない。乳母は呆れてそのままを女御に伝える。


「まあ。全く酔ったひとというのは。人がそうしたら叱るくせに」


 そう言ってくすくす、と笑う。

 結局そのままその日は暮れてしまった。 



 やがて明け方頃仲忠は目覚めた。


「あれ? 今は昨日? 今日?」


 などと寝ぼけ眼で言う彼に、周囲の人々は皆思わず笑いを堪えきれなかった。


「笑ってる場合じゃないって。九夜のことがあるじゃない」


 無論周囲はそれなりに準備をしていたので、ただもう苦笑するしかない。

 ともかくこの日の夜が九夜であることに気付いた仲忠は、周囲に命ずる。


「前々からお産のことに携わった人達への祝いが延び延びになっていたから、今日は儀式ばらずに、ただお肴だけ用意して、親戚の誰彼の御馳走や禄等も支度しておいて」


 皆了解すると共に「あの普段無口なひとが」と驚く。

 仲忠は贈り物の用意などには自身で動くのだが、この様な祝いの席に関しては、それぞれの担当に任せ、特に口を出すことが無い。それを特に。

 よほどお産に携わった人々に感謝しているんだな、と家人達はしみじみと思うのだった。



 やがて夜が近づくと、母尚侍が髪を美しく梳り、掻練かいねりの小袿姿という、やや気楽な正装になって祝いにやって来た。

 仁寿殿女御もやって来る。その頃には一宮も起きていた。

 中の大殿の東西の廂に人々の御座を設けてしとねを置いた。簀子にも同様に座を設けた。

 やがて仲忠は正頼夫妻に「おいでになりませんか」と使いを出した。そこで彼らもやって来る。

 宮達がやがてやって来る。

 正頼の子息達も、忠純をはじめとして皆やって来る。


「お父上は招かないのかね。今ではもう他人とは言えない間柄なのだから」


 そう正頼は口にし、息子を使いにして兼雅を招待する。やがてやってきた彼を、正頼は奥の方へと案内する。



 やがて仲忠が用意させた御馳走が全て用意された。

 産婦である一宮の前には、白瑠璃の衝重が六つ、下には銀の坏、上には瑠璃の坏などが置かれている。見事な細工のそれからは、中のものが透けて見える。

 それぞれの母、女御と尚侍には沈で拵えた折敷を六つづつ出す。

 男宮達には浅香の折敷が六つづつ。

 仲忠はそれらのことを簀子に控えて家人達に指図する。その前には蘇芳の机が二つ置かれている。

 上達部には二つ、そうでない人々には一つづつ。ちなみにこの日は正頼一家に関係無い人は呼ばれていない。

 そんな正頼は仲忠に笑いながら問いかける。


「仲忠、私は一体誰の側に座ればいいのか、言ってくれないか」


 それを聞いた仲忠は、兼雅に向かってこう言う。


「父上、正頼どのをお招き下さいな」

「私がか?」

「そりゃそうでしょう」


 苦笑し、兼雅は正頼を呼び入れる。その時彼は忠純を一緒に連れて来た。宜しいか、と軽く問いかけ、それにやはり、無論だとお互いに答える。

 その内に、内裏の后の宮から九日の産養の祝いが届けられる。

 産養には白いもの、の例のごとく、銀の衝重が十二。

 そしてまた銀の坏。

 その上に唐綾の覆いが六。

 破子くらいの大きさの食器が積んだ折櫃に沢山入っている。



 また東宮に仕えている仲忠の妹、梨壺の君からも祝いが届いた。

 物が一斗ばかり入る金の甕が二つ。

 黄ばんだ色紙で覆われたその一つには蜂蜜、もう一つには甘葛が入っていた。

 また、紅葉の造り枝につけた銀細工の鯉が二つ。これがまた生きているかの様に精巧である。

 そして瑠璃色の大きな餌袋三つ。

 この中の一つには銀の銭を。

 一つは黒方を乾し魚などの食べ物の様に見せかけたもの。

 そしてもう一つは沈を小鳥の様に見せかけたもの。上に鳥の羽根を集めて、青い薄様を一襲づつ覆って結われていた。

 そこに唐製の紫色の薄様一襲に包まれた文が、紫苑の造り枝に付けられていた。

 仲忠はおや、と思って手に取る。


「ご無沙汰がちで心許なく、心配しておりました。

 ずいぶんお見えにならないので不思議だと思っておりましたが、やっと昨日、それはご無理も無いことだと判りました。

 ちなみにこの鳥は、

 ―――きょうだいのあなたの慶びを祝うために草原まで探して取ってきた鳥ですよ―――

 もっと早くおっしゃってくれていれば、大鳥を探してきましたのに!」


 正頼はそれを見て仲忠に問いかける。


「何処からかね? ずいぶんと色っぽい文に見えるが」

「何言ってるんですか。梨壺の僕の! 妹からです」

「お、そうなのか」


 兼雅もそれを聞きつける。


「だったら私にも見せてくれないか」


 どうぞ、と仲忠は渡す。受け取った兼雅はしげしげとそれを見てつぶやく。


「ふぅん、ずいぶんと大人らしい文を書く様になったものだなあ……」


 あなたの娘でしょう、と仲忠は嫌味の一つも言いたかったが。 


 やがて、東宮に仕える左大臣の姫、麗景殿の君からのお祝いもやって来る。

 物が二斗ばかり入る銀の桶が二つ。それぞれ、やはり銀の杓子を添えて、白い米の粥がと赤い小豆の粥が入っていた。

 また銀の盥八つには、粥のおかずとして、魚料理が四種類、精進料理が四種類。

 大きな沈の折櫃に、黄金の大小の食器と小さな銀の箸を添えて入れてあった。

 ここでも仲忠に宛てて文があった。


「とりあえずはこの麗景殿の君からの粥を皆で食べましょう」


 と仲忠は添えて寄越した器に盛って、皆に分け与えた。

 彼はその間に梨壺の君への返事を書く。


「御文をありがとう。ずいぶんそちらへは行けなかったので、気にはなっていたのだけど。

 けど『昨日』というのは、誰が言ったのかな。流行りの大鳥の歌のことをあれこれ言う様な人達だった? 

 君の心はとても嬉しかったのだけど、僕の女一宮のことを気に掛けてくれなかったのは少し悲しいな。

 ―――野辺に棲んでいる多くの鳥よりも、水の中で番として育った亀の御祝いは珍しく嬉しかったけどね」


 それを装束の被物をした者に、別の禄を与えて帰した。

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