第11話 まだまだ続く祝いごとのうち、赤子は犬宮と呼ばれてた

 ところでこの夜は、皆唐綾の指貫、直衣、赤い綾の袿を一襲、宮達以下参加者皆同じ服装をしていた。

 南の方に寄って、北向きに宮達、西面母屋に向いて大臣達が座っている。

 女性の方は、と言えば。

 女一宮の側には、身分の高い女房達が付き添っている。

 御簾の外には、師純や祐純をはじめとした、正頼の子息達。

 最近では中の大殿では男は使わないので、童や大人の女房を呼び出すと、その人々は出て来ない。

 「おかしいな」と仲忠が言うと、台盤所から女房や童がやってきた。

 赤色の唐衣に綾の摺裳、綾掻練の袿を着た美しい、五位あたりの娘である大人四人。

 童四人もまた、赤色の五重襲の表着など、この日に相応しいものを着ている。髪も背より少し短い程度で、とても可愛らしい。



 やがて汁物や酒が何度も人々の間を行き来する。

 仲忠は「紙を」と家人に命じる。

 黄ばんだものと白いもの、色紙がそれぞれ一巻づつ、硯箱の蓋に入れて差し出される。

 彼は梨壺の君からの餌袋を持って来させて開けて見せる。

 正頼はほぉ、と大きくため息をつく。


「実に珍しく、趣向をこらしたものだな」


 父である兼雅もうんうん、と何度もうなづく。


「きっと母宮が整えられたものだろうな。ああ、どうしているだろうな。あの方は非常に美しい心の方だったなあ」


 そう心中つぶやく。

 仲忠はその様子を見つつ、黄ばんだ紙の方に黄金の銭を一つづつ入れたものを十包、白い紙の方に銀の銭を同様に包み、正頼達に差し出す。



 やがて碁や双六が運ばれて来る。

 正頼は「ここには魚や鳥がちっともない」と言いながら、御簾の中へと差し入れる。

 かくして御簾の外も内も皆で賭碁を始める。杯が幾度もあちこちで回され、明かりを灯さなくてはならない時間になる。

 中には関東で流行している碁を打つ童や大人も居る。皆賭碁に熱中していた。

 そのうちに夜も更ける。

 仲忠は立派な袋に入れてあった琴を三つ、笛も三つ取り出す。その笛の調子に合わせ、それぞれの琴一つ一つで違った手を奏でる。その素晴らしいのは言うまでも無い。

 この様に楽器の調子を確かめてから、自分の琴を仲忠は御簾の中の女性達へと差し入れる。


「琵琶は一宮に、箏は女御さまにお願いします」


 女房達はそれを取って主人達に渡す。女御は突然のことに焦った。


「ああ、困ったこと。私なぞに何をさせようと思うのでしょう」


 すると尚侍はほんのりと笑って、


「そう仰る程のことでは」


 そう言って箏の琴を取り、とりあえずとばかりに一曲奏でる。

 それなら、と女御もその後に箏を手に取った。

 そのうちに一宮を起こし、琵琶を掻き合わせる。

 ほぉ、と周囲から声が上がる。仲忠は彼女が琵琶は上手なのを知っていたので、そっとと微笑む。

 そして自分は横笛を手に取る。

 笙の笛は弾正宮、篳篥は忠純にぜひ、と差し出す。

 仲忠は笛を非常に音高く吹き立てる。だが琴と合わせては吹かない。

 宴の外、あちこちに居る子息達はそれを聞いて思う。


「ここでは聴いたことの無い様な見事な笛の音だな。仲忠が吹いているのだろう」

「これはもう、ちゃんと聴かなくてはな」

「きっと仲忠の母君がそういうことをおさせになるのだろう」


 などと言い立てる。

 その中でも、行正は笛の音に感動して、じっとしていられず、ふらふらと出てきてしまった。


「おや、行正さん」

「やあ涼。さあ、いらっしゃい、こちらへ。ここでは大層素晴らしい音楽がありますよ」


 そう言いながら彼らは東の対屋の西の隅の格子の間に入って、仲忠の笛の音に合わせてしばし琴や笛を手に楽しむ。

 やがてふと手を止めた涼が口にする。


「全くもって凄い笛の音だね」

「本当に」

「箏の方は仲忠の母君のものだろうな。今までに聴いたことの無い様な素晴らしい箏の音だ。この人達はどうして人には出せない様な音を出すんだろうね」

「何も不思議なことは無いですよ」


 行正は苦笑する。


「物の上手という方には、上手くやれないという心配は無いものです。でもまあ、あのひと達だけ、というのはやはり」

「やはり?」


 涼は興味深げに行正の顔をのぞき込む。


「やはり、あの人達は、一族――― 俊蔭一族の外には秘技を他に伝えないからでしょうな」

「何でまた」

「おや、君がそう言うんですか?」

「駄目ですか?」


 いいえ、と行正は首を横に振る。


「その位しないことには、帝がお聴きになるにしても、聴き映えがしないというものでしょう」

 そう言ってお互い笑い合い、遊ぶ手もこの位で、と止める。



 一方兼雅は気持ち良く酔っぱらっていた。


「今夜は女一宮はお出ましにならないの? 淋しいものだね」


 それを聴いた御簾の中では、一宮の女房の宰相の君を間に立ててこう言わせた。


「只今お休みになっておられますので…」

「そうなの。まあでも、唐土よりは近いはずですから通訳も要らないでしょう」


 そう言って兼雅は御簾の中へと入り込んで来ようとする。ああ困ったと御簾の中では思い、何とか入ってくるのは防ごう、と女房達は心を決める。

 そういううちにも、兼雅は酒の上とばかりに戯れ言を言い放つ。


「おや、入れないおつもりか。あの分からず屋が管弦をするからと、酒を呑む量まで制限して私にくれないんだよ。どうか御簾の中のお酒をいただけないものですかね」


 仕方ないわね、と女房の一人、宮の君が前に出る。なかなか彼女は女房の中で剛胆な女性だった。


「はいはい差し上げることにしましよう」

「ふふん、釈迦への供養のつもりですかね」


 そういう彼は現在三十八歳。仲忠と良く似た姿は非常に美しい。

 一方仲忠は、大きな杯を取って正頼の方へ近づく。この時正頼は五十四歳。しかし歳よりずいぶん若く見える。


「―――宮浜の洲崎に降りた鶴の子に波がうち寄せてもしっかりしている。その岸の様子を人々にも見せたいものです」


 そう言いながら杯を渡そうとする。

 正頼はそれを受け取り、返す。


「洲崎に降りた鶴の子と一緒に老い永らえたならば、きっと長閑な岸を見ることになるでしょうな」


 そう言って正頼は杯を兼雅に回そうとする。


「父上!」


 仲忠は宮の君と戯れている兼雅を叱咤する。正頼は大声で笑う。


 ようやくやって来た兼雅は、杯を受け取って詠む。


「―――潟になっている洲崎に立つだけでも千年は生きるだろう。まだ生まれたばかりで卵の殻がついている田鶴は幾千年生きるか判らないですね」


 そのまま弾正宮へと杯は回される。受け取った彼は、兼雅に仲忠を呼んで来る様に頼む。

 その様子を見た弟の四宮は、


「兄上はいいなあ、そんなことが出来るんだ」


とうらやましがる。


「口惜しかったらそなたもしてみればいい」


 言われた側はうー、とうめく。その様子を見て兼雅は大声で笑う。


「望むところですよ。三宮と四宮のお二人にそうやって息子を取り合いされるとは」


 弾正宮はふっ、と笑うと、祝いの歌を詠んだ。

 そのまま杯は四宮へ、そしてその下の宮や子息達へと回されて行く。その度毎に仲忠への祝いの歌が詠まれ、幼い子の幸福が祈られた。

 その中でも忠純は、梨壺から送られた銀の鯉を手にし、


「ああしまった、ついこの鯉が生きてるかと思って、料理人に調理させるところだった」


 などと言って周囲を湧かせた。



 そのうちに仁寿殿女御が、被物にするために涼が一宮に奉ったもののうち、まだそのままになっているものを出してきた。

 それを御簾の内に居る人々に一具づつ持たせる。中はその音でざわめく。

 すると仲忠は、おもむろに御簾の中へ手を入れ、被物を取り、正頼をはじめ、次々と被け始めた。

 師純や祐純あたりまでは女装束を、それより下は白張一襲、と袴一具。宮あこ君も今では元服して六位になっていたので、白張を一襲被けられた。



 翌日の昼頃、御乳つけの君が帰るということで、その贈り物の準備が美しく為された。

 尚侍も帰るということで、女御や一宮などに挨拶に向かった。


「しばらくの間ご一緒させていただいたので、非常に名残惜しく思います。しばらくこちらに居られたら、とも思うのですが、そうそう家を長くも空けられませんので」


 すると大宮が軽く微笑んだ。


「この親子を見ずには居られないでしょうよ。ぜひ近いうちにいらして下さいね」


 ええ、と尚侍は答える。実際彼女も、生まれた子からずっと目が離せなかったのだ。


「本当にころころと可愛らしい」

「ええ、やはりあなたもそうお思いでしょう?」


 女御は思わず手を叩く。そして娘の方をちら、と見る。


「それでこのひと達、最近あの可愛らしい子のこと何と二人で呼んでいるのかご存知?」

「いえ、それは」


 さすがに夫婦の間の会話のことは、母であっても判りはしない。


「可愛い可愛い子犬ちゃん――― 犬宮、ですって」

「子犬ちゃん」


 そう言えばそうかもしれない、と尚侍は思う。あの首の座りよう、ぷくぷくとしつつもしっかりした足、そしてとても可愛い顔。将来が楽しみな手触りの髪。

 思わずぷっ、と彼女は吹き出す。


「……失礼しました」

「いえいえ、私もそれを一宮から聞いた時には笑ってしまいましたのよ。ほら、私の妹達もなかなか不思議な呼ばれようじゃありませんか」


 そう言えば、と尚侍は女御の妹達の幼名を思い出す。


「あて宮や袖宮やちご宮はともかく、今宮やけす宮っていうのは、ちょっとなかなかどういう意味か判らなくて、不思議な感じがしません?」


 考えてみる。確かにそうかもしれない。


「ねえ、お母様。私は最初の娘だったから順当な名でしたけど」

「昔のことについて、あれこれ言うものではありません」

「でもけす宮ったら、昔からそれでぶーぶー言っているんじゃなくて? どうして自分ばかりああいう名なのか、って」

「今宮と気性が似てましたからねえ…… できるだけそういうところは消してしまえればとか色々考えたんですけど」

「でもまあ、名前なんてものは実はあまり良く無いほうがいいものかもしれませんわ」


 女御はふふ、と首を傾ける。


「ほら、結局今宮はあの涼さまを婿に迎えた訳だし、けす宮だって」

「そうでしょうかね、けす宮は未だに身分を気にしてぶーぶー言ってますよ」

「お母様、あの子は本気で嫌ならてこでも動きませんよ。婚儀の晩に逃げ出すくらい軽くやりますって」


 さすがにその女御の言葉には尚侍も驚いた。


「そ、そういうことがあるのですか?」

「そのくらいやりかねない子だ、ということですよ。冗談です」


 ふふ、と女御は笑う。


「あれでいて、結構変人と言われる方には興味があったようですよ」

「それもまた、ちょっとね……」


 大宮はそれを聞いて、軽く額を押さえる。


「まあ何とかなるのでは? 私も何だかんだ言って、上手くいってますし」

「あなたは本当に大君だこと」


 ほうっ、と大宮はため息をついた。


「本当、ここでお話するのはとても楽しいですから、またできるだけ早く参りたいですわ」


 尚侍は漏れそうになる笑いを堪えながら、そう彼女達に告げる。


「私も。できればあなたが来る時に宿下がりできれば良いのですけど」


 女御と尚侍は苦笑する。お互いそれぞれの夫を持つ身は大変だ、と目と目で伝え合う。


「あちらの方に、贈り物を用意させましたから、ぜひ持ち帰って下さいな」

「ええ、ありがとうございます」


 尚侍は深々と頭を下げた。

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