第35話 恋は人を狂わせる
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時刻は少し遡って午前4時19分――語呂合わせで言えば四と九が混じる縁起が悪いといわざるを得ない時間帯。
その縁起を担ぐかのように、家の中では太陽にとって最悪なイベントへの布石が放たれようとしていた。
「よしっ、朝食の準備は完了。おかずの仕込みも終わったし次は何をしようかな?」
身に着けているおろしたての白いエプロンで、料理の仕込みで濡れてしまった手を拭くと、真奈は小首をかしげ思案顔になって大好きな人のことを想う。
「太陽くんは何が好きかしら? よく考えてみると私って突然雷に打たれたみたいに彼のことを好きになっちゃったから、彼の好みって知らないのよね。ごはんとお味噌汁でよかったのかしら? 太陽くんが朝はパン派だったらどうしよう……。私、嫌われちゃうかな? ううん、そんなことない。例え彼はパン派だったとしても、世界で一番愛している恋人の私が『世界中の誰よりもあなたのことが好きです』って想いを込めて、真面目に、おいしく作った朝食だもの。「美味しいよ」って食べてくれるはずだもの。それ以外の展開なんてありえないもの……。そう……、ありえない。例えどんなささいなことでも、どんな小さなことでも、彼が私にマイナスイメージを抱くようなようなことはありえないもの。そして彼も同じだもの。彼も私にマイナスイメージを抱かせるようなことはありえないもの。彼が私に秘密を持つなんてありえないもの。彼が私に嘘をつくのもありえないもの。そう、ありえない。ありえない。ありえない。ありえない、ありえない、ありえない、ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイ……」
好きな人と朝を迎えられる喜びをかみしめようとしたとき、不意に深夜の地下室での一件――自分に対して嘘をついたという太陽の行動が真奈の中で風船のように膨れ上がり始めた。
なぜこんな幸せな時間にそんな想いが膨れ上がったのかかはわからない。
朝食の準備をしている間はピンクや赤、茜色のプラスイメージしかなかったのに、作業が終了した瞬間に黒いマイナスイメージが噴出してきた。
行動に思考を割く必要がなくなったからだろうか。
気づけば真奈の顔色は真っ青だ。
ほんのついさっきまでは幸せな二人の未来を想像して赤くなっていたというのに、今はまるで死に化粧を施したかのように血の気が引いている。
身体は小刻みに震え、腕は二の腕に回されている。
足は内股、膝から下は開いており、少し距離を離してみると人という字を体現しているかのように見える。
そして顔。先ほど言ったように顔面は蒼白。
目を閉じたら棺桶に入れられてしまっても不思議じゃないくらいに青白く、目は瞳孔が開きかけているのか酷く虚ろだ。
口は機械的に同じ言葉、「ありえない」をずっと繰り返し続け、さながらデキのいい壊れたロボットのようだ。
「アリエナイ……そう、ありえないの……。太陽くんが私に隠し事なんてするはずないわ。さっきのは彼が私の『不安になった顔も見てみたい』とか心のどこかで思っちゃったせいで発生したリアクション……。『好きな子の色々な顔が見てみたい』『好きな子にちょっとした意地悪をして困らせたい』っていう恋人同士ならどこかで思っちゃう当たり前のこと。きっと反省して地下室から出てきた彼は本当の事を話してくれるわ。そう、きっと……。そうに決まってるわ。そうじゃなきゃ……」
――許せない……
朝食の準備も終わりもう必要のなくなった包丁を握る。
必要以上に力が入っているのか柄を持つ手がブルブルと震えている。
「……だめね。そんなことあるわけないのに」
溢れ出す負の感情を振り払うように1回、首を振る真奈。
「何もしないから、彼と一緒にいないからこんなことを考えちゃうんだわ。朝食まで何か別の事をしましょ」
彼が喜ぶようなことがいい。
「とりあえずお庭の草むしりでもしましょう。雑草一つないキレイなお庭ってすっごくいいし。それにキレイな状態は結構続くから、お庭を見るたびに私の顔を思い出してくれるかも♪」
真奈は思い立つと玄関へと向かい、自分の靴をはいて家の鍵を空け、オートロックされないように、ドアにつけられた足を出す。
「太陽くん、喜んでくれるといいな」
包丁を握りしめたまま。
地平線から溢れている金色の光が、彼女の手に握りしめられている包丁に反射し、まるで意思を持っているかのように、まるで彼女の心の揺れを表すかのように、ゆらゆらと輝いていた。
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