第33話 地下室からの脱出


――カリ…… 

   ――カリ…… 


 午前4時7分、石造りの地下室に、力なく何かを引っかく音が聞こえる。


「……ようやく回復したな」


 動かなかった指が、普通にグーパーできている。

 あとは手足が縛られたこの状態を、何とかすればいいわけなんだが。


 それをやるにはちょっと……、いや、かなり勇気がいる。

 一歩間違えれば相当酷い目に合う可能性はあるが、これ以上あの状態の彼女に付き合うほうが危険なので、やらざるを得ない。


「よっ」


 俺は寝たまま両足を振り上げ、その反動で立ち上がると、部屋の隅にある食器棚へと向かった。

 マダガスカルに住む横飛びザル、ベローシファカの如くピョンピョンと飛び、《バーベキュー用》とラベルの貼られたマッチ箱を口にくわえて、今度は雀卓へと移動する。


 雀卓の上にくわえたマッチ箱を落とし、顎で淵ギリギリまで寄せた後、その場でジャンプし半回転。後ろに回った手でマッチ箱を手に取り、中から一本だけマッチを取る。

 不自然な体制だからか、開けた際に何本かこぼれてしまったがこれは仕方がない。後で片付けよう。


「さて……」


 俺の頬を嫌な汗が一筋流れる。

 やらなきゃいけないのはわかっているのだが、いざやるとなるとどうしても気後れをしてしまうのが大多数の人間の心理的常識であり、俺も悲しいことにその大多数に属する一般人なので、どうしても腰が引けてしまう。


 だが、やるしかない。

 そうしなければ明らかに俺の命がヤバイ。

 今の八舞さんはなんと言うか、ヤンデレ気味というか、明らかに俺に対する愛情がレッドゾーンを越えてしまっている。


 今の彼女は明らかにいつもとは違う。

 こんな状況が続いてしまったら、考えたくはないが刺されるのは時間の問題だろう。

 そんなのは絶対ゴメンだ。


 俺はそんな目に会いたくないし、彼女にもそんなことはさせたくない。

 だから一刻も早くここを脱出し、しばらく隠れているのがベストだろう。とりあえず今日の朝まで。


 朝になればきっと、キズナが何とかしてくれる。

 わざわざ俺を助けに来てくれたアイツなら、きっとこの状況をなんとかできる。

 だからそれまで、何とか時間を稼がないと。


 俺はその場で一つ深呼吸をした


 ――行くぞ!


 手に持ったマッチを、雀卓の淵にスライドさせる。

 ヂャッ!――という摩擦熱で、俺の手の中に光が生まれた。


「よし、上手く行った。このまま…………って(熱っ! これメッチャ熱っ! 手が……手があああぁぁぁぁああああっっっ!)」


 手首の辺りをぐるりと回す感じで結ばれているのでシャレにならないくらいに手が熱い。

 真っ赤になるまで熱された手錠を手にかけられているような感じと言えば、今俺が味わっている苦しみの何割かは理解してもらえるかと思う。


「(ふんんんんんんぬうううぅぅぅぅううう……)」


 そのまま数秒、燃えてもろくなった紐を強引に引きちぎることに成功した。

 正直死ぬほど熱かった。もう二度とやりたくない。

 たった数秒のガマンだったが、手首が赤くなり火傷一歩手前である。

 俺は即座に床に倒れこみ、石の冷たさで手首を冷却する。

 

 ……ああ、マジで気持ちいい。めっちゃ効くわこれ。


 もうしばらくこうしていたいところだが、このあとの都合を考えるとそういうわけにもいかないだろう。

 あの状態の彼女から逃げ出すチャンスは今しかない。


 日が昇る前ならば、彼女がずっと起きていたと仮定しても、姿を見られることなく安全に逃げ出せる可能性は高い。

 そのあとは塚本のところにでもかくまってもらおう。

 タイムリミットまでの時間を確認するため、壁にかかった時計を見る。


「現在時刻は4時30分か……。春の日の入りは大体朝の5時くらいだから、あともう1時間もないな……」


 急がないとちょっと厳しいか?

 時間確認後、俺は少々焦りを覚えつつも、残った足の縄を解き、部屋の奥に設置されている換気用のダクトまで移動する。


 ダクトの入り口はネジで留められているが、幸いなことにここはパーティー目的の多目的室、雀卓の修理用に工具セットも用意されている。


 俺は過去の記憶を頼りに部屋の中から工具箱を発見すると、中に入っていたドライバーを手に取り、雀卓をダクト前まで移動させ、てそれを足場に使ってネジを外す。


 ここで時計を確認すると、時刻は午前4時38分。

 残り時間は……あと42分。


「『しにん』っていうごろあわせができるな……。縁起でもねえ」


 ヤンデレと化した彼女と一つ屋根の下でそんなことを思ってしまうなんて冗談では済まない。

 考えを無理矢理振り払うように首をブルブルッと震わせ、ダクトの入り口部分を取り外した。


 ――ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……   


「(うわああぁぁぁぁああああっ!)」


 突然震えだした何かに驚き、思わず大声を出してしまいそうになるが何とか収める。

 震えの正体は俺のスマホだった。

 そういやポケットに入れっぱなしだったな!


 地下室の扉は金属製で厚く、防音効果も高いが、完全に音が漏れないという保証はどこにもない。

 仮に彼女が時間まで扉の向こうで待機していたとしたら見つかったら最後だ。


『太陽……くん? 何してるの? 私を置いてどこに行くの? そんなに私から逃げたいの? ううん、私の大好きな太陽くんに限ってそれはありえないわ。きっとダクトを使って『大ハードごっこ』をするつもりなんでしょ? あ、だったら主人公を追いかける敵役も必要ね。ねぇ……そうでしょう? 太陽くんんんんんんんんんんんNNNNNNNNN!』


 なんてことを言われてしまい、「それが、俺の短い17年の生涯で聞いた最後の声だった」――などといった感じのゲームオーバー的な展開になりかねないのだ、冗談抜きで。


「……誰だよこんなときに!」


 スマホを開き宛名を確認する。差出人は不明。

 送信時間は今から10分以上前だ。


 遅延の原因はおそらく、俺がここにいること。

 地下で電波が届き難い状態だったところ、外と繋がっているダクトの入り口部分を外したことで、一時的に電波状態が良くなったのだと思う。


「こんな時間にメールなんて寄こすなよ……」


 至極真っ当な一般常識をぼやきつつ、これ以上突然のメールが入らないようにスマホの電源を切ろうとしたところで、


『太陽!? まだ生きてる!? 生きてたら返事して!』


「(どぅおおおぉぉぉおおっ!?)」


 そういえば通信機も返すのを忘れていたな!

 突然何の前触れもなく頭の中に大声が乱反射し始めたものだから頭痛が酷い。

 インフルエンザの倍くらいは痛いと思う。


『太陽! 無事!? ねえ無事なの!?』


『……無事だけど、今死ぬところだった』


『っ! 刺されちゃったの!?』


『物騒なこと言うな。どこも刺されてねーよ』


 ……まだ。


『よかった……本当によかったよぉ……。真奈ちゃんの太陽への愛情が急加速し始めてたからもう間に合わないかと思ったよ……』


『……どういうことだ? 間に合わないって!? 俺の件はもう無事に終わったんじゃないのか!?』


『そうだと、良かったんだけどね……』


 俺の質問を後悔という感情を含んだ声でゆっくりと否定するキズナ。


『残念ながら終わっていなかった、いや、始まっちゃったんだ、新たなバグが……彼女に』


『何だって!?』


『昨日の昼、シナリオを途中までしか完遂してないのにハッピーエンドになっちゃったよね? 普通ならあんなことは起こらないんだよ。それで気になって職場で調べたら、彼女の、真奈ちゃんのほうのアカシックレコードにバグが発生していたんだ。昨日の午前中、朝の時点で』


 日本のアカシックレコードの検索は一週間に一度、毎週月曜日。だから今週の検索には引っかからなかった――とキズナ。

 なるほど、それで昨日色々と予定にないイベントが色々と発生したのか。


『バグの名前は《アクセラレイション》、レベルは2。人の愛情を急加速させ暴走させる危険なバグ。一緒にいる時間に比例し倍々になる愛情に人の心は支配され、最終的には愛しさのあまり相手を食い殺すんだ』

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