第31話 愛のままにわがままに私はあなたを傷つける
言うが早いか、八舞さんは叩きつけたものを回収するとそのふたを開けた。
中からは食欲をそそられるにおいがする……カレーだ。カレー……なのだが、色合いが少しおかしい。
本来茶色であるはずのカレーが緑色っぽくなっている上、かすかに得体のしれないにおいまでする。
「さっきのカレーを作り直してみたの。二度と浮気しないように、嘘なんてつけないように、私の愛情がた~っぷり詰まっているから、全部食べてね♪」
ニッコリと笑いながら言う彼女だが、こちらは全く笑えない。
愛情って、これ明らかに物理的な何かだよな。
正直こんなものを口に入れたくない。
いくら彼女が作ってくれたものだとしても、いくらなんでも今の彼女はおかしすぎる。
だが、そんな思いも空しく、彼女は俺の顎をガッチリと掴むと、無理矢理口をこじ開けてきた。
女の子の力とは思えないほどのものすごい力だ。
「はい、太陽くん。あ~ん♪」
「ん、んぅっ!? んん~~っ!」
こんな嬉しくない「あ~ん♪」は初めてだ。
首を振って抜けようとするが、全く手が外れない。
万力で固定されたかのように、俺は全く動けなかった。
手が自由でも、おそらく抵抗はできなかったのではないだろうか?
「んーっ! んんンぅーっ!」
「だめよ、ちゃんと食べてくれないと……絶対許さない!」
刹那ともいうべきわずかな時間だったが、彼女が浮かべている黒い笑みが消え、その黒さが彼女の顔に乗り移り修羅・羅刹ともいうべき表情を形成した。
あまりの迫力で反射的に息をのんでしまい、このカレーを飲み込んでしまった。
更なる不快感が俺の身体をサーキットを走るF一カーのように走り回る。
「うが……ぁ、ああぁぁぁ……」
「どう? おいしい?」
そんなわけない!
カレーを飲み込まされた瞬間、喉が焼けるように熱くなった。
全身を業火が包み込んだかのように熱くなる。
「私の愛を感じてもらえた? 燃え上がるような想いでしょ?」
「ぐ……ぁぐうぅ……」
「そんなにもあなたを愛してるの。だから、もう二度と嘘なんてつかないでね? 浮気なんてしないでね? でないと私、悲しくなって……」
――どんなことをするかわからないもの。
……これは、本気だ。
本気で彼女はそう思っている。どうかしてしまっている。
まるで別人のようになってしまった、俺の知らない彼女がいる。
俺は混乱と恐怖で、ただ頷くしかなかった。
「そうよかった♪ じゃあ、残さず食べてね。私からの愛の証だもの」
「!?」
「食べて、くれるわよね……?」
頷くしか、なかった。
☆
もう、何分経過したのかわからない。
全て平らげ、死体のように動かなくなったのを確認すると、ようやく八舞さんは俺を解放した。
硬い石の感触が頭の裏に伝わる。
そして一旦地下室を出て行き、再び彼女は戻ってきた。
手には大きめのビニール袋。
中に結構な量の何かが詰め込まれている。
「太陽くん。さっき私と約束してくれたわよね? 『浮気と取られるような行動はしない』って」
俺は何も答えなかった。いや、答えられなかった。
奇跡的に意識は保っているが、指一本動かせないし声すら出せない。
そんな俺の状態を一切気にすることなく彼女は話を進める。
「私ね、太陽くんにはずっと私だけを見て欲しいの。いつ、どこで、どんな状況下であっても常に私だけを。手足を縛られ泡を吹いているこんな状況下でも、私のことだけを思っていてほしいの。だからね……『こういうもの』は見ないでほしいな」
――ザザーッ!
彼女が袋を引っくり返すと大量の本が飛び出してきた。
、健康的かつ正常な日本男子ならば、誰もが持っているあの本だ。
「あとこれも。もう私がいるんだから二次元の女の子と付き合う必要なんてないわよね?」
続けて無記名のDVD。
中身は言わずともわかるよな?
「太陽くんはこれから私と幸せになるの。私とずっと付き合って25歳の私の誕生日にプロポーズして結婚するの。プロポーズの言葉は『輪廻転生、未来永劫、何度生まれ変わってもその度に必ず君を見つけだしてみせる。これからずっと、永劫の時が流れ新しい宇宙が生まれてもずっと一緒にいよう』。もちろん家は一戸建てで子どもは3人。ペットとかも飼いたいな。あ、でも太陽君が動物嫌いだったら困っちゃうけど……いいわよね? 太陽くんって昨日私を助けてくれたように、困っている人を見過ごせない優しい人だから、きっと自分を犠牲にして飼わせてくれるわ。かわいい子どもたち、かわいいペット、絵に描いたような幸せな家庭ね。私ね、毎朝あなたが仕事へ行く前、必ずおはようのキスで起こして、でかけるときはいってきますのキス、帰ってきたら玄関でただいまのキスがしたいな。子どもたちに見つかったら冷やかされるだろうし、ちょっと恥ずかしいけど、毎日毎回、貴女の顔を見るたびにお互いの愛情を確認したいと思っているの。プロポーズで言ってくれたことを信じないわけじゃないけど、二人の愛を確認する意味でね。そしてあなたからの変わらぬ愛を確認して私はなんとも言えない、言葉ではいいつくせないほどの幸せな気分に浸りたいの。……だから、ね」
彼女は立ち上がると、ホームパーティー用に備えられた食器や雑貨が収納されている棚まで歩き、その中にあった『バーベキュー用』とラベルの貼られたマッチ箱を手に取り戻ってくる。
……まさか!?
「だから、もう要らないわよね、こんなの」
――ヂャッ!
マッチの先端部分の燐が摩擦によって燃える。
「二次元でも女の子は女の子。浮気は許しません。新しい人生の門出をお祝いするため、炊き上げちゃいましょうね。床と天井は石造り、ドアは金属製で燃える心配はないし、空調管理用のダクトもあるし、何か燃やしても問題ないわよね」
種火を投下した。
積み上げられた大量の俺の思い出が、「パキン……パキン……」と、チョコレートのような音を立てつつ灰になっていく。
意識は元に戻ったが、未だ満足に身体を動かせない俺には、自分の思い出が、塚本との友情の証が、灰になって行く様を止めることなどできなかった。紙とプラスチックが燃えるにおいが、ダクトを通って外へと出て行く。
そして彼女も、
「じゃあ太陽くん、そのまま朝まで反省すること。朝食ができたら出してあげるから」
金属製のドアを開けて地下室を出て行った。階段を上るスリッパの音がパタパタと鳴り、消えた。
俺は大切なものがただ燃え行く様をただ見ていることしかできなかった。
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