第29話 いつもと違う彼女
「こんにちは、太陽くん。……来ちゃった」
掛かっていた鍵を外しドアを開けると、そこにはわずか数時間前に別れたできたてほやほやの俺の彼女、八舞真奈さんが立っていた。
腕を後ろに組んで、照れくさそうに頬を赤らめモジモジしている。
昼間とは違い、ライトカラーの薄手のパーカーと短めのキュロットに身を包んでいる。
今日は春だけど気温が23度を越えたので、必要以上に汗をかいてしまったのかもしれない。
柑橘系のシャンプーの香りが俺の鼻腔を刺激する。
「びっくりした? 急に来ちゃって」
「あ……う、うん。結構」
「迷惑……だった?」
「いや、それは全然! さっき友達が帰っちゃったから暇で暇で。でも突然どうしたんだ?」
「理由もなしに来ちゃダメなのかな……私たち……付き合ってるのに」
「いや、ダメなわけないけど。何か……実感がわかないっていうか」
なにしろ1年以上もずっと片想いだったわけだから、イマイチ現実味がない。
だがこれは事実だ。
キズナという一人の天使がもたらしてくれた幸せな結末なのだ。
「そう。もし都合が悪かったらどうしようかと思っちゃった」
八舞さんが胸を撫で下ろす。
「それは?」
彼女の手にはスーパーのビニール袋が垂れ下がっていた。
ついさっきまで手は後ろに汲まれていたので、身体に隠れていて見えなかったようだ。
「これ? んと……ね、突然押しかけたのに何もしないのって何か悪いから、私の手料理を食べてもらおうと思って。太陽くん、カレーは好き?」
「ごっつLOVEです」
「ふふ……よかったー。私ね、趣味で色々料理するけどカレーが一番得意なの。カレーなら自分が思ったとおりの味にできるくらいにね。あまりにも定番すぎてあまり喜んでもらえないかとも思ったんだけど……そっかぁ、太陽くんカレー好きなんだ。よかったぁ」
好きな女の子のカレーを食いたくない日本人などいない。
もしいたとしたらそいつは日本人どころか人類かどうか怪しい。
俺は飛び上がりたいほどの喜びに包まれる中、感情を表に出しつつ彼女の手を取る。
彼女は突然俺が自分の手を握ったことで少し驚いた後、俺のエスコートに従い家の中に入った。
「そういえば太陽くん」
「ん?」
「ちょっと気になったんだけど……、さっき帰ったお友達って……男の子だよね……?」
………………………
………………
………
「……だんだん思い出してきたぞ」
キズナが帰ったあとの突然の八舞さんの来訪。
手を取ってエスコートした直後のあの質問。当然俺はYESと答えた。
例え嘘でも、あのときはああ答えるのが正しい気がしたのだ。
誰だって自分がいない間に、恋人の家に異性が上がりこんでいるのは面白くないはずだ。
俺の答えに満足したのか、八舞さんはそのまま台所へ直行。
持ってきた食材を冷蔵庫にしまい、そのまま俺の部屋へ。
二人で最新のゲームや昔懐かしいレトロゲームなどを思う存分楽しんでいる間に日が傾き、空が茜色に染まった。
「そろそろ晩御飯の支度するね。私の手料理、期待していいわよ」
八舞さんは自分で持ってきた水色のエプロンを身に着け、料理を始めた。
その後姿に萌えていると、彼女に「飲み物がないみたいだから買ってきてもらえないかな? お願い」と、かわいくお願いされたので、近所のスーパーに行ってお茶を買った。
その後は居間のテレビをつけて、6時のニュースを見て時間をつぶしていると、彼女のカレーができあがったのでおいしくいただき、その後は………………その、後は………………………………
「何をしたんだっけ……?」
そこで記憶が途切れている。
カレーをいただいた記憶から、今のこの状況にワープしている。
最後の記憶と現在の状況に接点が見出せない。
「チクショウ、一体だれがこんなことを? いや、それより八舞さんは無事なのか?」
「もちろん無事よ」
俺の呟きに反応する形で、突然誰かの声が上がった。
誰の声かなど、確認するまでもない。
だってこの声の主は、俺がずっと好きだった女の子のものだからだ。
「八舞さん!」
「おはよう太陽くん。よく眠れた?」
姿を現した彼女の顔は、俺が良く知るいつもの顔だ……でも。
顔はいつもの彼女なのに、なぜか今は、得体のしれない恐怖を感じる。
俺はごくりと息を呑むと、彼女に再度話しかけた。
「ああ、ぐっすりね。おかげで頭がすげえスッキリしてるよ」
「そう、それはよかったわ。あまりにもずっと寝ているから、ちょっとお薬入れすぎちゃったかなって不安だったの」
……今、ものすごくヤバい単語が聞こえたような?
今お薬って言わなかったか?
カレーに何かを混入したっていうのか!? 何のために!?
「…………つかぬことを聞くけど、八舞さん、今何時? 俺、どのくらい寝てたの?」
「今は夜中の2時くらいかな? そうね……たぶん7-8時間くらいは寝てたんじゃないかしら?」
「へ、へえ……そんなに寝てたのか。どおりでスッキリしているわけだ」
そんなにか!
っていうか、そんな時間なのになぜ彼女は家に帰っていない!?
なんかおかしいぞ!?
「良く寝て頭はスッキリしたけど、手がコレだから肩が凝ったな。八舞さん、ちょっとコレ外してくれる?」
「ダメよ」
俺のお願いを、彼女は笑顔で却下した。
笑っているが、笑っていない。そんな感じの笑顔だ。
これは、何を言っても無駄な気がする。
考えを整理するためにも、とりあえず会話を続けて様子を見よう。
「ところで……八舞さん、夜中の2時って言ったけど帰らなくていいのか?」
「大丈夫よ、親には友達の家に泊まりに行くって言っておいたから」
「そ、そう……」
「初めて親に嘘ついちゃった。本当は友達じゃなくて、恋人の家なのにね♪」
「う、うん……そうだな。それは、悪いことさせちゃったな」
「気にしないで。私がしたくてしたことだから」
どうしても一緒にいたかったの――と八舞さん。
普段なら言われて嬉しい言葉のはずが、今は全く正反対だ。
「あのね、実は私、どうしても今日はずっとあなたと一緒にいたくて、家を出るときに友達の家でパジャマパーティーをするって嘘をついてきたの。あなたと一晩過ごすつもりでね。家を出てからずっと、あなたと過ごす今夜、あ、もう昨夜ね。まあどっちでもいいわ。とにかく二人ですごす夜のことを想像して、胸が張り裂けそうなほどドキドキしてた。あなたの家のインターホンを押すとき頭の中が真っ白になったわ。『突然来て迷惑じゃないかしら』『嫌われたらどうしよう』って、そんなことあるわけないのにね。私が太陽くんを好きなように、太陽くんも私のことが好き。私が太陽くんを嫌いになるなんてあるわけないんだから、太陽くんも私のことを嫌いになるなんてあるわけないのよ。あの有名な歌のフレーズにあるように、私と太陽くんの愛は永遠……。太陽が凍りついても決して消えないんだから。そしてそれは間違いじゃなかった。突然訪れた私の手を取ってエスコートし、自分の部屋に招き入れてくれた。あのとき私がどう思ったと思う? 運命を感じたわ。『ああ……もうこの人しかいない』『私はこの人と出会うために生まれてきたんだ』そんな一昔前の少女漫画に出てくるヒロインみたいに」
「ああ、そうなんだ……」
ヤバい!
俺の本能が本格的に警鐘を鳴らす。
うすうす気づいていたけど、今の彼女は正気じゃない!
明らかに病んでいる!
どうしてこうなった!?
一発逆転してハッピーエンドになったんじゃなかったのかよ!?
――私はこれほどあなたを愛してる。
――だからあなたも同じくらい私を愛して。
――他は何も見ずに。
そんな思いがひしひしと、一方的に語る彼女から伝わってくる。
彼女が言葉を紡ぐたび、愛情という言葉の刃が俺を切り刻んでゆく。
心を薄く、薄く、ハムを切るかのようにスライスしていく。
「こんなに、ううん……まだまだ言い足りないくらい私は太陽くんのことが好き」
彼女の長い演説が終わった……かのように見えた。
「……なのに」
――何で、嘘ついたの?
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