第26話 ラブコメのエンディング

「たっだいまーっ!」


 声が弾む。

 そして心が軽い。


 体の奥底から明日への希望と生きるエネルギーが火山のように溢れ、爆発して止まらない。

 戦いに負けた敗北感に打ちひしがれていたときに、一発逆転の目が出てそのまま勝利。

 そのおかげで、ずっとニヤニヤしっぱなしだ。


 途中、俺の顔を見て、すれ違った主婦の方々はヒソヒソ話を始めたし、それが原因で警察に二回ほど職務質問をされたけど全く顔が戻らない。

 嗚呼……空は、世界は、何でこんなにも綺麗なんだろう?


 生まれてからついさっきまで、ずっと同じような景色を見てきたというのに、何で急にこんなにも美しく見えるのだろうか?

 おそらく、これは恋の魔力、恋愛補正という都市伝説に違いないな!


 素晴らしい! そして美しい! 

 これだけで明日も頑張って生きていこうと思える。

 俺は靴を脱ぎ捨てると、足取り軽くスキップしながら居間のドアを開ける。


「ただいまキズナ! 今帰ったぞ!」


「ああ、おかえり、太陽」


 …………?

 声自体が飛び上がっているように聞こえる、高いテンションの俺とは対照的なこの反応。

 例えるなら海だ。それも波一つ立たないほど穏やかな。


 最高難易度の案件を無事に完了させることができたのだから、俺みたいにとまでは言わないが、もっと喜んでもいいんじゃないだろうか?

 そう思う俺とは裏腹にキズナは無表情――というよりも真面目な顔だ。

 まるで重大な会議に出席するサラリーマンのようだ。


「……キズナ? どうかしたのか? 嬉しくないのか? 難しい仕事が終わったってのに」


「えっ!? あ、うん。嬉しいよそりゃね。レベル4案件を片付けたなんてなれば、オレの名前にハクがつくし、特別ボーナスももらえるしさ。だけど……」


「だけど?」


「いや、……うん、何でもない。おめでとう太陽。これでリア充の仲間入りだね」


 そう言ってキズナは、俺の両手を取って祈るように合わせた。

 昨日公園で手を握ったときも思ったけど、男っぽい口調に反して、キズナの身体ってすごく女の子していると思う。


 今俺の手を包んでいるこの手だって、すっごくスベスベしているし、何ともいえない温かさを感じる。

 もし、八舞さんに出会う前に出会っていたら、キズナがオレと同じ普通の人間で高校生だったら、多分……俺は……。 


 いや、恋人ができたばかりだっていうのにそんな『もしも』を想像するのは八舞さんに失礼だ。

 それに、キズナが天使じゃなかったら、俺はこうして彼女と恋仲になっていないわけで。


 キズナの手に触れてから想像してしまった一連の想像を振り払い、俺はキズナに、恩人に、恋の天使と言うにふさわしい目の前の女の子に、心からの笑顔と最高の笑顔を見せる。


「ありがとう、キズナ。本当にありがとう。お前がいてくれたおかげで……俺は……」


「そんな……オレはただ……。……そう、仕事! 仕事だからやっただけなんだからそんな感謝してくれなくてもいいってば!」


 表情を崩し目を反らす。

 頬が赤い。多分、照れているのだろう。


「いや言わせてくれ。お前が俺にしてくれたことは、例え仕事が理由だとしても、とても言葉で言い尽くせるもんじゃない。なのに言葉でしか感謝の気持ちを伝えられないのがもどかしいぜ! ありがとう……本当に、ありがとうっ! キズナ!」


「だっ……だからいいって! これがオレの仕事なんだからして当然なの!」


 更に絆の顔が照れて赤くなった。

 やっぱりかわいいなこいつ。

 せっかくなので更に弄ってやろうと思ったのだが、俺が何か言おうとした瞬間――、


「……それに」


 キズナが何か言おうとして、止めた。

 何を言おうとしたのか気になったので、俺は彼女に尋ねようとしたのだが――口を開こうとした矢先にキズナが手を離したので、それに気を取られてしまい尋ねるタイミングを失ってしまった。


 そのままキズナは、オレが帰宅する前に片付けていた自分の荷物を脇に抱え、収納していた天使のトレードマークであるリングと羽を出す。


「何でもない! それじゃあオレは帰るね。彼女とお幸せに!」


「もう? 夜までゆっくりしていけばいいのに。おまえのおかげで彼女ができたわけだし。せめて俺の作れる最高のごちそうでもてなさせてくれよ」


「そうもいかないんだ。……ほら、オレ、お前と同い年だけどもう社会人だしさ。仕事が終わったら会社に帰らないと」


「少しくらい、いいんじゃないのか? 難しい仕事をこなしたわけだし」


「いや、ダメ。ちょっと気になることが……」


「気になること?」


「あ……ま、まあ大したことじゃないんだよ。でも、ちょっと……ね。そ、そうだ! 太陽! これ持ってて!」


 キズナは突然思い出したかのように強引に話題を変えると、リングから充電を終えていたモテ電を取り出し俺に渡した。


「これ太陽に預けるから! いい? 絶対になくさないでね? 机の引き出しの奥にでも厳重に保管しておいてね? これはお前の運命に打ち込んだ楔のようなものなの。もしこれが何らかの拍子に壊れてしまったら……」


 ――フラグは失われ、恋人関係は『なかったこと』になる。


 そんな恐ろしい言葉がキズナの口から飛び出した。


「だから破壊されないよう、誰の目にも触れないように厳重に保管しておいて」


「……いつまでだ?」


「……最低でも約一年。それくらい経過すれば、二人の幸福にやられてバグはなくなるはずだから」


「わかった……。一年とは言わず一生保管してやるよ」


「うん、その意気だ!」


 コツン、と絆が拳で軽く俺の胸を叩いた。


「それじゃあ太陽、お幸せに。お前と彼女の幸せな未来を天界で祈ってるよ」


「あ、ああ。……ありがとう」


「本当に……祈ってるから」


 ――バタン。


 ドアが開いて、そして閉まる。

 見送ろうと俺も続いて外に出たが、地上にも、上空にも、絆の姿は見えなかった。


「ありがとう、キズナ。俺、幸せになるよ。……絶対に」


 まるで結婚前の新婦が、両親に向けて告げる言葉のようなものを俺は呟いた。

 10秒くらい空を仰ぎ見てから家の中に入る。


 そしてキズナに言われたとおり、モテ電を机の引き出しの奥底に保管し鍵をかけた。

 誰の目にも触れないように。


「キズナ……俺、絶対幸せになるからな」


 昨日と今日の、二日間という短い間で起きた不思議な出来事、

 そこで出会った人間ではない、天使の女の子、

 彼女がもたらしてくれたパステルカラーに彩られた青い春を、十分に謳歌しようと思う。


 世界はこんなにも美しく、

 そして優しく、

 夢と希望に溢れているのだから――。


     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーFINーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
















 ――と、ここで終われば物語はわりときれいに完結を迎えたのではないかと思う。




 世界はいうほど美しくない。

 世界はこんなに優しくない。

 夢と希望はあるが溢れてはいない。


 そのことに俺が気づいたのは、キズナが帰って約3時間後。

 帰る間際に言っていた「気になること」、それが俺に牙を剥き始める。


 4月29日、午後4時、運命は加速する。

 それも最悪な方向へと。


     ☆


 ――ピンポーン!


「はーい、どちら様?」


 運命の扉が、今開いた。


「こんにちは、太陽くん。……来ちゃった」



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