第18話 描いた恋のシナリオ
4月29日、午前9時53分、駅へと続く大通り沿いを歩いている。
日本の交通ルールに則り右側通行、歩道を歩いて車道を行く自動車やバイク、時々自転車の通行の邪魔にならないように俺は歩く。
スマホから流れる音楽で集中力を高め、決戦の時を待ち構えている。
すでに、俺の戦闘意欲は十分に高まっている。
絶望的な未来をドロップキックでぶっとばしてやる所存だ。
『太陽、今9時55分になった。あと5分で最初のイベントがスタートだけど、心の準備はできてる?』
『当たり前だろ。とっくに、覚悟はできているさ』
『そう、なら少し急いだほうがいいかも。LOVEでアカシックレコードを参照したところ、ターゲットの彼女はもう駅のバスターミナルにいる。図書館に行く前に少しぶらつこうと考えているみたいだ。図書館イベントは11時だから、それまでに彼女を捕捉してイベントをこなしておくこと。好感度を上げないと次に繋がらないぞ』
彼女が駅から離れる前に捕捉することをオレは勧める――とキズナ。
『ああ、わかった。ダッシュで駅まで急ぐ』
『いや、ダッシュは止めたほうがいい。今日は春なのに、気温が25度もあって結構熱い。下手に汗をかいちゃって好感度上昇の妨げになったら目も当てられない。早歩きのほうがいい』
『了解だ』
キズナの助言に素直に従う。
決して急がず、慌てず、だけど急いで目的地へと向かう俺。
交差点の信号が青になった。
俺はF1のスタートよろしく、赤から青に切り替わる瞬間、1歩1秒でも早くこのイベントを起こすべく、八舞さんの居場所へと急いだ。早歩きで。
『うん、いいペースだ。この調子で歩き続けて。彼女の現在地だけど、まだ駅周辺に……あ、たった今情報が更新された。寄り道する場所を決めたっぽい』
『その場所は?』
『〈モンドール〉ってわかる? 学校の女の子の間で人気のケーキ屋さんみたいなんだけど』
それならわかる。
この街に住む人間ならば、一度は誰でも行ったことがあるだろうケーキ屋だ。
俺も小学校の頃誕生日に、ここの名物ケーキである動物ケーキ、(タヌキとワニを模したチョコレートケーキ)をよくねだったものだ。
ちなみに俺はワニ派だ。身の中に詰まったカスタードクリームと生クリームが、チョコとシュー生地に絡み合って絶妙に美味いんだよな。
コーヒー生地のタヌキも捨てがたいが。
『大丈夫だ。そこなら俺も知っている。距離的には駅より近いから、捕捉までの所要時間を少し削れるな』
駅へと続く道を右へ折れる。ここを曲がった方が近いのだ。
裏の涼しい日陰の道を、スタスタと歩いて〈モンドール〉へ到着。
久しぶりに見るメルヘンチックかつカラフルな屋根が懐かしい。
そんな感傷にひたりつつ、スマホで時刻を確認すると――9時59分50秒。
イベント開始であと10秒じゃねえか。
危ねえ!
あと10秒、そう、あと10秒だ。
あと10秒で絶望的な俺の未来を変えるための、運命的なラブコメが始まる。
幸せを取り戻すための壮大な叙事詩が始まるのだ。
この間5秒、あと半分だ。
年末恒例のカウントダウンよろしく数でも数えようか。
――5、4、3、2、1、
ゼロ。
「………………?」
何も起こらない。
ああ、そうか。10時ジャストにイベントが発生するわけじゃないのか。
そういえば俺が送信したシナリオには、分や秒までの指定はしていなかったな、うん。
となるとこの場合、10時台に発生するというふうに捕らえていいんだろうな。
10時ジャストに発生するかもしれないし、しないかもしれない。
何か肩透かしを食らってみたいだなあ。ははっ。
『太陽!』
『うあっとぉ!?』
頭の中に、耳元で怒鳴られたような大声が響き渡ってキーンとなる。
俺は頭を抑えてうずくまった。
『あ……頭が割れるかと思った……』
『何やってるのさ! 店の近くにいるならわかるけど、店の前にいてどうするの! 早くどこかに隠れて! 彼女に見つかる前に!』
『え!?』
『固まってないで早く! 絡まれる前に出会ったら、その後のイベントは全部白紙状態になっちゃうだろ!』
『何だって!? おい、もうちょいそこんとこ詳しく――』
『いいから早くしろ! もう彼女は50メートル先の角まで来てるよ! 辺りにやられ役の姿は見えないからまだ出会っちゃダメだ! イベントは進行してても、フラグが立つキーイベントの発生はまだもう少し先! ここでであったらそのフラグが折れる! 早く!』
うずくまっている暇などなさそうである。
俺は即座に立ち上がると、汗をかくのも気にせずに来た道を全速力で戻り身を隠した。
俺が隠れると同時に、LOVEでこの状況をモニタリングしている絆から連絡が入った。
『来た! 今角を曲がった! 店に入ったよ!』
ギリギリだったが間に合ったらしい。
どうやら最初のイベントでつまずくようなことにはならなかったようだ。
良かった……本当に良かった。
安堵し全身から力が抜ける。
あまりに焦ったせいか呼吸がうまくできない。
深呼吸をして無理矢理呼吸を整えて落ち着かせる。
しばらくして、彼女が店の中から出てきた。
手には何も持っていない。
彼女に限って店に入って手ぶらで出てくるというのは考えにくい。
ここはケーキ屋であってコンビニではない。確実にイートインコーナーを利用したのだろう。
だとすると俺は随分と長い間深呼吸をしていたということになる。
ポケットからスマホを取り出し時刻を確認すると、時刻はすでに10時17分。
どうやら俺は15分以上も深呼吸を続けていたようだ。
どれだけ焦っていたんだよ俺。
図書館を目指し、来た道を戻る彼女の姿が消えたのを確認すると、俺は早速尾行に移った。
着かず離れずの距離を保ち続ける。
『なあ、絆。ふと思ったんだけどさ』
『うん?』
『これストーカーじゃね?』
『……太陽』
『おう』
『そこは深く考えずに行こう。幸せになりたいんでしょ?』
なりたいです。あんな未来は嫌です。
しかし、自分の幸せを盾にしてつけまわすのって、やっぱりこれストーカー……いや、キズナの言う通り、深く考えないようにしよう。
俺の精神面の健康のためにも。
『彼女の前から背の高い二人組の男が来た。格好からして太陽と同年代だね。多分、やられ役とみて間違いない』
『……ああ、こちらでも確認した』
壁を背にして様子を見ながら、俺は運命のゴングが鳴り響くのを待った。
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