第17話 戦い(ラブコメ)へ赴く前の最後の準備

「よーし、OK。じゃあ、さっさと身だしなみを整えようか」


 だらしない格好は、それだけ相手に悪印象を与えちゃうからな――と、キズナが俺を促した。

 全くの同感なので、俺もそれに素直に従う。

 超常的なサポートがあるとはいえ油断は禁物だ。

 なにせ俺に巣食ったバグは、最悪のレベル4案件――あらゆるところに気を遣ってしかるべきだ。


 俺は洗面所へと移動し、まずはと念入りに歯磨きを始めた。

 口臭は異性に嫌われる原因トップ3に入るからな。

 爽やかな吐息を目指す。

 別に、キスとか考えていないけどな! シナリオにも書いてないし! でもやるべきだからな、こういうのは!


 歯磨きを終えたら次は風呂だ。

 全身から汗の香りがするよりも石鹸の香りがしたほうが絶対に良い。

 相手が汗フェチだったらその限りではないが、今は考えないでもいいだろう。


 全身きれいさっぱりリフレッシュし、体を二バスタオルを巻きつけたら、最後はファッション。勝負服を身に着ける。


 俺が選んだ服は、チノパンに黒いTシャツ、そして白いYシャツと実にオーソドックスな普段着スタイル。

 片想いの相手と今日一日一緒にいるというのにそんな普段着で大丈夫か?――と、この場に塚本がいれば聞……いや、聞かないなあいつは。そういうの全然言わない。性欲が頭を支配しているからそこまで気が回らない。パンツじゃなければ何でもいいとか言いそう。


 着替えも終え、鏡に映して全身チェック。

 ……うん、良い感じじゃないかこれ?


「襟元よし。裾よし。ボタンの状態よし。髪の毛よし。はぁ~……口臭よし! 寝癖なし。ハンカチとちり紙よし。スマホよし!」


 最終決戦への準備は完了した。

 部屋のドアを開け階段を下り玄関へ向かうと、キズナがそこで出迎えてくれた。

 小脇にLOVEを抱えている。


「準備完了?」


「ああ、いつでもいけるぜ」


「そう、じゃあこれ」


 そう言い、キズナが何かを手渡した。

 そういえばモテ電を充電しっぱなしだったな――って、何だコレ?


「キズナ、これなんだ? シール?」


 キズナが俺に渡してきたのは、わずか1センチにも満たない大きさの透明なシールだった。

 はた目には、セロハンテープを短くしたやつにしか見えないのだが、わざわざ今渡すってことは、これも天界の道具なのだろうか?


「これは?」


「小型の通信機兼発信機。耳の裏にでも貼っておいて。自動的に装着者の脳波を読み取って特殊な電波をLOVEに送信するんだ。こっちからはちゃんとしゃべらないといけないんだけどね。『あー、あー。聞こえる?』」


「――っ! 『すごいな。おう、ちゃんと聞こえる』」


 頭の中に直接絆の声が響き、しゃべってもいないのに絆の持っているLOVEから俺の声が聞こえてきた。

 天界の科学力はおそらく人界の何世紀も先を行っているに違いない。


「これを使ってリアルタイムな彼女の情報をお前に送信する。オンオフも念じるだけで切り替えられるから、プライバシー対策も万全だよ」


「『試しにやってみよう。オフ』(キズナの乳首ってピンクなんだな)」


 本当だ、聞こえない。

 もしも聞こえてたらえらいことになってる。


「感度良好。サポート準備もこれにて完了。さあ、行ってこいよ!」


「あれ? キズナはついて来ないのか?」


「ついてきて欲しいならついていくけど……イチャイチャしてるところ、オレに生で見られたい?」


「ついてこなくていいです」


「だよね」


 イチャついているところを見られたいのは、おそらく少数派だと思われる。

 ああ、さっきのシールはキズナの気遣いだったんだな。


「あ、ちょっと待て。そういえばモテ電は? 充電器にさしっぱだぞ」


「もう入力は終わったし、あのままでいいよ。あったほうがいいけど、LOVEで十分なサポートができるしね。それに……」


「それに?」


「持っていたら、どんなアクシデントがあるかわからないから。うっかり失くすだけならGPSがあるからまだしも、落として盗まれたり、最悪壊されちゃったりなんかしたら一巻の終わりだし。シナリオこなしてハッピーエンドを迎えても、壊されたら全部なかったことになるし」


「置いといたほうがいいな!」


 全部上手く行って終わったのに、全部オールフィクションとか最悪すぎるわ。

 キズナが見ていてくれるだろうし、家に置いていったほうがいい。


「それじゃあそろそろいい時間だし――」


「ああ、行ってくる」


 ――運命を掴み取る戦い(ラブコメ)へ。


 俺は気合いを入れて玄関のドアを開ける。


「いってきます!」


「いってらっしゃい!」


     ☆


 今思えば、この時の俺の目には――いや、俺と絆の目には勝利しか、取り戻した運命しか見えていなかった。

 実にやる気があっていいとは思う。


 なにしろ俺の運命に巣食ったバグは、最高何度のレベル4だ。

 それぐらい気合を入れなければバグの修正など到底不可能に思えるからな。

 

 しかし……いや、だからこそか。

 取り戻した幸せな未来で、頭がいっぱいになっていた俺とキズナは、あることを見落としていたのだ。


 それは、巣食ったバグの抵抗だ。

 ラスボスともなれば当然抵抗は激しい。

 相手が形のないものであることが理由だったのか、相手の抵抗という単語が頭の中から抜け落ちていた。


 俺だけでなく、絆さえも。

 確か数十年に1回程度しかレベル4バグは発生しないと、以前彼女が言っていた。

 もしかしたら、レベル3までは〈Wish Star〉で送信した時点で、ほぼチェックメイトになるのかもしれない。


 多分、そうなのだろう。

 そもそもレベル4クラスでしか、天使は人間と協力体制を取ることはないから。

 個人やシステムでバグの対応に当たるから。


 レベル4は他とは違う。

 表面上は理解できていても、魂で理解できていればあんなことにはならなかったかもしれない。


 この判断ミスが、油断が、後々になって俺たちを苦しめることになるのだが、それに気づくのはもう少し先の話だ。


 これから起こる、《ヴォイド》というバグの抵抗により、俺たちは比喩でもなんでもなく、全滅――命の危機に見舞われることになる。

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